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252 前哨戦
二百五十二
遂にファジーダイスを追い詰めた、ファジーダイスが追い詰められたと盛り上がる中、光の檻に捕らわれた怪盗が不敵に笑う。
「実に、見事だった。だが、このまま捕まる私ではない」
ファジーダイスがそう言い放つと、所長達の表情に緊張が浮かんだ。何を仕掛けてくるつもりか。力づく以外にも、この檻を破る方法を思い付いたのか。相手は、あの大怪盗である。所長は、その動きの全てを見極めるべく、ファジーダイスを凝視した。
「スリー……ツー……ワン──」
笑みを浮かべたまま、指を折りカウントを始めたファジーダイス。
何を仕掛けてくるつもりなのか。誰もが身構える中でカウントがゼロになり、所長達の警戒が最高潮に達する。その時、それは起こった。なんと、組合内に白い霧が漂い始めたのだ。
「なんと……これは!?」
白い霧で真っ先に思い浮かぶのは、ファジーダイスが得意とする睡眠毒だ。そして事実、その通りであるとばかりに、冒険者達が次々と昏睡していくではないか。
始めに戦士クラスの者達が。続いて慌てふためく術士達が、その睡眠毒によって床に倒れていった。
よく見ると、霧は冒険者達がいた背後から漂ってくる。つまり、そこに発生源があるのだ。
「いったい、どうやって!? ファジーダイスはここにいるのに!」
ユリウスが、驚愕したように声を上げる。彼らが使っている術具。その効果は光の檻で閉じ込めるだけでなく、対象の術が及ぶ範囲も制限するという効果があった。つまり、発生地点を指定するタイプの術の場合、それを檻の外に指定出来なくするというわけだ。
ゆえに、光の檻に閉じ込められたファジーダイスが、檻の外に術で睡眠毒を発生させられるはずがなかった。
だからこそユリウスは驚き、屈強な男達も慌てふためく。
「マスク着用!」
次々に組合員達が昏睡していく中、所長の号令が響いた。すると、その声で冷静さを取り戻したユリウス達は、腰の袋からマスクを取り出し、それを被る。
「おお! 確かに有効そうじゃな!」
所長達が装着したマスク。それは、数日前にミラがディノワール商会で購入したガスマスク、『安心呼吸マスク水陸両用タイプ』であった。
今こそ出番である。マーテル特製の果実によって強力な耐性を得ているミラだが、それは完全耐性ではない。いざという時に備え、ここぞとばかりにガスマスクを装着した。
と、そうしている間にも状況は進んでいき、いよいよ組合内で立っている者は、ミラと所長達、そしてファジーダイスだけとなる。
「しかし、なぜ術が……」
一先ず、睡眠毒はマスクの効果によって防げていた。しかし、そもそも光の檻の中から、どうやって術を行使したというのか。所長は、檻の中のファジーダイスを見据えて唸る。
と、次の瞬間だった。
「それは、至極単純な事。そもそも私は、そこにいなかっただけですよ」
うっすらと霞む霧の中に、ふとファジーダイスの声が響いた。しかしそれは目の前にある光の檻からではない。そこよりも離れた場所、霧の発生源がある方向からのものだった。
「まさか……!?」
ファジーダイスは未だに光の檻の中にいる。だが、全員が声のした方へ振り返ると、そこにはあろう事か確かにファジーダイスの姿があった。
いったい、これはどうなっているのかと、所長達の間に戦慄が走る。
すると間髪容れずに、そのファジーダイスの手から何かが放たれた。素早く構えをとる所長。しかしその直後、ユリウス達が小さな悲鳴のような声を上げた。
「どうした、ユリウス君!?」
所長が振り向くと、そこには糸のようなものでマスクを引き剥がされたたユリウスと屈強な男達の姿があった。
(今のは、降魔術じゃったな。《鎖蜘蛛の網糸》とかいうたか)
