経済低迷 なのに支持率80%の“謎” そのわけは?
大統領選挙を今月18日に控えたロシアで、奇妙な現象が起きています。経済が低迷し、多くの国民が厳しい生活を余儀なくされているのにもかかわらず、現職のプーチン大統領が極めて高い支持率を維持しているのです。政治の常識を覆すとも言えるこの現象の背景には、いったい何があるのでしょうか。
“最低生活費を下回る” 400万人以上増加
4年前、ウクライナ南部のクリミアを併合したことに対する欧米からの経済制裁。そして主力の輸出品である原油の価格低迷。ロシアは今も、厳しい経済状況を抜け出せずにいます。国民の可処分所得は4年連続で落ち込み、最低生活費よりも低い所得で生活している人は、この4年間で400万人以上増加しました。国民の生活実感はなかなか改善されないのが現実です。
それにもかかわらず、ここ数年、プーチン大統領の支持率は80%台で推移。モスクワでは去年12月、プーチン大統領を題材にした絵画や彫刻などを集めた美術展覧会「スーパープーチン」も開かれるなど、人気にかげりは見られません。今月18日に投開票が行われる大統領選挙では、通算4期目の当選が確実視されています。これはいったいなぜなのでしょうか。
嫌われ役がほかにいる?
この謎解きに欠かせない人物が、プーチン氏の側近として二人三脚で国を率いてきたメドベージェフ首相です。2000年にプーチン氏が初めて大統領選に立候補した際、選挙対策本部長を務めたメドベージェフ氏は、2008年にプーチン氏が連続3選を禁じる憲法の規定に従って立候補を見送った時には大統領候補に指名され、当選。プーチン氏とメドベージェフ氏による体制は、2頭立ての馬車になぞらえて「タンデム体制」と呼ばれました。
メドベージェフ氏は1期4年大統領を務めたあと、2012年の大統領選挙に再びプーチン氏が立候補したことを受け、みずからは再選を目指さず首相に就任します。ふたりの関係はまさに「主」と「従」。メドベージェフ氏は文字どおり身をていしてプーチン政権を支えてきました。
しかし、そのメドベージェフ氏、このところ国民の評判は芳しくありません。というのも、おととし、年金生活者が年金の引き上げを求めて詰め寄った時に「金はない。がんばって」と発言。さらに若い教師が「給与が低い」と不満を漏らした時には「金を稼ぎたいならビジネスをやったほうがよい」と説教。こうしたメドベージェフ氏の発言はすぐに動画サイトなどで拡散し、国民の反発を招きました。
しかし、こうした批判の矛先はメドベージェフ首相止まりで、プーチン大統領に及ぶことはほとんどありません。ロシアでは「国民の不満のガス抜きのため、メドベージェフ氏がわざと嫌われ役を買っているのではないか」という見方さえ出ています。
“外国の脅威”に対抗する象徴に
もう1つ、プーチン大統領の人気の秘密を解き明かすうえで欠かせないのが、「外国の脅威」です。
ロシアでは「ロシアの歴史は外国による侵略の歴史」という歴史認識が一般的で、13世紀に始まったモンゴルによる支配「タタールのくびき」や、19世紀のナポレオン遠征、さらに20世紀のナチス・ドイツの侵攻が「脅威」として人々の記憶に深く刻まれています。
プーチン氏は、こうした国民の歴史認識を巧みに利用してきました。2011年に始まった中東の民主化運動「アラブの春」や、2014年にウクライナでロシア寄りの政権が崩壊した政変について「欧米が後ろで糸を引いた結果」と強調。「ロシアにも欧米の脅威が迫っている」と繰り返し主張してきました。
このためウクライナの政変は、ロシアが海軍の拠点を置くクリミアの併合を正当化する際の格好の材料となりました。2014年の世論調査では「ロシアにとっての脅威はどこに潜んでいるか」という質問に対し、「外国」と答えた人が77%に達し、「国内」を逆転。2014年1月に65%だったプーチン大統領の支持率は、クリミア併合後の5月には83%まで跳ね上がり、人気を確固たるものにしました。
高い支持率を追い風にプーチン大統領は2015年9月、アサド政権を支援するためシリア空爆に踏み切ります。欧米が支援する反政府勢力に押されていたアサド政権は、一転して圧倒的な優位を確保しました。欧米との制裁合戦が続く中、プーチン氏はロシア国民にとって、外国の脅威に対抗する象徴のような特別な存在となっているのです。
「プーチン氏がいなくなればパニックに」
プーチン大統領の人気の背景には、ほかの国家機関や社会組織に対するロシア国民の不信感も挙げられます。ロシア科学アカデミー社会学研究所が4年前から行っている世論調査で、国民に何を信用するか尋ねたところ、「政党」と答えた人が12~18%、「裁判制度」が22~26%、「警察」が28~35%といずれも極めて低い数字にとどまりました。
実際、ロシアの人たちは、ふだん接する国の機関や組織について「役に立たない」とか「あてにならない」といった不満を頻繁に漏らしています。
これに対し、「大統領」を信用すると答えた人は67~78%と高い数字を維持しているのです。調査を行ったペトゥホフ教授は「ロシアでは国家機関や社会組織があまりにも頼りないので、プーチン氏にすがるしかない。プーチン氏がいなくなれば、パニックになるだろう」と指摘しています。
