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「小栗祐治」の検索結果

「小栗祐治」に関連する情報 54件中 1~10件目

常呂中学校

去年亡くなった小栗祐治さんは、日本カーリング協会の副会長の松平斉之が住職の寺に眠っている。小栗祐治さんは、LS北見の応援をしにオリンピックへ行きたいと願っていたが、最後にあったときには、今回はだめかなというようなことだったという。LS北見のメンバーの一人、鈴木夕湖選手の実家に来た。松平さんは「鈴木さんと吉田姉妹はロビンズというチームで小栗さんが子どもたちを集めて作ったチームの選手」「(本橋)麻里ちゃんも小栗さんが見つけてきた子なので思い入れは一番あったと思う」と話した。鈴木夕湖の母・倫子さんは「小栗さんを(平昌に)連れて行くことが出来なくなったからそれ以上に小栗さんの願いを夢を、私たちは叶えるんだという気持ちが一つになったんじゃないかな」と話した。常呂中学校には小栗さんの最後の教え子がいる。褒められたことが最高の励み。彼女たちの練習風景を撮影したのは1月のことだったが、「小栗さんに教えてもらったので、LS北見の皆も教えてもらったので、その後を追うような感じにつなぎたいなと思う」と話していた。


「小栗祐治」に関連するイベント情報

はまなす国体

彼女たちの出身地、北海道北見市常呂町は漁業の街で名物は帆立。冬には流氷が訪れる。街の中心部を訪ねたが人とはすれ違わなかった。人口約4000人の街。だが常呂カーリングホールがある。去年6月、LS北見の面々はここで練習を続けていた。そもそもは2010年本橋麻里の呼びかけでチームがうまれた。吉田夕梨花と姉の吉田知那美、鈴木夕湖の3人は町内にある常呂小学校の卒業生でその頃からチームを組んでいた。そこに同じ北見市内の別の小学校を出た藤澤五月が合流し現在のチームが出来た。今週メダルを手に帰ってきた彼女たちは、出迎えた街の人に「正直この街なにもないよね」と呼びかける。何もない町から生まれた奇跡の物語。取材は去年10月に始まっていた。まず驚いたのは常呂町のカーリング人口で、町民の5人に一人が経験者だという。まさに老若男女が真剣な眼差しでストーンを追う。LS北見を育んだ他所にはないカーリング熱ななぜ根付いたのか。1980年北海道とカナダ・アルバータ州の姉妹交流でカーリングを初体験した小栗祐治さんは、これなら農家や漁師の仕事がない冬場、皆で楽しめるのではないかとそう思い立つ。小栗さんと親交の深かった藤吉忍さんは、小栗さんを「新しいものに真っ先の飛びつく人」などと語る。リンクは屋外だったが見ての通りの吹きさらしで「毎日氷の手入れ」だったという。はまなす国体開催をきっかけに1988年日本初の屋内専用施設がオープンした。現在の施設は5年前にリニューアルした国内最大級で使用量は1シート1時間1400円。ストーンは無料、シューズ+ブラシは120円でレンタル出来る。ちなみに購入するとストーンは1個10万円。常呂町では25年前から体育の授業にカーリングが導入されている。教えている女性は先生ではなく、長野オリンピックに出場した白畑容子さん。常呂町出身でかつてLS北見のメンバーも教えていた。


常呂カーリングホール

彼女たちの出身地、北海道北見市常呂町は漁業の街で名物は帆立。冬には流氷が訪れる。街の中心部を訪ねたが人とはすれ違わなかった。人口約4000人の街。だが常呂カーリングホールがある。去年6月、LS北見の面々はここで練習を続けていた。そもそもは2010年本橋麻里の呼びかけでチームがうまれた。吉田夕梨花と姉の吉田知那美、鈴木夕湖の3人は町内にある常呂小学校の卒業生でその頃からチームを組んでいた。そこに同じ北見市内の別の小学校を出た藤澤五月が合流し現在のチームが出来た。今週メダルを手に帰ってきた彼女たちは、出迎えた街の人に「正直この街なにもないよね」と呼びかける。何もない町から生まれた奇跡の物語。取材は去年10月に始まっていた。まず驚いたのは常呂町のカーリング人口で、町民の5人に一人が経験者だという。まさに老若男女が真剣な眼差しでストーンを追う。LS北見を育んだ他所にはないカーリング熱ななぜ根付いたのか。1980年北海道とカナダ・アルバータ州の姉妹交流でカーリングを初体験した小栗祐治さんは、これなら農家や漁師の仕事がない冬場、皆で楽しめるのではないかとそう思い立つ。小栗さんと親交の深かった藤吉忍さんは、小栗さんを「新しいものに真っ先の飛びつく人」などと語る。リンクは屋外だったが見ての通りの吹きさらしで「毎日氷の手入れ」だったという。はまなす国体開催をきっかけに1988年日本初の屋内専用施設がオープンした。現在の施設は5年前にリニューアルした国内最大級で使用量は1シート1時間1400円。ストーンは無料、シューズ+ブラシは120円でレンタル出来る。ちなみに購入するとストーンは1個10万円。常呂町では25年前から体育の授業にカーリングが導入されている。教えている女性は先生ではなく、長野オリンピックに出場した白畑容子さん。常呂町出身でかつてLS北見のメンバーも教えていた。


