このところ日本では裁量労働制の拡大に関することが話題になっています。一旦先送りになったようでありますが、経済界からは失望の声が聞こえる聞こえてくるようです。 しかしおそらく今後何らかの形で拡大した形で適用されるようになるでしょう。
しかし私は日本で裁量労働制を拡大することは、うまくいかないどころか、悲惨な状況に陥る労働者が増え、究極的には日本経済全体の活力をそぐのではないかと懸念しています。最近だした「バカ格差」という書籍でも書きましたが、これは日本における格差を拡大する要因のひとつになるでしょう。
私は日本と欧州を往復しており一部の人からはネオリベの人間だと思われてるようですが、私はリバタリアンですから、単に個人個人が自分の能力を最大限活かして、自由に暮らし、社会を活性化していくべきだと考えているだけです。
今の状況で日本で裁量労働制を拡大して導入することは、「個人個人の能力を最大に生かす」ことにはなりませんので反対しているわけです。
問題点1 労働時間を切り売りする職種にも適用
その第一の理由というのは、 裁量労働制というのは仕事の結果をアウトプットの質や量で話される職業に適用されるべき 仕組みであって、労働時間を売って報酬を得るような業種には合わないということです。
例えば研究者や経営コンサルタント、作家といった仕事はアウトプットの質や量などでその能力を問われる仕事です。
私が在籍していた経営コンサルティングの世界ではアウトプットのことを成果物と呼びます。
顧客に提供するアイディアや情報が報酬を得る源泉になるわけですから、作成する文書やプレゼンテーションには最大限の努力を払います。またメッセージがうまく伝わるようにプレゼンテーションや会議での発言を工夫します。
顧客が満足すれば高い報酬を得られますから、何時間働いたかということには意味がありません。
一方で例えば一部の営業職や販売員、オペレーション、 サービス業、介護職といった仕事には形になって残る成果物というのがありませんから、「労働時間」を切り売りすることになります。何時間働いたかということが大変重要になりますので、裁量労働は適切ではありません。
ところが日本の場合は、裁量労働制を実際は労働時間を切り売りする仕事にも採用しようという話です。強引に職種名を変えたり、部署を作ってしまったりします。これは大変恐ろしいことです。労働時間を売って一時間いくらでお金をもらうような人達に際限なく仕事させようという魂胆が背景にあるわけです。 元々安い賃金の人たちを際限なく酷使できるわけですから経営側が歓迎するのは当たり前です。
問題点2 日本では職務区分があいまい
二点目に日本では職務区分がはっきりしないことです。
英語圏や欧州北部ではこれは当たり前の事なのですが「誰さんが何をやる」ということを文書ではっきりと明記します。 この文章のことを職務記述書(ジョブデスクリプション) 呼びます。
この文章はとても重要なものです。
なぜかというと「誰が何やるか」ということは、 組織設計の土台になるからです。
例えば誰さんは CRM システムのプログラマ、 誰さんは カスタマーサポート、夜間のネットワークの管理をやるということを決めます。
そして具体的な作業を決め、それに沿って市場標準の人件費を決めます。誰が何時間、どの程度働くかということを決めて、積み上げていくことで部署全体、会社全体の人件費というのはきちんと計算できるようになるわけです。
そして人間は機械ではありません。かならず疲弊しますから、 法律で決められた安全基準や休息時間の他に妥当な労働時間を考慮して、人員が円滑に働けるようにスケジュールを組みます。これは事故が間違いが起きないような環境を設計する上で大変重要です。無理をすればかならず事故が発生し、これは企業にとって大変な損失となります。
私の専門のひとつは ITガバナンスという仕事で、情報システム部などのIT業務を行う組織において「 誰が何をやる」ということを整理して統括する仕事ですから、まさにこの職務記述書の作成に関わってきました。
ところが日本ではこの職務記述書や権限分掌(誰が何をどこまで決める)というのが大変あいまいです。
曖昧だと お互いが助け合ったりするという点で良いところもあるのですが、IT 組織の点から見ると決して芳しいことではありません。
なぜなら誰が何をやってどのくらい働いた、ということが明瞭になりませんから疲弊する人や 具合が悪くなってしまう人が出てきてしまいますし、 正当な報酬を払うことができなくなりますから組織内に不平不満が溜まってしまいます。 結果、雰囲気が悪くなり生産性が低下します。
さらに1時間いくらでチャージする外部の方に プロジェクトなどに参加していただいた場合、適切な費用を計算できなくなってしまいます。
「誰が何をやる」とはっきりしておかないと、システムで何か問題が起きた場合にその原因を突き詰めるのに時間がかかります。
