エアギア再読した

エアギアを土日で1巻から最終巻まで再読した。

化物語のコミカライズを大暮維人が担当するってことで Twitter でもフォローしてる人たちが色々言っていた。

大暮維人の作品はどちらかと言うと「面白くない」とか「セリフ付きの画集」とか言う人の方が多いように見える。

正直、僕も「エアギアや天上天下を通しで見て面白いか」というところは自信を持って面白いと言えなくて、連載当時もあんま深く考えずに刹那的に楽しんでいた。カズかっけ〜とか俵文七かっけ〜〜とか。

連載でエアギア最終話読んだときは「よく分からん」って感想で、コミック最終巻でも「よく分からんけどエモい」みたいな感想だったことをさっき思い出した。

エアギアの連載終わってから5年以上経って、その後も色々漫画やらなんやらを嗜んで、多少目が肥えた(かもしれない)今読んだらどう感じるんだろう?もしかしたら全然面白くないじゃんってなったりするのかな?って思って読んでみることにした。

再読前は「俺は好きだけど、もし人に勧めるとしたらベヒーモス編まで」って感じで、再読後は「俺はめちゃくちゃ好きだけど、もし人に勧めるとしたらやっぱりベヒーモス編までかな」って感じだった。画集として読むなら天上天下のほうが描き方をいろいろ試している様子があって面白いと思う。

たぶんコミックだと10巻くらいまで。それ以降は、人を選ぶと思う。

以下はネタバレとかあるかもしれない感想文。

もし10巻以降も読むとしたら、この漫画は1巻で林檎が一樹に言っていた「本当は翔べるんだ」ってことを読者にも言ってくれようとしてるって思って読むと分かりやすいのかもしれない。

思えば、エアギアの登場人物たちは、一樹含めて「1cm」を飛び出している。ガチの凡人として描かれていたカズも、エミリも中山も。 それは自分だけの力で飛び出した一歩じゃなくて、「あいつら」だったり「過去」だったり「想い」だったり。 それが登場人物たちの翼になって、みんな飛んでいた。

僕は最終巻でそうやって応援してくれてるように感じて、ボロッボロに泣いた。

これ書いてる間にも、脳内に存在する大暮維人アンチが色々と批判しているんだけど、やっぱり僕は大暮維人の漫画が好きだな〜と思った。