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第3話 帰還者、無力さに啼く
コミックウォーカー様、
https://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_MF00000065010000_68/
ニコニコ静止画様、
http://seiga.nicovideo.jp/comic/33153?track=top_push
第三話 帰還者、無力さを嘆く。
刑事さんたちが立ち去った後、お医者様は改めて『前野浩一』と名乗った。
今後の治療方針について軽く話した後は、割り当てられた病室へと案内された。
個室へと案内してくれた付き添いの看護師さんも早々に部屋を後にして、部屋には俺と舞の二人きりになる。
「……まさか、留年してるとはなぁ」
何から話せばいいか分からず、俺はそんな言葉をつぶやいた。
一年以上の記憶喪失、魔法陣に粒子と消えた集団失踪、そして、一人だけ戻ってきたらしい自分。
「一年、一年かぁ……。流石に長いな」
時間を置いたせいか、少しずつ理解しがたい現実が実感を持ち始めていく。
あり得ないと聞いた話を受け入れなかった理性に、ジワジワと染みこんでいく。
「……なぁ、舞。本当に、健太や末彦はいなくなっちまったのか?」
それでも俺は、この期に及んで『全部冗談でした』なんて言葉を期待しながら問いかける。けれど、舞は家族にしかわからないぐらい少しだけ悲し気に目尻を下げて、フルフルと首を振った。
「……舞の知ってる兄様の知り合いで、居場所がわかってるのは悠斗さんだけ」
「! 悠斗は無事なのかっ!?」
「珍しくて大きな事件だから、公開捜査になってる。学校から消えた人たちの一覧も見れる」
バッグからスマホを取り出した舞が、細い指で画面をしばらく操作する。
「……これ」
少しして手渡された端末の液晶に映るのは警察のホームページのようだった。
情報を求める但し書き簡素にまとめられたリストを下へとスクロールしていく。
そのリストには、はっきりと『伊藤末彦』『木田健太』と、俺の親友達の名前が載せられていた。
それだけじゃない、俺の記憶にあるクラスメイトのほとんどがそのリストに記載されている。
「なんで……、こんな……」
漏れ出した拒絶の声に意味はない。
そこにあるのはただの文字の羅列で、なのに、それを眺めているだけで胸がジクジクと痛む。
耳の奥で、あの刑事さんが言っていた言葉が反芻する。
思い出せない空白の中に、彼らを見つける手立てが在るのか。
(何かがあったんだ。どうして俺は何も覚えてない……。くそっ、俺は何を……)
しかし、何かを思い出そうとすると、ドンドンと泥沼にはまり込んでいってしまうような感覚ばかりが強くなる。
焦燥にも似た喪失感は心の内で俺の不安を煽り、ドクドクと血を巡らせていく。
「……兄様、もう寝てください。その落ちぶれた薄汚いドブネズミのような顔色を舞はこれ以上見るに堪えません」
ヨヨヨ、と泣いたフリををしながら、我が妹様は機敏な動きで俺の手から端末を奪い去る。
記憶通りの話し方で、いつも通りの俺への気遣いで、けど、確かに思い出の中の舞よりも成長した姿に違和感が浮き彫りになる。
俺が知らない時間がある。俺が忘れた時間が過ぎている。
消え去った虚ろの奥底に、なにか、何か大切な想いを……。
「……っ!」
頭痛がした。
ひどい頭痛だ。ガンガンと鳴り響いて、皮膚と骨の間を炎が焼く様な痛みが走る。
「いいから、今日は寝てください兄様。あまり無茶をすると、元からの凡庸な顔が本当に舞以外には二目とみられない造形に歪んでしまいます。この妹、それはとても忍びなく思います」
「あぁ、そうする。悪いな、心配させて」
意識するとドッと疲れが湧き上がってきて、眠気が襲ってきた。
時間はまだ夕方と言っていい時間だが、あまり耐えられそうにもない。
色々考えるのは後にしようか。
そう考えて、俺がベッドに体を横たえると、そっと舞が布団をかけてくれた。
うむうむ、たまには病院も悪いもんじゃない。妹の愛を感じますな。
口に出したら耳をひねり上げられそうだから言う気はないけどね。
「……不出来な兄様を矯正するのは、舞のお役目だからいいのです。だから、もう、これ以上……」
「? ま、い……?」
舞は珍しく開いた口を曖昧に閉じる。
少し気になったが、俺は布団の暖かさに耐えきれず、瞼を閉じた。
☆
「僕のせいだ。ひっぐ、僕のせいだ……」
部屋の隅で、小さな子供が泣いていた。
いや、泣いていたのは子供じゃない、俺だった。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
昔の、古い夢だ。俺に焼き付いた、ちょっとした古くて苦い記憶。
父さんと母さんは仕事で家を空け、家には小学生になったばかりの俺と舞だけしかいなかった。
病弱だった舞はあまり家の外に出られずにいて、その日も朝に少しだけ熱が出て家で寝ていた。
『舞、何かしてほしいことないか? そうだ、絵本を読んであげようか』
