私は大学院で自然科学の学問を専攻している.現在修士課程の1年だ.
でも本当は,そろそろ社会に出て,社会の一員として働いてほしいと思っているに違いなかった.
ちなみに,大学院進学以降は親の援助を殆ど受けていない.主に自分のバイトした金と貯金と奨学金で通っている.
博士課程に進みたい,そしてまだ社会に出れなくてごめんなさいと手紙に綴った.
その返事が今日届いた.
母は,自分の人生なのだから,自分の目指す方向に行くのが一番良いと書いていた.
「でも」と手紙は続いていた.
この間世の中のことをあまり知らずに生きてきたはずです.
何かに打ち込むのは素敵なことです.でもそれだけではいけないのです.
世の中のこと,遠い国でのできごと,自然災害のこと,
自分の狭い世界に引きこもって,そういう周りの色々のことに無関心になって,想像力を無くしてほしくないのです.
世の中がどうなろうと我が道を行く,そんな傲慢さを持ってほしくないのです.
自分の外の世界で変わりゆくものごとを,心に刻んでいってほしいのです」
そう書いていた.
母の言いたいことはわかる.正論だ.
そして図星だった.
私は世の中のことに関心がない.
いつも遠い星のことや目に見えない場所で起こっていることなどを考えている.
毎日たくさんの計算用紙に埋もれ,パソコンのモニターを見つめて,
そうしていると時間が,日々が,あっという間に過ぎ去ってしまうのだ.
それでもまだまだ足りないと,切実に思う.
でも,何かの片手間に適当にやっていたら,何にも辿り着けないと思うのだ.
この余裕のない毎日に,別のことに関心を持つすき間が一体どこにあるというのだろう?
母の言うとおり,
世界には困っている人がたくさん居て,たくさんの悲惨なことが起きている.
そして私は,人の役には立たないことに毎日夢中になっている.
母が望んでいるような,世界のできごとにちゃんと関心を持ち,社会性を保ち,人の役に立つことをする
そんな人間にはなれなかった.
そして,一番ショックを受けたのが
そういう立派な人間になろうという気があまり起きない という自分自身の気持ちだった.
当り前すぎてバカにされるかもしれないが,
私は困っている人が居たら助けるし,席もゆずるし,犯罪を犯したことはないし,人を騙したことはないし,ズル休みだってほとんどしたことがない.
贅沢だってしていない.
まっとうに生きているつもりだった.
それで,今やっと好きな学問を見つけて,それに打ち込んでいるだけだ.
私の人生なのに,これだけじゃいけないのだろうか?
母の言いたいことはわかるし,そうしたほうが自分にとっても良いはずだと思うのに,
頭のどこかで,それって本当に正しいの?と叫んでいる私がいるのだ.
私はどうやって生きていけばいいのだろうか?
世の中の「社会人」という名の会社員がそんなにしっかり世の中をとらえ考えられているかというとほとんどの場合そうでもない。 経済をとらえるには経済学が必要だし、社会倫理的な...
『世の中の「社会人」という名の会社員がそんなにしっかり世の中をとらえ考えられているかというとほとんどの場合そうでもない』って。これは本当にそうだなあ。すごく共感する。...
「自分がどこにいるか」より「自分が前を向いているか」が重要
好きにすれば良いんじゃない? どーせ、君の人生は他人から見れば意味のないものだ。 だからこそ、自分の責任で自分の思うがままにすれば良い。
名もなければ、財もない。 無からはじめることなのだ。 無に帰しても、悔やみはしない。 自分の命を、使いたいように使うだけだ。 わらってくれてもいい。 私ひとりの夢だ。...