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「G8ダヨ! 連続学習会・近代国家をめぐる排除と貧困」に参加して

小宮朗 2008/12/23
 今年8月のG8洞爺湖サミットを前に開かれた学習会で、Esamanさんのアイヌについての講演を聞きました。『「アイヌは先住民族」という国会決議に対して、当の抑圧者である和人側は「先住民族」が何であるかも知らず、まるで他人事のようにしているのではないか』と考えるようになりました。

 2008年6月8日、名古屋市女性会館にて第2回「G8ダヨ! 連続学習会」 がありました。この中から特にパネラーの1人、Esamanさんの講演について記したいと思います。


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講演者のEsamanさん

 Esamanさんの講演前には司会の方より、6月の初旬読売新聞の一面を飾った、「アイヌは先住民族」という国会決議について記された記事の紹介がありました。「『アイヌ民族』という字が新聞の一面を飾ったのを見るのは一体何年ぶりだろう?」と司会の方はおっしゃっていましたが、本当にその通り。私もここ10年の間は、メディアがアイヌ民族について、こんなに大きく取り上げる姿を見ていません。

 この「先住民族として認められる」ということは、長年アイヌ民族が要求してきたことで、そのことが実現したのは、一見とても良いことのように思います。しかし、あまりにも唐突だったため、私は何だか腑に落ちませんでした。嬉しいことのはずなのに、両手を上げて喜べない、この何かひっかかる感じ。原因は一体どこにあるのか? Esamanさんの講演から考えます。

(以下はEsamanさんの講演記録です)

アイヌは先住民族

 (まずはアイヌ語による短い挨拶をし)『アイヌ』という言葉の意味を知っている方はおられますか? (会場から発言をひろう) その通りです。アイヌとは『人間』という意味です。では『先住民族』という言葉の意味は? (会場から発言をひろおうとするが、あまり反応なし) あまり正確にはご存じない人も多いようですので、説明します。

 まず、みなさんは『日本人』なのですが、現在のような『日本人』は、昔からいたわけではありません。明治に近代国家が成立して、どこどこ国のなに次郎も、なになに村のどこ兵衛も、等しく徴兵され、税金をとられて、同じ教科書で勉強するようになって初めて『日本人』は誕生しました。

 そのような状態になる前は、それぞれ、お互いに話す言葉もあまり通じず、お国自慢も違えば、何に属するかという意識も、様々でした。そのような人々に対して、あなたは何人ですか? という質問をしても『日本人である』という返答は、幕末の一時期を除いて、あまりかえってこなかっただろうと思います。そのような人々に対して、一様な教育を施すことによって形成されたのが『日本人』という国民意識なのです。


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司会者による新聞記事の紹介

 さて、このような近代国家と国民が形成される過程で『割を食った』人たちが存在しました。それが、インディアン、アボリジニ、ベルベルなどの『先住民族』です。これらの先住民族は、近代国家成立の過程で教育システムや諸々の制度などをつくる時に、意思決定の一員として関与することができなかったため、そのような制度と権力を確立した人たちから、色々な面で支配されることになってゆきました。

 国や地域によって先住民族の状況は違っていますが、近代国家によって、強制移住、同化教育、差別や虐殺などの深刻な問題がもたらされ、今もその影響が強く残っている点は共通しています。自らの言語や習慣によって運営される近代国家が、地球上に存在しない、ということは大変なことです。日本人の習慣によって運営される国に、生まれた時から日本人として生活している人には、わかりにくいかもしれませんが、これは大変な苦労を伴います。日本のアイヌは、この『先住民族』にあたります。

 また『先住民族』と『先住民』という言葉には、国際的には結構な違いがあります。『先住民族』という言葉は、先程説明したような歴史的経緯を認めて、ひとつの独立した民族として認めるという意味が含まれている、政治的なメッセージが込められた呼称です。単に『先住民』といった場合は、そうでもなくなる、ということになっています。

 実は、この使い分けは『indigenous peoples』という言葉の語尾に複数形の『s』をつけるか否か、という、日本語にはない習慣をもとにした意味の違いであって、わかりにくいのも事実です。これらの言葉の違いについて、説明する役目を持っている、活動家や研究者たちが、わかりやすい日本語にして説明する努力をあまりしていないこともあって、現在の日本のメディア空間、言論空間では、この使い分けは、ほとんど広まっていない、と言っても良いようです。

