昭和56年に開催された第1回NHK杯カーリング選手権でプレーする小栗祐治さん(北見市教育委員会提供)

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 LS北見の活躍を心から願っていた人がいる。

 5人が育った北海道北見市常呂町(旧常呂町)にカーリングを広め、昨年5月に88歳で亡くなった常呂カーリング協会初代会長の小栗祐治(ゆうじ)さんだ。才能を見いだし、育ててくれた「小栗のおじさん」にメダルを届けるべく、メンバーはあと一歩に迫った表彰台に挑む。

 小栗さんとカーリングの出会いは昭和55年、道内で開かれたカーリングの講習会に参加したことがきっかけだった。すぐにその魅力にとりつかれた小栗さん。仲間と、踏み固めた雪の上に水をまき、氷を張り重ねて天然のリンクを作った。道具はプロパンガスのボンベやビールだるにコンクリートを詰めた手製のストーンと、ブラシ代わりの竹ぼうき。競技に熱中し、周囲に面白さを伝えた。

 63年、カーリングの町となった常呂にアジア初の屋内専用リンクが完成すると、小栗さんは若手の発掘、育成にも乗り出した。運動会を観戦したり、公園で遊んでいる子供たちを観察したりしては有望株を見つけ出し、声をかけた。

 「練習すればうまくなれるよ」。主将の本橋麻里(31)も12歳のときに、小栗さんに誘われたことがきっかけで本格的にカーリングを始めた1人だ。吉田知那美(ちなみ)(26)と鈴木夕湖(ゆうみ)(26)は小学2年から、吉田の妹、夕梨花(ゆりか)(24)も5歳から小栗さんの指導を受けた。

 夢は「過疎の町から五輪を」。周囲は本気にしなかったが小栗さんは違った。指導は厳しかった。基礎を何より重視し、本橋は最初の半年はストーンを持たせてさえもらえなかった。

 「小栗さんみたいに熱い人がいなかったら、この町で選手が育つこともなかった」。NPO法人常呂カーリング倶楽部の事務局長、鈴木繁礼(しげのり)さん(63)はこう振り返る。

 そんな小栗さんの思いを継いだのが本橋だ。2010年バンクーバー五輪から戻ると、故郷の常呂でLS北見を結成、メンバーも地元出身者をそろえた。

 五輪でのLS北見の活躍を心待ちにしていた小栗さんだが、代表決定戦が行われる4カ月前の昨年5月、肺がんで息を引き取った。

 チーム全員が強い思いで臨んだ同年9月の五輪代表決定戦。勝利を決めた本橋は秘めた思いを語った。

 「軸をぶらすことなく(指導を)続けてきてくれた。後世に受け継がないといけない」。恩師が切り開いた道に新たな歴史を刻む。その思いは、小栗さんに届いているはずだ。(石井那納子)