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スナック花水木④

ミホさんの代わりに出勤したものの、ミホさん目当ての客ばかりだったらどうしよう。皆、がっかりするんだろうな…

私はそんな心配をしていたが、全くの杞憂だった。

ミホさんは前もって自分の客に、今度の月曜日は休むと知らせていたようだ。

そのせいか、代わりなど要らなかったと思うほど、店は暇であった。

あるいは、ミホさんの休みとは関係ないのかも知れない。理由なく混んだり、閑古鳥が鳴いたりするのが水商売なのだから。

それにしても客がいないと、なかなか時間が過ぎてくれない。

少し早上がり出来るかしら?月曜日からダブルワークだと、週末まで体が持ちそうにない…

 

やっと客が入ってきた。

私の知らない顔ぶれだったが、2度目の来店という二十代後半のグループだった。

そのテーブルに着いたものの、彼等は熱心に仕事の話を続けていた。隅っこでお酒を作りながら聞いていると、ソフトウェア開発の仕事のようだった。

私は耳を傾けながら、自分の会社との関連がないかどうかを探っていた。何しろ世間は狭いので、どこで何が繋がっているか解らない。

話が一段落した頃、客のひとりが私に話しかけてきた。

「すまなかったね、仕事の話ばかりして。聞いても面白くなかったでしょう?」

「そんな事ありませんよ。だって、皆さんのお仕事、私の昼の仕事と同じ職種みたいだから…」

「えっ?そうなの?」

「シーッ、ここだけの話ですよ」

「へぇー、君もプログラマーなんだ。何ていう会社?」

 

彼等はもの珍しそうに私を見た。思いがけず彼等に興味を持たれてしまったので、私は少し慌てた。

 

「それは…あの…秘密です」

「どうして夜の仕事を?」

「実は…ワケありで。言えません」

「それもそうだな。でも、昼も夜もじゃキツいでしょ」

「ええ。正直言って、結構大変なんですよね…」

「これは驚いたなぁ」

 

質問攻めにあった私は、他の用があるフリをして一旦席を離れた。

いけない、ついうっかり昼の仕事の話をしてしまった。話題を他に逸らさなくては。

彼らはまだ、私が気になっているようで、視線をずっと感じていた。

女のプログラマーがそんなに珍しいだろうか。私の会社でも、女性は2割以下だけど…

席に戻っても彼らの関心事は、私のダブルワークについてだった。

「君の事を見ているとさ、こう言っちゃ悪いけど、夜の仕事はあまり向いてないんじゃないかな」

「あはは、やっぱり?そうですよねー」

「こういう仕事は、辞めた方がいいよ」「そうだ。夜は辞めた方がいい」

「僕らで今、話してたとこなんだけど、良かったらうちの会社で働かない?」

「えーーーっ?」

思いがけない言葉に、私は大きな声をあげてしまった。

「今の会社に何か問題があるから、バイトなんかしているんでしょう?僕等がうちの社長に話してあげるから、ぜひ来なよ」

「いえ、そんな訳には…」

「まだ新しくて規模も小さいけれど、結構いい会社だよ。社長はすぐOK出すと思う」

熱心な勧誘が続いたが、私は彼らが気分を害さないよう、丁寧にお断りをした。

夜の仕事も向いていないけれど、プログラマーとしてのスキルもないので、せっかく紹介していただいても皆さんに迷惑をかけてしまうから…等と説明すると

「それなら、事務をやればいい。うちは、事務社員も募集中だから」

とまで言われた。

有難い申し出ではあったが、その話に乗る気は毛頭なかった。

スナックの仕事でお金が貯まったら、会社に借りたお金を返す。そして、スナックも会社も辞めると決めていた。

それから先は、何ひとつ考えていない。

だからと言って、この人達の会社に入れてもらう訳にはいかなかった。

私にプログラマーの適性がない事は、自分でも十分過ぎるほど解っていたから。

今の会社に入った時と、同じだった。

あの時の私も、何も出来なかったのに

「仕事は少しづつ覚えていけばいいさ。若い女の子が入ってくれれば、他の社員達がやる気を出すから」

と言われ、入社したのだった。

 

私は変わりたい。一体何に?どんな風に?