あっという間にマクスを三人から同時にからめとったファジーダイス。ミラは、その卓越した手腕に舌を巻きつつ油断なく構え直した。ファジーダイスの真の実力が不明である以上、マスクを取られたら睡眠毒にやられてしまうかもしれないと直感したからだ。
「う……すみません。所長……」
僅かの後、霧を吸い込んでしまったユリウス達が昏睡していく。それと共に彼らが手にしていた術具が転がり、光の檻が解除された。
と、その直後である。光の檻に捕らわれていたファジーダイスの姿が、そのまま掻き消えてしまったのだ。
「なるほど……。我々は、幻をつかまされてしまっていたわけか……」
その光景を目の当たりにして、所長は全てを察した。光の檻に捕らえたファジーダイスは、幻影だったのだと。
冒険者達に紛れていたところまでは、確かに本物だった。しかし冒険者の姿から、怪盗へと変じたあの時、あの瞬間こそが、ファジーダイスの仕掛けた罠であったわけだ。
つまり正体を現すと同時に、本人は幻影と入れ替わっていたという事である。正しく、怪盗らしい早業といえるだろう。
「まったく、見事だ」
どうやら所長も遂に、用意していた手札を使い切ったようだ。むしろ清々しいとばかりに笑い、ファジーダイスに向き直る。
「所長さんも流石でしたよ」
実に余裕をもって応えるファジーダイス。しかし、それでいてミラへの警戒も忘れていないようで隙は無かった。
「しかし、こうなるならば、ゆっくりと作業するように頼んでおくべきだったか」
漂う白い霧の奥を見つめながら、ぽつりと呟く所長。対してファジーダイスは、「そうされていたら、危ないところでしたね」と答える。
はて、二人は何を言っているのだろう。そう首を傾げたミラだったが、所長の視線の先を見て、その理由を悟った。
そこには、組合員の姿があった。ファジーダイスが持ち込んだ証拠品の解術をやり遂げた組合員達だ。
そう、つまりは彼らが解術の作業をしている間、ファジーダイスは広範囲に影響が及ぶ白い霧を使えなかったというわけだ。
しかし、《闘術》や適性検査やらで時間がかかり過ぎたため、その作業も終わり、同時に範囲睡眠という常套手段が解禁されてしまった。その結果、残ったのは車椅子の所長と、ミラのみである。
「ふむ……つまり探偵対怪盗は、これで決着という事じゃな?」
状況からそう判断したミラは、改めるようにしてそれを口にした。毎回繰り広げられているという、所長とファジーダイスの戦い。今回もまた、ファジーダイスの勝利という形で決まったと。
「ああ、そうだ。私の負けだ。付き合わせてしまってすまなかったね、ミラさん」
多くの策を用意して始まった推理戦。所長は悔しそうに敗北を認めるも、その顔には笑みが浮かんでいた。そしてミラへと向けられた目には、ここから何をするのかという期待に満ちたものだった。
「構わぬ構わぬ。実に良い勝負を見れた気分じゃ」
そう答えたミラはファジーダイスに向き直り、改めるようにして言い放つ。「さて、次はわしの相手をしてもらおうか」と。
「確か、精霊女王、と呼ばれる冒険者の方でしたね。相当な実力者だとお聞きしておりますよ」
答えると同時に、ファジーダイスはその手から糸を放ち先制した。その動きは最小でいて、糸は最速。瞬く間にミラの顔にまで迫る。マスクを剥ぎ取るつもりのようだ。
その瞬間だ。ミラもまた最速で召喚術を行使してみせた。
「随分とせっかちじゃのぅ。じゃが、その手は一度みせてもろうたのでな」
一瞬の内に出現した塔盾が糸を防ぎ消えていく。ミラは何事もなかったとばかりに動かないまま、挑発するようにその場でふんぞり返った。
「今のは、ホーリーナイトの……。なるほど、どうやらこれまでの者達とは違うようですね」
ミラの実力の一端を理解したのか、ファジーダイスに明確な警戒の色が浮かんだ。
(ふぅ……今のは危なかったのぅ!)
