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天才・羽生結弦を育てた「羽生家の家訓」

なぜあれほど、心が強いのか
週刊現代 プロフィール

羽生を長く取材するスポーツライターは、オーサーの指導方法が、羽生の両親の考え方とも合っていたという。

「オーサーは選手とのコミュニケーションを非常に重要視するコーチです。『この技術はこうしないといけない』と決めつけるコーチもいますが、オーサーはまったく逆。言葉を尽くして選手と話して、その選手にあった方法を一緒に探してくれるんです」

リンクの上では、常に射るような眼光で、メンタルの強さを感じさせる羽生。だが、幼いころから羽生を知るスケート仲間は、羽生の中には今も「二面性」があると言う。

「強いゆづと弱いゆづ、その二つです。あれほどの選手になっても、弱いゆづは完全になくなったわけではない—いや、その弱さがあるからこその、ゆづなんです」

象徴的な出来事が、あの3・11、東日本大震災の日にあった。地震が起きた瞬間、羽生はアイスリンク仙台で練習中だった。突然すさまじい轟音と共に大きな揺れに襲われると、羽生は先輩スケーターにしがみつき、「やだやだやだ」と叫んだ。先輩が「大丈夫、大丈夫だから」と言っても、ただ泣いて震えていた。

リンクの氷は割れ、建物も半壊状態。家族は全員無事だったものの、電気、ガス、水道などのライフラインが寸断され、自宅にも戻れず、家族で4日間、避難所生活を強いられた。

「こんな状況でスケートをやっていていいのか」

恐怖が去った後、羽生を支配したのはそんな感情だった。悩む羽生に前を向かせたのは、母の後ろ姿だったという。

 

「お母さんはまさに駆けずり回って、結弦が練習を再開できるよう、スケート連盟やコーチにも片っ端から頭を下げて回っていた。こんな時だからこそ、結弦は滑らなければならない。ここでへこたれてはならない。母のその思いが結弦には伝わったのでしょう。『僕は自分のためだけに滑ってるんじゃない』と、彼が口にし始めたのはこの頃からです」(前出の友人)

グランプリシリーズ中国杯で、激突事故の直後に強行出場をしたことが、日本国内で賛否両論を巻き起こした。だが、前出のスケート仲間は、「あそこで出場しなければ、それはゆづじゃない」と断言する。

「批判する人たちは『アスリートとしてどうだったのか』と言いますが、ゆづは単なるアスリートじゃないと、僕は思います。もう少しロマンチックな、わかりやすく言えば『少女漫画に出て来る主人公』みたいな奴なんです。

使命感という言葉が適当かどうかはわからないけど、リンクに立てる以上は、あそこで棄権するという選択肢はゆづにはありえなかったはずです」

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