『児童虐待から考える 社会は家族に何を強いてきたか』(朝日新書)
1月29日、衆議院第二議会会館にて、自民党が国会提出を目指している「家庭教育支援法案」の問題点や懸念を示す集会が「24条変えさせないキャンペーン」によって開かれた。
2017年2月の朝日新聞によれば、「家庭教育支援法案」には、「家庭教育を『父母その他の保護者の第一義的責任』と位置づけ」、「子に生活のために必要な習慣を身に付けさせる」ことや、支援が「子育てに伴う喜びが実感されるように配慮して行われなければならない」ことなど」が盛り込まれ、さらに素案段階には存在していた「家庭教育の自主性を尊重」が削除されている、という。また、家庭教育の重要性や理解、施策への協力を、地域社会の「役割」(責務から役割に変更された)とも規定されている。
ここからわかることは、「家庭教育支援法案」には保守的な家族規範を強化、公権力が家庭に対して介入する可能性があること、そして地域社会によるプライバシーの侵害や監視社会化など、様々な危険性があるということだ。「家庭教育支援法案」の何が問題か、29日に登壇した弁護士の角田由紀子さん、室蘭工業大学大学院准教授の清末愛砂さん、ルポライターの杉山春さんの発表の様子をお送りする。
・家庭教育支援法案は、再び「女・子ども」を底辺に押しやりかねない
・家庭教育支援法案が家庭内の暴力防止になりえない理由
・家庭教育支援法案によって虐待やネグレクト、引きこもりは防げるか
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ルポライターの杉山春です。私は今まで児童虐待について3つの事件を取材してきました。今日は、現実でどういうことが起きていて、子どもがどういう形で亡くなっていくのかについてお話したいと思っています。
2000年、児童虐待防止法が作られた年に、愛知県武豊町で3歳の女の子がダンボールに入れられ餓死するという事件がありました。この事件について私は『ネグレクト 真奈ちゃんはなぜ死んだか』(小学館文庫)という本で発表しています。それから10年後、大阪府西区で3歳の女の子と1歳半の男の子が、風俗店の寮に50日間放置され亡くなった事件を取材し『ルポ虐待 大阪二児置き去り死事件』(ちくま新書)を書きました。そして昨年12月に出した『児童虐待から考える 社会は家族に何を強いてきたか』(朝日新書)では、2014年に厚木市で発覚した事件について書きました。今日はこの厚木事件についてお話をします。
厚木事件は、5歳の頃に亡くなった男の子が、7年4カ月間、厚木市内のアパートに放置され、白骨死体で見つかったというものです。家はゴミ屋敷で、子どもが出ていけないように外側から扉に粘着テープも貼り付けられていて、当時37歳だったトラック運転手のお父さんを「本当に酷い父親だ」と批判する報道がなされていました。
一審の裁判では、子どもは亡くなる1カ月間前にはガリガリの姿をしていたはずで、医者に見せることも家族にSOSを出すこともしていなかったのは殺意があったからだ、ということで、お父さんには殺人罪として19年という非常に重い判決が下っていました。
実は私は厚木事件に直接関わってしまっています。最初の判決の後、亡くなった男の子は白骨遺体で見つかっているため、本当にガリガリだったのかわからないのではないかということを法医学の先生たちから伺い、弁護士に伝えました。どんなにまるまるとした男の子だったとしても、7年も経てばそのことがわからないような姿になってしまうそうです。二審では、保護責任者遺棄致罪として、12年の判決が下っています。
厚木事件が他の事件に比べて特徴的なのは、お父さんが子どもの存在を一切周囲に伝えていなかったことです。一度だけ、お母さんが子どもを置いて家出したときに、児童相談所に繋がってはいるのですが、そのときは迷子ということにされ、児童虐待という判断はされませんでした。そのため社会が、この家に子どもがいること、困っている家族がいるかもしれないということがわかっていなかったんです。
裁判を傍聴する中で、この家は雨戸が締められ、真っ暗闇のゴミ屋敷で、電気、ガス、水道も止められていたこと、父親はそんな家に2年間、朝晩帰っていたこと、子どもにはおにぎりやパン、コンビニ弁当や飲み物を与え、おむつも替えていたこと、一緒に寝たり遊んでいたりした形跡があることなどがわかってきます。
はたから見れば圧倒的に不思議な子育てですが、実はお父さんには軽度な知的障害がありました。知的なハンディがある中で子育てをしている方への支援者に取材したところ、知的なハンディは、トラック運転のような具体的なことはできても、自分や子どもが将来どうなっていくのかなど将来を見通すことや、必要な情報を社会からとってくるといったことが苦手だそうなんです。
実際、このお父さんはトラック運転手としては評価Aを得ていたそうです。求められることには従順なのですが、いま何に困っているのか、どういう支援がほしいのかといったことを社会に向かっては言えないタイプのお父さんだったんですね。亡くなった男の子はもう少ししたら小学校に入るはずだったのですが、深く考えたことはなかったと言っていました。児童相談所があることも知りませんでしたし、保育園のことは知っていても、早朝の仕事なので無理だと思った、とも言っていました。