対してミラもまた、ファジーダイスの腕前に冷や汗をかく。傍から見ると余裕そうだったが、実は相当にギリギリであったのだ。
互いに警戒し合う二人は、まるで映画の決闘シーンのように、ゆっくりと円を描きつつ、じりじりと間合いを窺う。
そうして十秒、二十秒と膠着状態が続いたところで、遂に状況が動いた。
今度は、複数の糸を飛ばしてきたファジーダイス。しかしそれらは、ミラだけでなく組合内の壁や天井、そして床に次々と放たれ張り付いていった。
「ぬ……今度は《滝蜘蛛の網糸》か!」
またも素早く部分召喚した塔盾で直撃を防いだミラは、周囲を囲むように張り巡らされた糸を見て、それが何かに気付く。
白い霧でわかり辛いが、泡の浮いた糸。それは降魔術の蜘蛛糸系において、最高の粘着性と柔軟性を誇る糸であった。
(このような閉所で網を張ってどうするつもりじゃ)
下手に糸に触ればべとべととくっついて、身動きがとれなくなってしまう。そのために大きく動きを制限されたミラ。しかし、それではファジーダイスも同じ状態に陥るはずだ。
これでどう戦うつもりなのか。そうミラが疑問を抱いた時である。
封鎖されていた組合内を、不意に風が流れたのだ。
「それではお嬢さん。私にはまだやる事が残っているので、ここで失礼させてもらいますよ」
風によって白い霧が晴れていく中、ファジーダイスの声が響く。見ると開け放たれた扉の傍に、怪盗の姿はあった。
「な……なんじゃとー!」
これから怪盗との決戦が始まる。そんな気分でいたミラは、逃走という選択肢を完全に失念していた。対してファジーダイスはといえば、始めからそのつもりであり、間合いを窺いつつ、最も出入り口が近くなるタイミングを計っていたわけだ。
こうして、あっさりと逃走を選んだファジーダイスは、爽やかな笑みを残して堂々と出入り口から脱出していくのだった。
「おのれ……ちょこざいな」
霧が晴れた組合内。そこには、これでもかというほどに蜘蛛の糸が張り巡らされていた。憤るミラはダークナイトを召喚して、それを豪快に引き千切らせていく。
「この状況からして、ファジーダイスは降魔術士であるとみて間違いないようだね。やはり私の推理通りだった」
これだけの事が出来るのは、降魔術以外にはあり得ない。これまでは予想だったが、それが確定したとして所長は上機嫌な様子だ。
「しかも、とんでもない実力者じゃ。まったく!」
どうにも蜘蛛糸の粘度と柔軟性が相当に強化されているようで、ダークナイトの力をもってしても、それを払うのには苦労していた。斬りにくい柔軟な糸だが、それは得物を聖剣サンクティアに換装する事で解決した。
しかし問題は、その粘着性だ。切れると同時に大きく弛む糸が、ダークナイトに巻き付いて完全に動きが封じられてしまうのだ。
三、四本を斬ったところで送還し、再召喚する必要がある。百近く張り巡らされた糸に対してこれでは、実に効率が悪い。
かといって、効率を重視する事も難しい。もっとも簡単に済ませられるのは、火だ。《滝蜘蛛の網糸》は、火で簡単に除去出来る。ただ、高い可燃性をもつため、室内かつ昏睡する者が多くいるこの場でその手段を用いる事は厳禁だ。
ゆえにミラは、地道な除去作業を余儀なくされていた。ファジーダイスの後を追うにしても、もう暫く時間がかかりそうである。
蜘蛛糸との格闘を始めてから、三分と少々。マナ量に物を言わせたダークナイトの波状作業によって、ミラは出入り口までの道を確保する事に成功した。
「ミラ殿。もしや、今から追いかけるつもりか?」
未だ諦めた様子のないミラに、所長は問うた。時間にすると、たかが三分程度だ。しかし怪盗ファジーダイスならば、その三分でどこへなりとも消え失せてしまえる。その事をよく知っているからこそ、今から追跡するのは難しいと所長は考えていた。
先程までの状況は、ファジーダイスがここに来る事がわかっていたからこそである。だが、一度解き放たれてしまえば、もう捉える事は不可能だと所長は言う。
だが、その言葉は、あくまでも一般的見解だ。所長は、そこから更に言葉を続けた。「その目からして、何か策があるようだね」と。
「うむ。その通り、こういった時のために備えておいたのでな」
「流石はミラ殿だ。して、どのような策を?」
ミラが自信満々に答えたところ、所長は深い興味をその顔に浮かべた。真の作戦は伏せたままだったにもかかわらず、未だ有効なミラの備えとは何なのかと。
「なに、単純な事じゃ。わしの優秀な仲間達が見張っておるというだけのな」
そう簡潔に答えたミラは、残りの蜘蛛糸は目を覚ました冒険者達に頼んでくれと告げて、組合を飛び出していく。
「なるほど……。召喚術だからこその手か。面白い」
ミラの策を理解した所長は、召喚術の可能性について想像を膨らませながら、一先ずユリウスを起こしてしまおうと車椅子を進ませるのだった。
最近温かいなぁと思っていましたが
そういえばもう3月でしたね……。
暦の上では、春ですよね。そりゃあ温かいわけです。
となれば、今年もあれですよ。春のパン祭りです。
ダイエット継続中とはいえ、お祭りとなれば集めないわけにはいきません。
ホワイトデニッシュショコラ美味しいです。
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