UNSCEARの報告はなぜ世界に信頼されるのか――福島第一原発事故に関する報告書をめぐって

すべての根拠となる「知の集積」

 

1950年代のはじめ、東西冷戦下に大気圏内で頻繁に核実験が行われた。これにより、放射性物質が世界中の国や地域に大量に降下した。放射性物質による人や環境への影響を世界的に調査するため、1955年の国連総会(UNGA)で設置されたのが、UNSCEAR(「原子放射線の影響に関する国連科学委員会」)である。UNSCEARは、放射線が人や環境に及ぼす影響についての重要な事項を網羅的に調査し、国連に報告するという役割を担っている。

 

2011年3月に東京電力福島第一原子力発電所の事故があり、放射性物質の飛散による人や環境への影響が懸念された。UNSCEARは同年5月に日本とドイツによる提案を受け、福島第一原発事故に関する報告書をまとめる方針を固め、国連総会で採択を受けた。UNSCEARは事故から3年を経て、「UNSCEAR2013報告書(「電離放射線の線源、影響およびリスク」)」を公開し、UNSCEARの報告書としては初めて公式に日本語訳もされた。

 

UNSCEARの報告書は、世界中で発表された約2000以上の論文を科学的に精査し、300前後にまで絞り込み、さらにとくに重要な論文を採用してまとめられたものである。

 

UNSCEARの報告書をもとに、まずICRP(国際放射線防護委員会)が勧告を出し、これにもとづいてIAEA(国際原子力機関。WHOなど放射線影響を鑑みる必要のある団体も加盟している)がガイドラインを出す。日本など各国は、これに沿ってそれぞれの国の法律や指針を作成する。

 

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つまり、ICRPの勧告もIAEAのガイドラインも、そして放射線に関する日本の法律も、UNSCEARの報告書にその根拠があるともいえる。このため、UNSCEARは政治的に中立であることを極めて厳格に求められる組織でもある。「科学に根ざし、政策を取り扱わない、独立かつ公平な立場」というのが、UNSCEARの宣言する自らの立場だ。

 

UNSCEARは5つのグループが分担して論文を評価している。(注1)世界中から80人以上の専門家がそれぞれのグループに参加し、「UNSCEAR2013報告書」を作成した。報告書は国連総会の承認を経て、2014年4月にはウィーンで、翌5月には福島と東京で公表された。

 

(注1)(1)「ソースターム(環境を汚染する可能性のある放射性物質)が原発事故後によりどのくらい放出され、どのくらいの規模で拡散したのか」を評価するグループ

(2)「公衆(一般住民)が原発事故による放射性物質によってどのくらい放射線被ばくしたのか、また環境中の放射線量はどのくらいか」を評価するグループ

(3)「原発構内の作業員が、原発事故による放射性物質でどのくらい放射線被ばくしたのか」を評価するグループ

(4)「公衆と作業員の、放射線被ばくによる健康影響」を評価するグループ

(5)世界中で公開された(1)~(4)に関する論文の品質を評価するグループ

 

以下に「UNSCEAR2013報告書」の8つのポイントを挙げる。

 

(1)福島第一原発から大気中に放出された放射性物質の総量は、チェルノブイリ原発事故の約1/10(放射性ヨウ素)および約1/5(放射性セシウム)である。

 

(2)避難により、住民の被ばく線量は約1/10に軽減された。ただし、避難による避難関連死や精神衛生上・社会福祉上マイナスの影響もあった。

 

(3)公衆(住民)と作業者にこれまで観察されたもっとも重要な健康影響は、精神衛生と社会福祉に関するものと考えられている。したがって、福島第一原発事故の健康影響を総合的に考える際には、精神衛生および社会福祉に関わる情報を得ることが重要である。(注2)

 

(注2)精神衛生=人々が精神的に安定した生活を送れるようにし、PTSDやうつなど精神・神経疾患を予防すること。社会福祉=人々の生活の質、QOLを維持すること

 

(4)福島県の住民の甲状腺被ばく線量は、チェルノブイリ原発事故後の周辺住民よりかなり低い。

 

(5)福島県の住民(子ども)の甲状腺がんが、チェルノブイリ原発事故後に報告されたように大幅に増える可能性を考える必要はない。

 

(6)福島県の県民健康調査における子どもの甲状腺検査について、このような集中的な健診がなければ、通常は発見されなかったであろう甲状腺の異常(甲状腺がんを含む)が多く発見されることが予測される。

 

(7)不妊や胎児への影響は観測されていない。白血病や乳がん、固形がん(白血病などと違い、かたまりとして発見されるがん)の増加は今後も考えられない。

 

(8)すべての遺伝的影響は予想されない。

 