 このような国際的な基準から考えると、沖縄の人たちも『先住民族』である資格は十分にあると思います。しかしながら沖縄では、自分たちが先住民族である、という認識は、あまり一般的ではないようです。ですが、私が国連に参加した際に隣に座っていた人たちは、自分たちのことを『先住民族である』と明確に主張する人たちでしたので、皆無ではありません。例えば、私たちアイヌ民族の中でも、40年前に『自分たちアイヌ民族は先住民族である』と明確に意識していた人は、何人いたのかな?と考えると、将来的に沖縄の人たちが、『自分たち沖縄人は先住民族である』と主張することがあるかもしれない、と思います。

 このように『先住民族』という呼称は、ここ数百年の近代国家成立をめぐる排除を踏まえた上での、自らの将来に向けての決断にかかわる政治的な呼称であり、血統や人種、ルーツの問題ではない、という点は、絶対に理解してください。日本では、とくにここのあたりを混同して語られることが非常に多いことが、理解の妨げになっていると思います。時には、この無理解が無神経な差別にもつながっていることもうあると思います。

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会場の様子


国会決議について
 6月に、皆さんもご存じの、アイヌを先住民族と認定する国会決議が行われました。これは、良いことでしょうか? 私は、特に良いことでも何でもないのではないか、と思っています。皆さんの中で、今回の国会決議に関して何かした、という記憶のある方はおられるでしょうか? おそらくあったとして、署名に協力したという程度ではないかと思います。署名に協力してくれた方がいるとしたらありがたいことであり、お礼を言いたいと思います。ですが、日常生活において、署名用紙をみたという程度しか変化がないということは、国会決議に関して『国民的な盛り上がり』は、ほとんど無きに等しかった、ということなのではないかと思います。

 今回の国会決議は、つまりは、認めて当然のことについて、今まで放置していた件について、国連の決議や洞爺湖でのG8などの話があり、辻褄が合わなくなってきたので、政府は渋々認めたというのが、本当のところではないかと思っています。先住民族の問題については、存在は認知するが権利は認めない、というのがロシアやアメリカの戦略です。

 想像してみてください、今回のG8諸国との会談において、そのような国と対先住民族の作戦を練る時に、日本だけが『いや、日本国内には先住民族が、いるかいないかわからないのですよ』などと寝ぼけた事を言っていては、『支配する技術』についての話もスムーズには伝わらないでしょう。また、G8関連の人たちの奥方などが、レセプションパーティなどで、アイヌの踊りを見たり、刺繍をもらったりして、政府の通訳の人が『この先住民族の文化は…』という質問を受けた時に、政府の通訳は『いやこれは、先住民族じゃなくて、昔から住んでいた先住性のある…』などと言って説明するのでしょうか? これは、非常に基本的な部分で、深刻な無理がある話です。

 こうした状況から今回の決議だけでは、先住民族であると認めただけで何もしない、という可能性すらあります。

 『先住民族』には、というのは、先に説明したとおり、彼らを『先住民族の状態』にしてしまった支配民族とその国家が、必ず存在します。アイヌの場合、その支配民族は『和人』であり、その国家は『日本国政府』です。アイヌを先住民族と認知する、ということは、つまりは、自らの国家と民族の行ってきた先住民族アイヌへの支配や同化政策について、その過ちを認める、ということのはずですが、今回の国会決議からは、その部分は見事に削除されてしまいました。このようなことから考えると、決議への賛意を示した議員のかたがたの中には『先住民族』の言葉の意味を上手に理解できていない人が、含まれている可能性が高いようですね。

 実際、今回の認定騒動で、先頭に立って音頭を取っている人には、何やらアイヌのことについて、無理解な発言をした北海道の政党の議員の方もおられるようです。しかも、認定後の肝心の政策の内容を決める会議には、アイヌを入れないという方針のようです。例の北海道の議員の方は『アイヌは入れるけど1/3まで』と言っているようです。どちらにしても、アイヌの意見は通らないという構造になっています。なんだか茶番劇のようです。国会前のデモに参加した人の話によると「議員の中にはしっかり関心を持ってくれる人もいるようだけれども、そうでもない人も多いね、認定だけでお祝いという気分にはならないね」ということでした。自分もそう思います。


先住民族サミットのパンフレットについて

 (北海道で行われる先住民族サミット のパンフレットの とを示し)、G8が行われているのと似たような時期に、北海道では先住民族サミットというものが開催されます。

 このサミットには、オノ・ヨーコをはじめとする様々な人がメッセージを寄せています。そのメッセージのニュアンスは、同じイベントに向けたものであるにも関わらず、人によって著しい違いがあります。この違いには『アイヌと和人の意識の違い』のようなものがにじみ出ていると思うので、紹介します。