さらに、システムや情報へのアクセスはその人の業務によって厳密に決めなければなりませんので、曖昧だと漏えい等のリスクが高まります。
これは業務の流れの効率化を進めるのにも大変重要なことです。「 誰が何を」「どのくらいの時間をかけてやった」ということがわからないと、「全体では一体どのくらいの時間がかかるのか」「いくらの人件費がかかるのか」ということがわかりません。
わからなければ「どんな作業を削るべきか」、「何をデジタル化したらもっと早くなるか」、 「どの部分にシステムを導入したら間違いが減るか」などといったことがわかりませんから、効率化がなかなか進まないというわけです。
ですから英語圏の人や北部欧州の人々は職務記述書や権限分掌があいまいな日本の組織に関して大変な難色を示します。
コスト計算、品質管理、 要因の健康状態の維持、 プロセスの適正化と言った経営管理に重要なことがうまく進まなくなるからです。 また外部から監査の人が入った場合に大変な問題が起きてしまいます。 文書と実態の乖離は経営上のリスクですので、避けなければならないことです。
問題点3 法律や契約が守られない
その次の日本の問題というのは、法律や契約が守られないということです。これは日本の雇用慣習の最大の問題点でもあります。
労働法や 労働基準法はよく整備されていて、法治国家であるので労働者と雇用者側が雇用契約をきちんとを結んでいる社会なのにも関わらず、守られないことが当たり前になっています。
例えば日本の職場では雇用契約以外の仕事をやらせることが当たり前ですし、 そうしない人は村八分になってしまいます。ほとんどの職場ではサービス残業が当たり前ですし、 有給休暇も雇用契約書通りにとることができません。多くの職場では「違法行為」が行われているのです。
ところがこの 法律や雇用契約書をきちんと守るということは、裁量労働制を導入するにあたって大変重要なことです。
裁量労働というのは成果物に対して報酬を与える仕組みですから、 例えば 契約書に180ページの本を一冊かきあげたらいくら払いますということが書いてあったら、そのお金をきちんと払わなければなりません。「約束を守ること」が裁量労働制を導入することの前提になります。
ところが日本の場合、多くの働く人というのは雇用契約書に書かれていること、労働基準法に書かれていることは堂々と破られることを前提として働かなければなりません。 決め事はあるのにその実態は裁量労働が際限なく導入されているのと変わりません。
また裁量労働制が導入されても、労働時間や権限が自由ではなかったり、休暇の取得なども自由にならないことが多いです。
そのような状況は北米や北部欧州ではありえないことです。 約束を破る経営者や企業に対しては大変厳しい制裁が加えられるからです。
労働者は違反があった場合に労働裁判所などに訴えて莫大な賠償金を得ることも可能です。そしてそれは当たり前のことであるという合意が社会にあります。罰則があまりにも大きいので企業や経営者は法律違反や契約書違反を避けるようにします。契約書や法律を守った方が経営リスクが低いのですから、合理的な行動です。政府はこういった合理的な行動を促すように、法律や賠償金の徴収と行った形で市場に介入しているわけです。
ところが日本では企業に対するペナルティがあまりにも小さいですから労働法家契約書の内容を守ろうというインセンティブがわかないわけです。つまり、政府がやるべき役割を果たしていない、ということです。
約束が守られない、企業にに対してのペナルティが小さいということを無視をして、裁量労働制の導入だけを熱心にやるというのはどう考えても狂ったことです。 根本的な問題が解決されずにそれを悪化させるようなことをするのはどう考えてもおかしいのです。
そしてこの状況というのは外国の人から見た場合良いことではありません。日本では契約や法律を無視することが横行していますから、例えば外国の人が働きに来ようと思っても、日本では恐ろしくて働く気になりません。
経営側からしてもこれは好ましいことではありません。 なぜならコストがきちんと管理できませんし、 約束を守らないということはトラブルが発生する可能性が高いわけですから、経営的なリスクになるからです。
日本では社会全体がまだまだまだ封建的ですから、労働者側から経営者や政府に対して雇用契約が守られないことや、法律が守られないことに対して反論することができません。 上の人やお上に逆らうことは「 反社会的行動」と考えられてしまいますから、 労働者側からの働きかけでこのような慣習が変わることは期待ができません。
したがって、裁量労働制が拡大適用された場合、労働者はますます疲弊し、 賃金は下がり、賃金の下がった労働者は消費しなくなりますから日本経済は悪化していきます。 中流層は消え国はますます貧しくなっていくのです。年金も健康保険も介護保険も上がりますから、労働者の生活はもっと苦しくなるでしょう。