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試験操業、制限続く日々 福島・浪江のシラウオ漁

漁を終え、他の船の漁師と選別作業をする佐藤富夫さん(右奥)=2月22日朝、福島県浪江町の請戸漁港で

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 福島県浪江町の請戸(うけど)漁港は、東京電力福島第一原発から北へ約七キロの場所にある。原発事故の避難指示が二〇一七年三月に解かれ、港に漁船が戻って一年になるが、漁の回数や魚種などが限られる「試験操業」が今も続く。かつての活気を取り戻そうと海に出るシラウオ漁船に同乗した。

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 先月二十二日、朝五時。漁師歴六十年の佐藤富夫さん(75)がかじを取る「第18友栄(ゆうえい)丸」は、港から福島沖を北東へ向かった。乗組員は長男の兼一さん(47)と次男の隆二さん(45)。試験操業のため、漁は週一回に制限されている。

 十五分ほどで漁場に着き、魚群探知機を確認しながら夜明けを待った。

 「やるべ」。空が白み始めたころ、富夫さんが合図を出した。息子二人が海に網を投げ入れる。十分ほど待って引き揚げると、三センチほどの銀色のシラウオが大きな固まりになって網にかかった。

 港へ戻ると他の船の漁師も集まり、選別作業が始まった。仲間と冗談を言い合う三人の表情は明るい。港には共同で作業する「結い」の仕組みがあり、漁に出ていない漁師も力を貸す。

 震災前、請戸に近い福島県南相馬市小高区に住んでいた三人は、家や漁船を津波で失った。原発事故後は避難指示が出され、三人はそれぞれ熊本県八代市や愛知県蒲郡市などにある親類の家に身を寄せた。

 富夫さんも県外に避難したが、震災の翌年、「請戸の復活を見せねばなんねえ」と福島に戻ってきた。南相馬市の仮設住宅に住み、被災した漁業者への国の補助金などで船を調達。息子二人も一四年に戻って南相馬市の真野川漁港で漁を始め、請戸漁港が再開すると浪江町に船を移した。

 請戸漁港には震災前、約百隻の漁船が登録していたが、漁を再開した船は二十五隻だ。浪江町の現在の住民数は四百九十人で、帰還率は2・7%。被災した市場の再建は二年後の見通しで、漁師らは四十キロ以上離れた福島県相馬市の原釜漁港に魚を運んで売っている。

 この日の友栄丸の水揚げ量は計八十五キロ。浜値で十三万円だが、富夫さんの表情はさえない。「震災前は三倍くらいの値が付いた。『試験操業の魚だ』って買いたたかれる」。そう話す父親を、兼一さんが「ぼろぼろの状態から、ここまで戻ってこれると思ってなかったべ」と慰めた。

 富夫さんは願う。「原発の廃炉まで、まだまだかかるべ。でも、俺たちはちゃんと安全だっていうものを取ってる。食べる人にも、分かっていてほしい」

 (垣見窓佳、写真も)

 <試験操業> 本格的な操業の前の準備期間として、福島県沖で2012年6月に始まった。操業できる海域を福島第一原発の半径10キロ圏外とし、福島県の放射性セシウム検査を基に対象の魚を決めている。

 

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