テレビが焼きつける“強い指導者”
そして、プーチン氏を国民に印象づけるツールとして大きな役割を果たしているのがテレビです。政権の影響下にあるロシアのテレビ局は、プーチン大統領が政府の閣僚や国営企業のトップにてきぱきと指示を出す姿や、時には厳しい表情で叱りつける様子を連日伝えています。
去年、恒例の国民とのテレビ対話の中で、地方の女性が「劣悪な住宅環境に暮らしている」と不満を訴えたところ、プーチン氏は地方政府のトップとこの女性のもとを訪れ、住宅整備を進めると約束し、さらに人気の保養地ソチへの旅行もプレゼントしました。
こうした“演出”が、国民の目には「プーチン大統領はよくやってくれている。生活が改善されないのは官僚たちのせいだ」と映るわけです。
このように理想的な大統領像を印象づけるプーチン氏の戦略について、行動心理学の視点で分析している研究者がイギリスにいます。名門オックスフォード大学でも教べんを取ったピーター・コレットさんは数々の映像を分析した結果、「自分こそが強力な指導者だ」と誇示する動作やしぐさが至るところに織り交ぜられていると指摘しています。
たとえば、プーチン氏が各国の首脳たちと会談に臨む際の握手の交わし方。イギリスのメイ首相やフランスのマクロン大統領などと握手する映像を分析したコレットさんによると、プーチン大統領は、相手の手を握ったあと必ずぐっと下に下げて自分のほうに引き寄せるといいます。この動作には「会談の主導権はこちらにある」という心理的なプレッシャーを与える狙いがうかがえます。
また、大統領が閣僚などを集めて大きな会議を開く際、テレビは、身動き一つせず大統領の話を聞く参加者の様子を映し出します。神妙な面持ちで大統領の発言に耳を傾ける閣僚たちの姿はすなわち「プーチン氏こそが最高権力者だ」というメッセージになっています。ロシアでは、こうした映像が毎日テレビで流され、国民の脳裏に焼きつけられているのです。
5つの顔を使い分ける
「プーチン氏は時代の要請にあわせてスピーチでの表現方法を巧みに変えることでさまざまな指導者像を作り出している」。そう指摘するのがアメリカ・フロリダ大学のマイケル・ゴーハン教授です。ロシアの文化や政治に詳しいゴーハン氏は、プーチン氏は「高級官僚」「実行家」「シロビキ(軍・治安機関の職員や出身者)」「田舎の男性」「愛国主義者」の5つの顔をあわせ持ち、状況に応じてこれらのキャラクターを演じ分けていると言います。
プーチン氏が、大勢の外国メディアを集めた記者会見などで、具体的なデータや歴史的事実を挙げながら質問にてきぱき答える姿をテレビで見た人も多いかと思います。そうした姿にロシア国民は、「高級官僚」のように知識が豊富で世界の舞台でも恥ずかしくない大統領だと感じ、国民としての自尊心を満足させています。
また生活に不満を抱える人たちの声を素早くくみ取り、解決策を実行する様子は「実行家」の姿を印象づけます。
一方、時には一般庶民が使うような俗っぽい言葉を使ったり、アネクドートと呼ばれる政治的な風刺を含んだ小ばなしを披露したりして、気のいい「田舎の男性」を演じることもあります。
かと思えば、テロリストに対して「便所に隠れていようとも追い詰め、息の根を止めてみせる」などと激しい表現を使って「シロビキ」の片りんを見せたり、第2次世界大戦の戦勝国となった歴史を引き合いに「愛国主義者」の顔をのぞかせたりして、みずからこそが広大な国家を治めることができる唯一の指導者だと訴えかけているのです。5つもの顔を変幻自在に使い分け、幅広い層から支持を得る巧みな戦略と言えるでしょう。
KGBで身につけた“技”
プーチン氏はこうした“技”をどこで身につけたのでしょうか。その源流は、ソビエト時代に諜報機関KGB(国家保安委員会)の工作員を務めた経験にあるという見方があります。
大学で法学を修めたプーチン氏は1975年にKGBに入り、海外で情報収集にあたる外国諜報部というエリート部署に配属されました。そこで“スパイ”に必要な技術を身につけるための研修を受けたのち、1985年に当時の東ドイツのドレスデンに赴任しました。
大統領になったプーチン氏は、KGBに身を置いたことで何か役に立ったことがあるかと記者から尋ねられた際、「対話の能力や人との関係作りだ」と答えたことがあります。また周囲に「私は人間関係の専門家」と漏らしたこともあるといいます。プーチン氏が国民の前で5種類の人間像を演じ分けていることも、相手、すなわち国民の歓心を買うための人間関係作りの一環と見れば納得もいきます。
プーチン氏がKGBの工作員を務めた時期は、まさに冷戦の真っただ中。敵対勢力の力をそぎ、当時のソビエトの利益につながる機密情報を入手しようと、徹底した人間関係作りに心血を注いだことでしょう。プーチン氏にとっては、関係作りのターゲットが世界の指導者やロシア国民に変わっただけで、人を意のままに操る掌握術は何ら変わっていないように思われます。
- モスクワ支局長
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松尾 寛
- モスクワ支局記者
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渡辺公介