2017年よりUNSCEARの日本代表をつとめる量子科学技術研究開発機構の明石真言氏に話をうかがった。明石氏は、放射線医学の分野で日本を代表する研究者のひとりである。

 

 

明石氏

 

 

「科学に根差し、政策を取り扱わない、独立かつ公平な立場」

 

――日本学術会議が出す報告書や提言、ICRP(国際放射線防護委員会)の勧告、IAEA(国際原子力機関)の報告や指針などと同列のものとして、UNSCEARの報告書があげられることがあります。しかし、他の機関が出す勧告やガイドラインは、UNSCEARの報告書をもとに作られているのですね。

 

明石 ICRPは、UNSCEARがまとめた世界中の論文を基礎資料として勧告を出しています。そのICRPの勧告に基づいて、IAEAが指針を出し、それらに基づいて各国がそれぞれの国内の法律を作っています。UNSCEARは、これらの大元となる「世界中の論文を一定の明確な基準にもとづいてそれをレビュー(評価)する」という役割を持つ機関です。すべての基礎となるものですから、政治的な色を持たないことを強く求められますね。

 

「Science, not policy – independent and unbiased」(「科学に根ざし、政策を取り扱わない、独立かつ公平な立場」)。これはUNSCEARの大原則です。

 

また、UNSCEAR自体が何かを推奨したり勧告したり、といったことは絶対にしません。もちろん論文について「科学的見地に基づいて評価した場合、この研究には不足がある」と報告することはあります。しかしこれはあくまでも「科学的に不足がある」と評価しているだけで、「だからこういうことをすべきである」という推奨や助言をしているわけではありません。

 

 

――UNSCEARの報告書や白書にレビューされている論文を選出する前に、300本前後の論文がリストアップされています。リストアップの前段階としてUNSCEARの委員の方が目を通される論文は平均で何本くらいになりますか。

 

明石 最低でもその5~6倍、2000本近くの論文を読んでいます。「UNSCEAR2013報告書」の末尾に掲載されている、各国各分野の専門家が、それぞれの分野の論文を分担して読んでいます。

ただ、担当する領域によって読む本数にはばらつきがあります。たとえば、ソースタームの放出に関わる論文や、人の健康への影響に関わる論文は多く発表されます。しかし、ヒト以外の生物に関わる論文は毎回それほど多くありません。

 

 

――UNSCEARにリストアップされた論文が、報告書や白書に採用される際の基準とはなんでしょうか。

 

明石 まずは、査読付き(同じ分野の他の専門家によるチェックを経ること)の論文であるということが原則です。それから、各国の委員が分担しますので、国際的な共通言語である英語で書かれていることも必須条件です。

 

その上で、「その論文が書かれた研究が科学的に不足のない手法で行われているかどうか」を審査する、科学論文のクオリティを管理しているグループがあります(「最終品質保証グループ」)。

 

このグループが、論文の科学的なクオリティをチェックしています。たとえば疫学分野の論文であれば、「母集団が小さすぎる」とか「統計的処理があまい」とか、そういったことですね。毎回ここでたくさんの論文が選考から落とされていきます。

 

 

「科学的なクオリティ」と「社会的な影響」

 

明石 科学的なクオリティが十分ではないとしても、「社会的に影響が大きい」と判断された場合には、あえてとりあげた上で「研究の手法として科学的に十分ではない」と報告することがあります。

 

たとえば、岡山大学の津田(津田敏秀・岡山大学教授)さんという人が「福島第一原発事故による放射線の影響で福島の子どもに甲状腺がんが増えている」という趣旨の論文を出しました。これは科学的に不足がある研究にもとづいて書かれた論文なので、科学的なクオリティとしては採用に値しません。

 

ただ、この論文は「社会的に影響が大きい論文である」と判断されたため、あえて採用されました。その上で、研究手法が「あまりにも偏りが生じやすいもの」(注3)であり、「このような弱点と不一致があるため、本委員会はTsuda et al. による調査が2013報告書の知見に対する重大な異議であるとはみなしていない」(注4)と「UNSCEAR2016白書」は評価しています。

 

(注3)UNSCEAR2016白書 111.

(注4)UNSCEAR2016白書 112.

 

このように「社会的に影響が大きいにも関わらず、科学的に手法が適切ではない論文」をきちんと批判するということは非常に重要なことです。単純に不採用にしただけでは社会的に影響のある論文を見過ごしたことになりますし、採用しただけで明確に批判しなければ、UNSCEARが「この論文が科学的な見地から採用に足ると評価している」という誤解を招きます。

 

 

――他に、「社会的影響が大きい上に、科学的な研究の手法が適切ではない」と評価されたために、採用した上で「研究の手法が適切ではない」としたような例はありますか?

