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【社会】

<憲法を見つめて 福島の権利>(下)個人の尊重、奪うな 「生業を返せ」。声を上げ主権者になる

福島第一原発事故の集団訴訟で国と東京電力の賠償責任が認められ、福島地裁前で掲げられた垂れ幕=昨年10月10日

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 衆院選が公示された昨年十月十日午前、首相の安倍晋三(63)は福島市の農村部を第一声の場に選び、震災復興を前面に押し出した。

 一方、同じ日の午後、東京電力福島第一原発事故を巡る全国の集団訴訟のうち、原告数が最多約三千八百人の「生業(なりわい)訴訟」の判決が福島地裁であった。裁判長は国と東電の責任を認め、賠償金の上積みだけでなく、対象範囲を茨城県の一部地域まで拡大した。

 生業訴訟の正式名称は「『生業を返せ、地域を返せ!』福島原発訴訟」。農家は先祖代々の田畑を汚染され、漁民は豊かな漁場を奪われ、生活を立てるための仕事(生業)を喪失した。

 「首相は『国難突破解散』と言ったが、この判決こそ国難突破判決だ」と強調するのは、原告弁護団事務局長の弁護士、馬奈木厳太郎(まなぎいずたろう)(42)。「原告たちは被災者のまま終わろうとせず、自らの力で困難な状況を突破しようとした。憲法に『国民主権』とあるだけでは主権者になれない。主権者として行動することで初めて主権者になれる。憲法の実践がまさに生業訴訟だ」

 提訴は原発事故から二年後の二〇一三年三月。よりどころは、「すべて国民は、個人として尊重される」と個人の尊重や幸福追求権を定めた憲法一三条だ。訴状にはこう記した。「憲法の理念に立ち返り、『個人として尊重される』という意味を問い直すことが必要ではないか」

経営するスーパーでアイナメをさばく「福島生業訴訟」原告団長の中島孝さん=福島県相馬市で

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 福島県相馬市でスーパーを経営する原告団長の中島孝(67)は原告団の会合が開かれるたびに、「憲法を読もう」と呼び掛ける。

 地元の漁港から仕入れた魚が評判の店だった。それが事故後、漁業者は放射能被害で全面操業停止に追い込まれ、県外産に頼らざるを得なくなった。最近は試験操業で揚がる魚種も増えてきたものの、「お客さんは放射能の心配に疲れ果て、忘れたふりをしているだけのように感じる。自信を持って商売できない」といら立ちを隠さない。

 落ち込んだ時にひもとくのが憲法だ。「不安がることが風評被害につながるとか、裁判は復興の妨げになるとか言われるが、不安なものは不安だ。憲法は、不安がるのも権利だと背中を押してくれる」

 その憲法を変えようとする動きが急だ。自民党が野党時代の一二年にまとめた憲法改正草案は、一三条の「個人」を「人」に言い換えた。同党は草案を「そのまま提案することは考えていない」として事実上封印し、現在の改憲項目に一三条は入っていない。しかし、中島は「あの草案が自民党の本音だろう。個人を尊重する気持ちがないのではないか」と警戒する。

 原告の久保田美奈穂(39)は息子二人とともに、住んでいた水戸市から那覇市へ避難した。沖縄とは縁もゆかりもなかったが、原発のない場所に行きたかったという。「国を信じていたが、守ってくれなかった。今も事故や震災を思うと、胸がドキドキする」

 原告側は「国の責任を明確に認めたことは評価できるが、賠償の水準や対象範囲が不十分」として仙台高裁に控訴、国と東電も控訴した。久保田は覚悟する。

 「沖縄の基地問題でも多くの人が声を上げている。黙っていてはまた事故が起きる。声を上げ続けることが私にできることです」 (文中敬称略、佐藤圭)

 

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