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人生詰んだ(通信制)大学生のブログ

世の中が自己責任で破裂する

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 少し前から奨学金の返済が出来ず苦しんでいるという人たちの話題をよく目にするようになりました。奨学金の返済が出来ない人が増えたという表面的な問題は一部で話題にはなっていましたが、この問題には「大卒であっても返済に充てられるほどの給料を出す会社に就けなくなってきた」という社会的な問題も見え隠れしていますがこれもまだまだ表面的な問題で、更に掘り下げれば別の問題も見えてくるでしょう。
ネット上では「働きたくないからと大学に行くアホが多すぎる」「ノリで大学に行くからそういうことになる」と知ったかぶりな意見を目にします。確かにノリで大学に行く人が増えたのも事実でしょう。そんなに軽いノリで無いにしろ、特にガッツリと勉強をせずともそこそこの大学なら推薦枠で高校から割りと簡単に進学できるシステムがどこの高校にも大体あります。しかし多くの生徒が奨学金を払ってまで大学・短大・専門学校に行き、高卒で就職する人が少数(高校生の就職率は約2割)なのは何故なのでしょう。
 私の住んでいる"田舎”に限って言えば、田舎には元々仕事があまり無いにも関わらず学歴主義が浸透していたりするため、高卒で就職しようとしてもあまりに安い賃金・休日の少ない仕事の求人票が高校に沢山張り出されます。勤務地はえらい遠いのに、ひとり暮らし出来る賃金が出ないようなものは多いのです。しかしそれでも就職しないと、という学生は各高校から沢山やってくる訳です。競争が激しくなれば高校としては就職率が下がるといった事は避けたいので、就職が難しそうな生徒ならなんとか生徒・親御さんを説得し何らかの教育機関に進学させるほうが楽だったりします。更に今高校生・大学生の子どもを持つ親御さん若しくは親戚に就職氷河期を経験されている方が非常に多いため「いや高卒は」「大学は出ておいたほうが良い」という肯定的な意見をもらえたりもするので背中を押しやすいのです。しかし家庭にお金がある家など無く、みんな奨学金で、となってしまいます。
 さてここで上げた理由はほんの一例ですが果たして学生が全部悪いとなるでしょうか。しかし誰かが決定的に悪いという訳でもなく、言ってしまえば「社会のせい」というところでしょうが社会のせいにしても「選んだ自分が悪い」と言われるので本当にどうしようもないです。

 こんな事を偉そうに書く私は通信制の高校に通っていました。理由は虐待によるうつ病、しかし高校に進学しないのはマズイというわけで通信制を選びましたが公立の通信制高校があまりにも遠いので電車で行ける距離の私立の通信を選びました。奨学金も考えましたが返せないような気がして怖かったので学費は全額自分で払いました。母親と離婚した暴力狂の父親は高校・大学の学費を払ってくれるはずでしたが未だに1円も払われていません。そんなこともあり現在は通信の大学に通っていますがここでも奨学金は借りず自分持ちです。今、ヒーヒー言いながら生活しています。
 高校が通信だった事は今考えても仕方ない事だったし、誰でも入れる(誰でも卒業出来るわけではない)通信制高校に来る求人票にまともな仕事が無かったので通信であれ大学に進んだのは間違っていなかったと思うし、奨学金を借りなかったのも正解でした。でもだからと言って奨学金を借りた人がアホだとかそういう風には(一部の遊び倒した生活をしていた大学生を除いては)全く思いません。たまに自分がたまたま偶然、後から正しい選択をしたとわかった途端「お前らアホだな」みたいな事を言う人も居ますが。
ともあれ、奨学金を借りた彼らは、彼らなりに色んなことを考えてその借りたのです。私だって「仕方なかった」と思いつつ、特に仕事関係では、通信制高校を卒業した事で普通の人とは随分違う状況にあるなぁと良く感じます。「通信って誰でも入れるんでしょ。わざわざ就職を難しくするような所に入って自分で自分の首絞めてるお前が悪いだろ」みたいな事を何度言われたことか。

 最近言われる「自己責任」には行き過ぎたものが多すぎるように感じています。奨学金を返せなければ自己責任、新卒で仕事に就けなければ自己責任、聞いてた話より給料安くても自己責任、ブラック企業を選んだのは自己責任、ブラック企業でメンタルを壊されても自己責任、うつが治らないのも自己責任、復職したいのに仕事が見つからないのも自己責任、自殺しても自己責任。全部自分が悪いことにされます。虐待されても自分のせい、通信制を選んでも自分のせい、と。

 このままじゃみんな自己責任の下敷きになって、私も自己責任に押しつぶされて、どうにかなってしまいます。やってられません。