もうひとつ裁判の中で明らかになったことは、お父さん自身も精神障害を持っているお母さんに育てられていた、ということです。私はお父さんと拘置所で話したり、手紙でやりとりをしたりもしています。いろいろと質問する中で、お父さんに「あなたの小さい時の記憶は何歳からありますか?」と聞いたところ、「12歳」と答えました。1歳年下の妹さんに同じ質問をすると、「11歳」と答えます。この年齢というのは、お母さんの病気が明らかになり病院に入院し、家庭の中におばあちゃんが入っていった年なんです。「あなたは小さい時に三度三度ご飯を食べていましたか?」と聞いても、「記憶にない、おばあちゃんが家に来てからは三度三度ご飯を食べていた」と答えていました。
子育てというのは、親からしてもらったことをするところがあります。ですからこのお父さんのように、母親の記憶がない中での子育てというのはとても難しいところがあります。
また、お父さんは県立高校卒業後、専門学校にはかなり無理な入り方をしていて、片道3時間もかかるような学校に通っていました。もしかしたらご家族にも、判断をする力がなかったのかもしれません。そういう中で、高校にも通えなくなってしまい、社会にうまく繋がっていけなくなってしまいます。
退学後、お父さんはアルバイトを経て、ペンキ職人になります。ところがペンキ職人は、雨が降ると仕事がなくなってしまうため、収入も減ってしまいます。また、その頃に17歳の女の子が転がり込んできて妊娠します。周囲に認めてもらい結婚し、家族を作るのですが、お金が足りなくなることも増え、借金の問題を抱えるようになります。そこで正社員のトラック運転手に転職しました。
トラック運転手というのは、荷待ちなどがあるため、293時間という長い拘束時間が公的に許されている職業なんですね。次第に、夫婦間の喧嘩も増え、10代のお母さんと23歳のお父さんはうまく子育てができず、さらに実家との関係もよくない、という孤立状態に置かれていきます。そして、お母さんは家を出ていき、残されたお父さんは先程お話したような子育てを2年間続けていました。
愛知県武豊町で事件が起きた2000年に比べて、現在は公的な支援も多様になり、研究も進んでいます。そうした中で、子どもを殺してしまうほどの親というのは、実は幼いときから社会に助けられた経験がなく自分たちの思いに親が応えてくれた経験もなかったことがわかってきています。社会への不信感がとても強く、さらに「家族であれば子育てをきちんとしなければいけない」という感受性を、どの事件の親も持っている。だからこそ、自分が子育て出来ていないこと、うまく生きられない自分を隠してしまう、そして子どもがネグレクトされてしまうんです。
家族規範は昔よりゆるくなっていると感じている方もいるかもしれませんが、現場で取材をしていると、お母さんであれば子育て出来なければいけないとか、家族でしっかり子育てしなければいけないという思いを強く持っている方は多くいます。そんな人たちに「あるべき家族像」を示したとしても、助けを得られるということも知らないわけですから、その家族像に自分を当てはめようと今まで以上に頑張ってしまいかねません。
大阪の事件では「子どもを放置した風俗店の女性」と報道されていましたが、取材してみると、お母さんとして頑張っている時期があったんです。頑張れていたときは、生活している町が用意している子育て支援のメニューを全て使っていて、頑張れなくなったときに公的な支援に頼れなくなっていったことがわかってくるんですね。
虐待事件を取材する中でお伝えしたいことは、子どもを虐待死させた親は子どもをしっかり育てたいと思っていた時期もあったということです。でも、困難な家ほど、家族規範が強く、自分ひとりで頑張ろうとしてしまう。社会に向かって必要な情報や権利をとってくるというのは知的な能力や他者とのコミュニケーション能力を必要とすることです。そういう力が乏しければ乏しいほど、家族規範や社会規範を内面化し、「一生懸命頑張ればうまくいくはずだ」と思い、どんどん追い詰められていくのだと思います。
最後に、厚生労働省が昨年8月に出した、「新しい社会的養育ビジョン」についてお話させてください。
この「新しい社会的養育ビジョン」と家庭教育支援法案は、どちらも家庭の中に公的な権力が入っていくものとして不安を抱く人がいるかもしれません。違いが見えにくい部分があるのですが、「新しい社会的養育ビジョン」は、家族で完結して子育てしなければいけないという価値観は、社会の周辺部で、いろいろな意味での困難を抱える人達にはもう無理だということで、どういう支援を入れるべきかを考えるための新しい動きなんですね。育児が困難な家庭から子どもを引き取ってしまえ、という話ではなく、地域の中で子どもも親も支援していこうというものです。家族規範に縛られて子どもに適切なケアができなくなっている家族に、子どもを権利の主体として、最善の利益を実現するために、その家族が必要とする支援を届けることを考えています。
誤解されたまま、「新しい社会的養育ビジョン」が潰されてしまう可能性もあるので、家庭教育支援法案とは違うものだと理解していただければ、と思います。