 まず、私のアイヌとしての恩師にあたる、遠山サキ・フチのメッセージを紹介します。
 『この80歳の年寄りになって、このアイヌに生まれて差別されながら死んでいくのかと思ったら、本当に空に向いてうわーっと叫びたい位の気持ちで一杯です。』

 『若い人たちもアイヌはアイヌなんだから、和人になったつもりしないで、アイヌはアイヌのやり方で頑張ってほしい。』

 いいですか皆さん、『空に向いてうわーっと叫びたい』気持なんですよ。この遠山フチは、アイヌ文化のあらゆることに通じた伝承者で、80歳を過ぎた方です。たくさんの子供に恵まれた方で、そのお子さんたちや、お孫さんの多くもアイヌの活動に携わっているという、偉大なフチです。

 現代のアイヌの、少なくはない人たちは、差別と同化政策によって伝統文化に携わる機会を奪われて既に1世紀ちかくたっています。また例え縁者に伝承者がいたとしても、差別や経済的事情、人間関係など色々な原因から、関わる人は決して多くはない、というのが実情です。

 そのような状況の中、遠山フチのように一族にアイヌの活動に関わる人を何人も輩出しているというのは、ひとつの大きな成功を収めている、と考えることができると思います。このようなご老人が『わーっと叫びたくなる』というのは、どういうことなのか? その背景には何があるのか? ということについて、想像力を持って欲しいと思います。

 もっともこのメッセージ、サキさんご自身が直接書いたというわけでもないでしょうから、聞き手の聴き方にも影響されているのではないか、とは思いますが、自分も同様のことを聞いたことがあるので、言ったことは確かだと思います。

 つぎに、ミュージシャンのSUGIZOさんという方のメッセージも紹介します。

 『彼らの尊く美しい血。それは僕らの忘れかけていた、かけがえのないアイデンティティ。すべての愛すべき先住民族たちの存在に心からのリスペクトを。ひとつになりたい。』

 私はこのSUGIZOさんという方についてはよくわからないし、特に恨みがあるわけではないのですが、正直な感想をいいますと『勘弁してくれ』という感じです。『先住民族=美しい血=アイデンティティ』というのは、あまりにもステレオタイプです。単にステレオタイプなだけではなく、これらの言葉は、すべて全く違う概念のものなのですが、なんだか混同されている印象を受けます。

 先ほど説明したとおり、先住民族というのは血統でもDNAでもありません。政治的な立場表明の言葉なのです。その表明相手はだれか? もちろん世界全体であり自らの子孫、ということなのでしょうが、もっとも責任を問われる対象は『先住民族の住む地区を支配している民族』でしょう。アイヌの場合、それはSUGIZOさんも含まれる『和人』以外の何者でもありません。そんなわけですから『ひとつになりたい』と言われても、どうコメントしていいのかわかりません。

 昔からアイヌは、このような自らのおかれている状況を打開すべく、もちろんメガホンをもった活動家もいましたが、結構な数の人たちが、歌や踊りを『武器』として戦ってきました。最近の若い人たちのグループにも、そのような動きがあることと思います。『カッコよく、楽しく』大いに結構です。それは昔からアイヌの活動が、何度も何度も用いてきた手段であり、それなりに有効だろうと思います。

 時に『伝統』との衝突をみせる場面もあろうかと思いますが、その『古式』とか『伝統』とよばれているものも、日本の民謡が近代の産物であるのと同じように、そんなに長い歴史があるわけでもないのだと思います。表現行為として、その巧みさやメッセージの内容を評価して持てはやされるものであるならば、そのような『伝統』をある程度は無視する権利があると思います。というか、しっかりと中身のあるものならば、新しい『伝統』のベースとなってゆくでしょう。

 しかし、ここで問題となってくるのは、その受け手である人たちが、どのような受け止め方をしているのか、という点です。もし、表現行為の内容に打たれたのではなくて『特殊な血統をもつ美しい存在』が歌ったり踊ったりしているから、そのようなものと『ひとつになる』ために消費されているのだとしたら、どうなるでしょうか? それは『珍獣と戯れている』に等しい行為と言えます。そのような消費のされ方をしてしまったら、どれだけカッコ良くても楽しくても、未来はありません。ノーフューチャーです。

 私は、SUGIZOさんのメッセーシについて、このひとを責める気にはなりません。なぜなら、このような発想をする人たちは、いわゆる『和人』のなかには、とても多く、彼自身も、そのようなニーズを察知して発言しているだけなのかもしれないからです。