 

明石 たとえば、「UNSCEAR2017白書」で、「アカマツに形態的異常が有意に多い」という論文が採用されました。UNSCEARはこの論文について、「木の個体群の完全性に対する形態学的に異常の影響は、よく観察されていない」と評価しています。この日本語訳はかなりわかりにくいんですが、つまり「そもそも原発事故の前に福島の山でアカマツの調査をやっていないですね」ということです。

 

(注5)UNSCEAR2017白書135.

(注6)「対照群を立てていない」という意味。対照群とは、ある集団に特定のものごとが影響を及ぼしたかどうかを調べるとき、それ以外の要素が同じである別の集団のこと。

 

これは「(原発事故前に調査をしていない=比較対象のない)福島の山を観察してみたら松の形がこうでした」と言っている(観察研究)に過ぎません。その上「もしかしたら放射線の影響じゃなくて、人がいなくなったために野生動物が増えたことが原因なのかもしれない」とか、他の影響(バックグラウンドの影響)も考慮されていません。

 

通常は、こういった「コントロール群を立てていない」とか「バックグラウンドが考慮されていない」という論文は、「研究手法が科学的に不足している」として、かつ社会的な影響が少なければ、選考でたくさん落とされていきます。

 

 

福島の甲状腺検査を中長期的に継続することに科学的な意味はあるのか

 

「UNSCEAR2017白書」では甲状腺がんについて、福島県における被ばくの程度がもっとも高かった地域、中程度だった地域、もっとも低かった地域に住む人たちを比べた場合、有病率に統計的に有意な差がなかったと報告した。有病率がスクリーニング検査を開始する前に予想されていたよりも20倍ほど高かったことについては、放射線被ばくの影響ではなく超音波検査によるスクリーニング効果と考えられる(注7)としている。

 

(注7)「UNSCEAR2017白書」111.

 

現在、福島県では県民健康調査の一環として甲状腺スクリーニング検査が行われている。この検査は現在、「県民の健康を見守る」ということと「2011年から現在までに福島で見つかっている子どもの甲状腺がんと、原発事故による放射線被ばくとの関係を科学的に考察する」という2つの目的があるとされている。(注8)

 

(注8)「東京電力福島第一原子力発電所の事故による放射性物質の拡散や避難等を踏まえ、県民の健康状態を把握し、疾病の予防、早期発見、早期治療につなげ、もって、将来にわたる県民の健康の維持、増進を図る。」(県民健康調査検討委員会設置要綱より)

 

環境省の担当者は「中長期的に甲状腺検査を継続することで、科学的に被ばく影響の有無が明らかになる」との見解を示した。また現状、甲状腺検査は2036年まで継続されるという計画が出されている。これについて県民健康調査検討委員会および甲状腺検査評価部会の委員である大阪大学の甲状腺専門家・髙野徹氏から倫理的問題の指摘がされている。(「医師の知識と良心は、患者の健康を守るために捧げられる――福島の甲状腺検査をめぐる倫理的問題」

 

 

――福島の甲状腺検査の後者の目的(「2011年から現在までに福島で見つかっている子どもの甲状腺がんと、原発事故による放射線被ばくとの関係を科学的に考察する」)についてお伺いします。今の検査は、中長期的に検査を継続すれば、福島第一原発事故による放射線被ばくと住民の甲状腺への影響との関係が明らかになるようなものなのでしょうか。

 

明石 原発事故前に同じ規模の甲状腺スクリーニング検査は行われていませんので、現在福島の県民健康調査で行われている甲状腺スクリーニング検査は、先ほどのアカマツの研究と同様、「(もともと同地域で甲状腺スクリーニング検査をするとどのくらいの症例が発見されるのかなどの基本的なデータがないまま)福島で甲状腺スクリーニング検査をしてみたらこのくらい見つかりました」という研究に過ぎないということになります。

 

加えて、受診対象者の生活環境や心身の健康状態などバックグラウンドの影響も十分に考慮されているとはいえません。

 

ですから、「スクリーニング効果について」「甲状腺がんの特徴」「甲状腺がん検診の有効性」など、検査に付随する個別の論文は今後複数出てくるかもしれませんが、福島第一原発事故による放射線被ばくと甲状腺への影響との関係そのものを明らかにするような、科学的に信頼性の高い論文は出てこないでしょう。

 

 

――もう一方の目的(「県民の健康を見守る」)について、「UNSCEAR2017白書」は、甲状腺検査による心理的な健康への影響に言及しています。

 

明石 心理的な健康への影響について言及するかどうかについては、UNSCEARでも議論がありました。「政治的な主体が甲状腺検査を始めるかどうか」ということについては、UNSCEARは助言も推奨もしません。ただ、検査によってわかったことについての論文は取り上げることがありますから、「甲状腺検査には心理的な健康へのリスクが伴う」という研究と論文が科学的に妥当であれば、それは報告します。【次ページにつづく】

 

 

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