「小栗祐治」に関連するイベント情報

平昌オリンピック

2月27日北海道。平昌オリンピックのヒロイン・LS北見の帰りを故郷が迎えた。故郷に飾った錦。あの瞬間、彼女たちは歴史になった。平昌オリンピック カーリング女子銅メダルのLS北見の5人。チームの持ち味は笑顔。ピンチになっても笑って明るく乗り越えた。日本を沸かせたのはプレイだけではない。可愛らしい北海道なまりやハーフタイムのもぐもぐタイムも今や広く全国に認知されている。

平昌オリンピックでは、LS北見は予選ラウンドを5勝4敗で突破。常呂町のカーリング場では、3位決定戦のパブリックビューイングが行われた。鈴木夕湖の母・倫子さんは、小栗祐治さんの遺影を持ち込んで応援した。試合は日本が勝利し銅メダル。選手たちは試合の3日後に凱旋、住民らの祝福を受けた。


「小栗祐治」に関連するイベント情報

日本選手権

常呂町にカーリングを広めたのは去年亡くなった小栗祐治さん。冬場は漁業や農業ができないのでレジャースポーツとして紹介し浸透した。走り幅跳びをしていた本橋麻里選手を小栗さんがスカウトして12歳から指導、吉田姉妹含め3人も小学生の時から誘い藤澤五月選手を指導した父・充昌さんも小栗さんからカーリングを習っていた。練習で頑張ったり試合に勝った時はカフェ「しゃべりたい」の流氷ソーダを食べさせてくれた。2007年、常呂中学校時代にカーリングチームを結成、トリノ五輪代表「チーム青森」からも大金星を獲り日本選手権で2年連続3位になるスーパー中学生になった。


「小栗祐治」に関連するイベント情報

トリノ五輪

常呂町にカーリングを広めたのは去年亡くなった小栗祐治さん。冬場は漁業や農業ができないのでレジャースポーツとして紹介し浸透した。走り幅跳びをしていた本橋麻里選手を小栗さんがスカウトして12歳から指導、吉田姉妹含め3人も小学生の時から誘い藤澤五月選手を指導した父・充昌さんも小栗さんからカーリングを習っていた。練習で頑張ったり試合に勝った時はカフェ「しゃべりたい」の流氷ソーダを食べさせてくれた。2007年、常呂中学校時代にカーリングチームを結成、トリノ五輪代表「チーム青森」からも大金星を獲り日本選手権で2年連続3位になるスーパー中学生になった。


「小栗祐治」に関連するグルメ情報

流氷ソーダ

常呂町にカーリングを広めたのは去年亡くなった小栗祐治さん。冬場は漁業や農業ができないのでレジャースポーツとして紹介し浸透した。走り幅跳びをしていた本橋麻里選手を小栗さんがスカウトして12歳から指導、吉田姉妹含め3人も小学生の時から誘い藤澤五月選手を指導した父・充昌さんも小栗さんからカーリングを習っていた。練習で頑張ったり試合に勝った時はカフェ「しゃべりたい」の流氷ソーダを食べさせてくれた。2007年、常呂中学校時代にカーリングチームを結成、トリノ五輪代表「チーム青森」からも大金星を獲り日本選手権で2年連続3位になるスーパー中学生になった。


「小栗祐治」に関連するレストラン・飲食店

常呂町にカーリングを広めたのは去年亡くなった小栗祐治さん。冬場は漁業や農業ができないのでレジャースポーツとして紹介し浸透した。走り幅跳びをしていた本橋麻里選手を小栗さんがスカウトして12歳から指導、吉田姉妹含め3人も小学生の時から誘い藤澤五月選手を指導した父・充昌さんも小栗さんからカーリングを習っていた。練習で頑張ったり試合に勝った時はカフェ「しゃべりたい」の流氷ソーダを食べさせてくれた。2007年、常呂中学校時代にカーリングチームを結成、トリノ五輪代表「チーム青森」からも大金星を獲り日本選手権で2年連続3位になるスーパー中学生になった。

 (喫茶店、カフェ、カレーライス)

常呂中学校

常呂町にカーリングを広めたのは去年亡くなった小栗祐治さん。冬場は漁業や農業ができないのでレジャースポーツとして紹介し浸透した。走り幅跳びをしていた本橋麻里選手を小栗さんがスカウトして12歳から指導、吉田姉妹含め3人も小学生の時から誘い藤澤五月選手を指導した父・充昌さんも小栗さんからカーリングを習っていた。練習で頑張ったり試合に勝った時はカフェ「しゃべりたい」の流氷ソーダを食べさせてくれた。2007年、常呂中学校時代にカーリングチームを結成、トリノ五輪代表「チーム青森」からも大金星を獲り日本選手権で2年連続3位になるスーパー中学生になった。


「小栗祐治」に関連するグルメ情報

流氷ソーダ

一方ロコ・ソラーレ結成のきっかけはもう1つ。カフェしゃべりたいは吉田選手がアルバイトをしていたカフェ。店主に話を聞くと「お父さんが連れてきていた。松平くんやお父さんたちが独身の時からのお客さん」などと話す。日本カーリング協会の松平副会長によると全員同級生の子供だという。知那美選手は学校後カーリング場に来て宿題などもそこでやったという。常呂町出身の松平副会長はロコ・ソラーレの選手の親と昔からのカーリング仲間だという。カーリング熱のきっかけを作ったのが常呂町でカーリングを普及し始めた小栗祐治さん。このカフェにあるロコ・ソラーレと小栗さんの思い出のメニュー流氷ソーダ。青いソーダに流氷のようにバニラアイスが盛られている。ロコ・ソラーレの選手が小さい頃に指導していて、ご褒美に連れてきて流氷ソーダなどを飲ませていたという。