 たしかに、当のアイヌにも、血統とか何分の一だとかいう発想をしてしまう人がいるのは事実です。むしろ多いでしょう。ですが、それは日本政府が多額の公費を投入して、アイヌの墓を暴いたり埋葬前の遺体を持ち去ったり 、生きている人間の身体測定をしてまわったりして、『差別されているのは、アイヌは血統的に劣った民族だからで、それは日本人と混血することで解消される』という研究を行い、そのような知見を広めたからにほかなりません。

 人間というのは教育によって形成されるものなので、そのような事を言われ続けると、当のアイヌにもそう信じてしまう人も出てしまいます。ですがそれは間違った発想です。当のアイヌも周りの和人も、血統や人種を軸に話をするのは、そろそろ止めた方が良いと思います。


G8にまつわる運動について

 洞爺湖で開催されるG8に、反対、粉砕、提言、賛成、いろいろな運動をする人たちがいますね。ところで、これらのG8に関する行動をしている人たちの中で、本当の意味でアイヌ民族に興味を持っている人は、ごくわずかしかいないと思います。先日おこなわれたG8学習会の第1回でも、「洞爺の意味は?」と聞かれて答えられる人は、パネラーの方も含め、会場には1人もいませんでした。(ちなみに「トーヤ」とはアイヌ語で湖畔のことです)

 これは、その気になればすぐ調べられることです。子供相手に「トウヤコでジーエイトがある」という事を話した場合、まず質問されるだろうな、と思うのは『ジーエイト』と『トウヤコ』だと思います。G8については、ここにいる皆さんも含め、言いたいことは山ほどあるでしょう。語源もバッチシだと思います。では『トウヤコ』は? これについて何も答えられない、というのは、偏りがちょっとヒドイのではないかと思います。G8に関わる人すべてに、アイヌ語の専門家になって欲しいとは思いませんが、せめて、開催地の地名の意味くらいは調べておいてくれたって良いじゃないか、と思います。インターネットが使える人なら、ものの数分の作業です。

 サミットやG8についての話をすると、G8でなにか活動している人たちは必ず、「先住民のこともやっています」と言います。ここの「も」というのがポイントです。これではまるでオマケのような言い方です。そして実際の取り組み方もオマケのようだったりします。

 この姿勢は、実は日本政府の先住民対策と似たようなところがあるのではないか、と思います。植民地主義とか、大国の利益優先とかに物申すならば、その点についても気がついて欲しいものです。この点について、じつは、G8に反対や提言をする人たちの行動の中にもすでに『G8の視線』が入り込んでいるのではないか?と思うときが、反対や提言の人たちと話をしていると、結構あるのも事実です。

 G8が集まって話をする時、最近盛り上がってきている、先住民族運動の殺し方、つぶし方についての話もするのではないか、と思ったりするのですが、けれど、G8に提言なり反対なりする人たちは、皆その部分に対してはノーガードになっています。この部分を丁寧にひろってもらわなければ「私たちは先住民族のことをやっている」ことには、ならないのではないかと思います。

(以上がEsamanさんの講演内容です)


 私が最初に持った疑問、要求が通ったのに腑に落ちない感じがするのはなぜか? その答えは、

 『先住民族』誕生には、われわれ抑圧者の存在がその根本にあり、今でも抑圧が続いているので、その事実を認めて欲しい、という意味を込めて『先住民族』と認めるよう要求しているのに、当の抑圧者側は、『先住民族』が何ぞやとも知らず、まるで他人事のようであるから。

 一言でまとめると、こんなところでしょうか。また、この学習会では『G8の視線』についても色々と考えさせられました。

 会場からの質問で、「どうしたら世界の民族問題を解決することができるか?」というものがありました。

 この質問に対しEsamanさんは『この世界で民族問題と呼ばれているもので、ほんとうに民族が原因になっていると確信できるものを、自分は知りません。ですから、ご質問にたいしては『それぞれの問題で事情が違うだろうから、わからない』としかいいようがありません。また、あなたが『和人』である場合、世界の民族問題を論じようとする前に、まず、いま目の前にいるアイヌの言っていることを理解することからはじめる責任があるのではないでしょうか。あなたも『民族問題』の当事者であることに気がついてください』と回答していました。

 こういった問題について考える時、私たちはつい自分の立場を忘れ、まるで世界について決めてしまえるかのような権力を持った『G8の視点』になって、考えてしまうことが多々あります。こうした『G8的』な考え方は、教育やメディアを通じて、日々私たちに植えつけられているものです。しかし、私たちが本当にこれらの問題の解決を望むならば、私たちは私たちの視線で、こうした問題について考えていかなければならないのです。

 私は少しドキッとしました。


関連サイト:
G8ダヨ! 連続学習会
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先住民族サミットのパンフレットを示す

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