私は、私でなければ出来ない「何か」がしたかった。

でも、私でなければ出来ない「何か」って、何だろう…

 

グループが帰った後、すぐにタエさんが聞いてきた。

「ねえ、ユキちゃんのとこ、珍しく盛り上がってたけど、何事なの?」

「あのお客さん達、うちで働かないか?ですって。本当にまいっちゃう」

「ちょっと!それって引き抜きじゃない」

「あ、夜ではなく昼間の方です。同業の人達だったので、つい、私も同じ仕事…って話をしたら…」

「なあんだ、ビックリした。でも、いい条件なら考えてみたら?」

「だって、今の会社も、このお店も辞めてからの話なんです」

「ダメーっ!そんなのダメダメ。今、ユキちゃんに辞められたら困るもの。アイちゃんは夏休みで帰省中だし」

「ですよねー」

「ミホちゃんだって、いつ来られるようになるんだか…」

 

えっ?

 

「ミホさんのお休み、今日だけじゃないんですか?」

「あっ、そ、そうだよね。でもほら、検査の結果次第では、わからないじゃない?」

タエさんは、少し慌てた様子だった。

この時のタエさんは、ある事を隠していた。でも、私はそれに気が付かなかった。

 

その3日後。

店に入ると、タエさんが暇をもて余し、ソファーにしな垂れ掛かっていた。

もう来ているはずのミホさんが、まだいなかった。

「おはようございます。あの、ミホさんは?」

「おはようさん。ミホちゃんねぇ、やっぱりあれから来てなくて、昨日も一昨日も私ひとりで大変だったのよ。でもね、これから来るみたい」

「そうだったんですか…」

「あっ!そうそう。ほら、この前のグループ、あの翌日も来たよ。まだ若そうな社長さん連れて、ユキちゃんいますか?って」

「本当ですか?」

「大丈夫。ユキちゃんの引き抜きならお断りですよって、ちゃんと言っといたから」

「ああ、よかった。タエさん、ありがとうございます」

あの話が冗談ではなく、本当だったなんて。私が休みの日で良かった。ひとりで忙しかったタエさんには申し訳ないけれど…

 

扉が開き、タエさんとふたりで「いらっしゃいませ~!」と声を揃えたが、入ってきたのはミホさんだった。

「おはようー。遅れてごめんなさい。ずっとお休みして、本当にすみませんでした」

「いいからいいから。ご覧の通り、ガラガラだもの」

「ミホさん、体の具合いかがですか?胃カメラ、苦しくなかったですか?」

「ユキちゃん、月曜日はありがとう。実はね、私」

ミホさんは、私とタエさんしかいないのを確かめるように、辺りを見回した。

 

「検査って言ったの、あれ、嘘だったの。ごめんね」

「嘘?」

「本当はね、お腹に赤ちゃんが…私、妊娠したの」

ミホはまるで他人事のように、あっけらかんと話した。

「もう、堕ろしてきた。

私ね、彼氏と同棲していたの。

でも、別れた。彼氏に出て行ってもらった。

だって、私が働かなきゃ生活出来ないんだもの。

子どもなんて、育てられないもの」

 

突然のミホの告白に、私は激しく動揺した。

 

「驚いたでしょう?お願いだから、ふたりとも普通にしてね。

私は全然平気。あんな男と別れて、せいせいしているんだから。

あ、社長とマスターには絶対に言わないでね」

 

言えるわけがない。

 

ミホさんはこの時、ひらひらの花弁のような深紅のブラウスと黒のロングスカートで、細いウエストをベルトでキュッと締めていた。

華やかで美しい、いつものミホさんだった。

 

全然平気なはずがない。

 

本当は、ミホさん、赤ちゃんを産みたかったのでしょう?

だから、あのワンピースを買ったのでしょう?

 

その言葉を私は、泣きだしそうになりながら飲み込んだ。

ミホさんのお腹に授かった命は、もう、葬り去られてしまったのだから。