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2016/10/05

大型パラボラアンテナの時代

昔のSFチックな映像作品だと、やたらとパラボラアンテナが並んでいたものだけれど、その近未来感は、大容量の海底ケーブル、地上回線、携帯電話網に置き換わりつつある。 先進国では、アンテナという用語を、画面隅のピクトグラム以外に意識しない世代が育ちつつあり・・・

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府中には浅間山(せんげんやま)がある。 標高は80mほどだが、林の中は整備されていて居心地が良い。自転車散策の途中で立ち寄ってのんびりする場所の一つ。

整備された登山道を登り、新小金井街道が見渡せる場所に立つと、北西の方角も森になっていて、木立の間から、パラボラアンテナが2基そびえ立っているのが見える。



 写真は4月に撮影したもの。

 もともと在日米軍の通信設備で、調べるといろいろな資料が見つかる。
冷戦当時は全国に同様の中継局が置かれ、専用回線を構成していた。
返還後も解体されずに朽ちるままとなっているようだ。

 このパラボラは、対流圏散乱波通信に使われていた。
見通し外通信の一種で、対流圏で僅かに電波が散乱されることを利用する。
電離層を利用する短波帯などと比べ、太陽活動や季節の影響を受けにくい利点がある。 ただし、減衰が大きいため大掛かりなアンテナと送受信設備が必要になった。

見通し外通信といえば、月を利用するものもある。 文献を漁ると、宇宙開発初期の時代には、NASAが世界各地の深宇宙局の時刻同期をとるために、月面反射通信を利用していたという。 もっとも、当時は原子時計がまだ大規模すぎて、各地に配備できなかったという事情があるようだ。

 こうした設備も、60年代からは衛星通信などに置き換わっていった。
 60年代の通信衛星についてのドキュメンタリーがYoutubeで見られる。 通信衛星といっても、パッシブな風船、エコー衛星と、商業衛星として有名になったテルスターについてのもの。 どちらも初期特有の独特な衛星だ。



 宇宙に中継点を置くために試行錯誤していた時代。 アンテナの形態も、技術や周波数、通信対象の変化で時代とともに移り変わっていく。 最近は老朽化した大型アンテナの解体や、更新の時期にあるようなので、いつまでも建っているとは限らない。

 今後大型アンテナを町中で見かけることはなさそうだけれど、 宇宙の観測や探査機の通信でなら、まだ使う機会に恵まれることがある。 近くで大きなパラボラアンテナをみると、スケール感というか、視覚が騙されて面白い。

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