『絵本は、いい。それより、おてて、つないでほしい』
『そんなことなら、いくらでも』
熱を帯びて湿った手のひらに、呆けて見える表情。
『おてて、あったかい……』
『他には? 何かしてほしいことはないか?』
『別にいい……。何もしなくていいから……、あに、さま、側にいて……。寂しいの、やだ』
『わかった、うん、ずっとこうしてる』
弱ると素直になってひどく甘えたがりになる舞。
その手を握っていると、次第にうとうとと寝入っていった。
寂しがりやの妹のことが、俺は可愛くて仕方がなかった。でも、いつもは舞が体調を崩すと父さんか母さんが舞の側にいつもついていて。けど、その二人は今はいなくて。
妹の面倒を見れる大人な自分に酔っていた。
捻くれた態度ばかりの妹が、素直に甘えてくるのが心地よかった。
弱った妹に、妹が頼れるのは自分だけという状況に、優越感めいた独占欲すら感じていた。
あの頃から俺は間違えてばかりだった。
何が一番大切なことなのか、自分の想いさえ定かにできなくて。
だから、寝ている妹を置いて、俺は外に出た。舞が好きなリンゴ入りのヨーグルトを買いに、数枚の硬貨を握りしめて近くのコンビニへと向かった。
目を覚ました時、舞がきっと喜ぶと思って、簡単に約束を破った。
舞が何を望んでいるかなんて何も考えず、寂しがっている舞を置いていった。
そうして、『ずっとこうしてる』と言った舌の根も乾かないうちに、舞を一人きりにして。
舞が側にいない俺を探して、家から出て車との事故に巻き込まれた。
「神様、お願い、舞を助けて……」
救急車に乗せられた舞の姿が見えなくなって、暗い穴へと飲み込まれて戻ってこない気がした。
一人きりで待つ家の中が、こんなに冷たくて寂しいなんて考えもしなかった。
こんな想いをさせて、俺はお兄ちゃんなのに、なんて情けなくて醜くて。
俺は小さな箱に閉じこもるように、膝を抱えて震えていた。
☆
「んぁ、んんーっ、あぁ……」
目覚めの感触は、さほど悪くなかった。
スッと浮上した意識は、けれど、夢見の後味の悪さがまとわりつく。
「もう夜か……、弱った。変な時間に起きちまった」
思ったよりも眠りは浅かったらしい。
暗い病室で光る文字盤は、夜の八時を過ぎたくらいの時間だった。
計器が鳴らす規則的な音だけが響く個室は、どこか無機質で人の気配が感じられなかった。
心から熱を奪っていくような静けさは、舞の帰りを待っていた誰もいない家の中を思い出す。
あの時に舞が事故にあって入院したのも、この病院だ。
昔の夢を見たのは、そのせいかもしれない。
ベッドの脇に置かれた台の上には『また明日、着替えを持ってきます。目が覚めたらゆっくりと噛んでご飯を食べて、大人しく死んだ魚のように横たわって安静にしてください』と、相変わらず余計に捻くれた一言を付け加えたメモがあった。
「……のど乾いたな」
のどの渇きを意識すると、気にしていなかった空腹感も戻ってくる。
病院って病院食とかでないのだろうか?
舞のメモにも書かれていたけど、もしかして、寝てたからもう下げられちゃったとか?
「……ナースコール、は大げさだよなぁ。具合が悪いわけじゃないし。売店みたいなところを探して何か腹に入れるか」
と、そんなことを考えたところで、手元にお金がないことに気づく。
袖机の中身もあさってみたが、財布も携帯もなかった。
「うぐぐ……、とはいえ、この空腹感はいかんとも」
食べられないと分かると余計に空腹感が増してくる。
ひとしきり悩んだ俺は、一つため息をついて部屋の外に出た。
こうなったら看護師さんを捕まえて晩御飯をもらえないか聞いてこよう。
個室から出た廊下にはちらほらと患者さんらしき人がいる以外に人気はいなかった。
舞が入院していた時から変わらないリノリウムの床を、薄ぼんやりとした記憶を頼りに歩き、案内板のようなものがないかを探す。
すると、廊下の角を曲がろうとしたとき、その声は聞こえてきた。
「それにしても大変よねぇ、ほら、三階の、あの個室の患者さん。例の失踪事件の関係者だって」
「あぁ、あの男の子。可哀そうだけど、ちょっと怖いわよねぇ。すこし前にも例の人たちが事件を起こしたんでしょう? 本人のせいじゃないって言っても、やっぱりねぇ」
(失踪事件? もしかして俺のことか?)
「でも、これで少しは妹さんも救われるといいわよね、頼れる相手もいなくなっちゃって、今まで一人で頑張って来たんだし」
(? 頼れる人がいない……?)
ジワリと、何かがまとわりつく様な違和感。
虫の知らせとでもいうのだろうか。嫌な予感が心の内に湧きあがる。
この先を聞けば後悔するような、けど、その場から逃げ出すこともできず。
「しっかりしてる子だけど、まだ16歳だものね」
「そうそう、いくら保険金があるって言ってもねぇ。お金だけじゃ幸せになれないって典型よね」
「ご両親が亡くなって、しかも叔母とお婆さんも行方知れずじゃ……」
ガチリと、あの寂しくて冷たい家の中に、一人きりの舞が閉じ込められたまま、鍵の掛かる音がした。
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