いつものシンガポール人テニス仲間君は現在絶賛婚活中。
日本を凌ぐ非婚化。その結果として世界ワーストレベルの超少子高齢化社会であるシンガポールには、政府主導のものも含め多数の出逢い系サービスがある。彼もその1つに登録して、紹介された女性と会っているそう。
それで毎回テニスの度に「目の覚める美女はいたかい?」などと茶化しているんだけど、その後は大抵会ってみた女性の品評会になる。
容姿はまぁお察しとして、彼が毎度ガッカリするのは楽しい会話が出来ないこと。彼自身も人見知りで、話しやすいであろう話題を僕が振って始めて会話が盛り上がるようなところがある。それでもそんな彼なりに頑張ってデートを盛り上げようとしているようだ。
「彼女らは夢中なことが何もないんだ」
彼は結婚相手に「キャラ」を求めている。その人じゃなきゃダメだと思えるような個性がないと、一生一緒に暮らすなんて無理だと。
これはわかる。彼はたわいもない会話を楽しむというよりは、具体的なトピックについて深く語り合うのが好きなのだ。僕も特に男性と話す時はこのタイプなので、そんな彼とは気が合う。
ところが今まで会った女性はみんな夢中なことが何もなく、惰性で毎日を過ごしていると感じるらしい。
実家と職場の往復で趣味はスマホでコリアンドラマ、みたいな。
今までデートした1人の女性は銀行員。バリキャリで仕事命に頑張ってるのかと思いきや、特別好きでもない仕事を給料のために続けていると聞いてガッカリだったらしい。当然、仕事の話題を振ってもデートは盛り上がらない。
でもまぁ、失礼を承知で僕から言わせてもらえば、それって普通のシンガポール人なんだよね。
受験戦争で勝ち組になれる
日本には勝ち組になる方法がいっぱいある。
大学の同期にはミュージシャンや芸人になるとか言い放って就活しない奴が1人くらいいるものだ。今はYoutuberかもしれない。しかも実際にテレビで活躍している人はその中の成功者なわけで、ハイリスクであれど全く希望がないわけじゃない。
僕の同期にもバイトしていたお花屋さんの仕事を卒業後もそのまま続けた人がいる。
帰国するたびに日本の街には花が多いと感じる。ちょっとしたホテルやレストランに行けば見事な切り花が飾ってあるし、冠婚葬祭やコンサートにも花束は定番。需要が多いのでフラワーアレンジメントが出来れば惰性でサラリーマンになるより活躍できそうだ。
ところがシンガポールは勝ち組のレールが1本しかない。
貰った花束を活けずにゴミ箱ポイするノリなので、花屋がそもそもめっちゃ少ない。そしてサービスのプロにリスペクトが無く、シンガポールで小売業は負け組だ。
興味深いことに芸能人の地位も低い。
僕がよく聴くラジオ番組のDJは、普通に公団住宅HDBの実家に住んでいる。知り合いの知り合い程の距離感で芸能人にたどり着けちゃうコンパクトなシンガポール。言語によって地上波でアクセスするチャンネルがさらに限られる上、娯楽の主役はあくまでネット。例えラジオでレギュラーを持つレベルになっても影響力はほとんど無いのだ。だから人気が出ると台湾や香港など芸能が盛んな国へ「出稼ぎ」に行ったり。
そんなシンガポールにおける勝ち組。これは官僚、銀行員、医者と相場が決まっている。
つまり受験戦争の勝者が、そのまま人生の勝者となる。シンガポールは決められたことを完璧にこなし続ければ成功できる、ある意味シンプルな社会なのだ。
勝者の条件以外は無駄
小学校の卒業試験で人生が決まると言われるシンガポール。
この成績でまず上位60%に入りエクスプレスコースで中学生になる。そして中学校卒業試験で良い成績を修め、ジュニアカレッジと呼ばれるエリート高校に行く。ジュニカレに入れれば大学入学はほぼ確実となるものの、世界ランキングで上位に食い込む3大学の、そのまたエリート学部(法学部、経営学部、医学部)に入るには更なる競争が待っている。
でもこの3大学に入れれば、人生はかなり約束される。なにしろ、
- 世界ランキング最上位の学歴
- 即戦力になる専門スキル
- 国際企業でのインターン経験
- 英語を含むバイリンガル以上
- 成長著しいインドや中国の文化に慣れている
のだから。シンガポールのエリートはキリスト教白人先進国の若者をも一刀両断にする、無双の肩書で世に出ることになる。
ところが、彼らの人生は社会に出てからも競争の連続だ。
例えば医者になっても、事実上のズル休みの診断書屋さんである町医者(GP)と米英に留学して医学博士を積み増した専門医では、年収の桁が違うと言われる。
高級官僚になれば年収で億を狙えるし、弱冠35歳で国連大使になった人もいる。でもその影で小学校の卒業試験で失敗し、10代前半で留年を経験する人もいる。その数100人に1、2人。毎年学年で数人は中学生になれない計算だ。
この緊張感。
こんな競争社会で育つと1本しかない成功のレールの上で、目の前の相手が今どこにいるのか不安でしかたなくなる。年収がいくらか。家賃がいくらの物件に住んでいるのか。シンガポール人がそんなデリカシーない質問を投げて来るのは、移住してまず面食らう洗礼。でも、彼らがこうした過酷な社会で育ったことを考えると理解できる。
キアスと呼ばれる勝ち負けに異常にこだわるシンガポール人気質は、この様な苛烈な競争社会によって形成されるのだ。
このような過酷な競争社会を勝ち抜くなら、人生を一点賭けすることが合理的。
成績に結び付く活動にだけ全ての労力と時間を集中投下し、それ以外は極限まで手を抜く。こうでもしないとこの過酷な競争社会では生き残れない。
キャラや個性を育む趣味を持つことは、シンガポールにおいては贅沢なのだ。
勝ち組のレールは幸せの道か
そんな合理的な人生を歩んできた結果、テニス仲間君がガッカリするような没個性的な人が量産されることになる。
でも…。
どうすれば幸せになれるのか明確でない日本で育った身としては、安易にシンガポールの競争社会を不幸だと決めつけることが出来ない。良い学校を出ても良い仕事に恵まれない高学歴ワーキングプアがいる一方、スーパーのレジ打ちからゲーマーとしての趣味を活かして人気Yotuberになり億を稼ぐ人もいる。
ハイパーメリトクラシー社会、日本。
成功の条件が曖昧で、時の運がモノを言う。頑張って良い大学を出た人より、適当にヘラヘラ生きてモテる人の方が幸せに見えたり。実際、若くして結婚して人生の駒を進め、楽しそうに暮らしているのは地元のワタミに子連れでくるような、趣味はクルマの改造とJリーグ観戦みたいなマイルドヤンキーだったりする。
それに比べてシンガポールは強烈なメリトクラシー社会だ。
客観的に数値で測れる能力で年収が決まり、年収が高ければ誰しも羨む裕福な暮らしが手に入る。容姿や愛嬌みたいな抽象的な素養は特段重要でなく、上から降って来るタスクを正確にこなせれば高確率で「勝てる」社会。
ルールが明らかでフェアだ。
でもその一方で没個性的な人に失望するテニス仲間君のような、一定の成功を手に入れつつその上を求めるような個性的な人もチラホラ育っているシンガポール。
目まぐるしく変化するこの国の価値観の変遷からは、今後も目が離せない。