リオ五輪でプロポーズが大流行 「ロマンチック」か「女性蔑視」か
中国人男子選手が女子選手のメダル受賞の場を使って公式にプロポーズしたことで、この女性選手をプロフェッショナルな業績を成し遂げた人物という存在から、「俺の女」という枠組みの中に入れて矮小化させてしまった、と指摘した人たちが英国にいた。
しかし、英国内でもそして日本でも、「そこまで考えることはないのでは?」という声が強かったようだ。特に、同性同士の公開プロポーズも同時に行われたことで、「男性対女性」、「女性差別」という視点から見る傾向は薄れてきたと思う。
ただ、英国には日本からすると驚くほど性差別(および人種差別や信仰差別)に対して敏感な人がおり、これが大きく報道されることは珍しくない。
BBCが慌てた「ベイク・オフ」の例
例えば、最近、大汗をかいたのが英BBCだ。
BBCにはケーキやパンなど焼くベーキングのスキルを競う、超人気娯楽番組「グレート・ブリティッシュ・ベイク・オフ」がある。
新しいシリーズが始まるので宣伝用の資料を作ったところ、男性出演者が抱えている容器に入ったアイシング(甘いペースト状のクリーム)がブルー、女性がピンクだったことでクレームがついた。男性だからブルー、女性だからピンクというのが性差別的だ、というのである。
「ベイク・オフ」は応募した一般の市民が参加する。番組には男性も女性も参加し、性差別がないことを楽しんできたという番組のあるファンは、ツイッターで「男性がブルーで女性がピンク?頭に来るわ」とつぶやいた。
「この番組は性によるステレオタイプがない番組のはずなのに、なぜ?」と別の人がつぶやく。「男性だからブルー、女性だからピンクなんて。馬鹿げている」。
野党・自由民主党の議員さえも「番組を楽しみにしている。だが、女性にはピンク、男性にはブルーと言うのは止めたほうがいいな」とツイートした。
BBCは間もなくして、アイシングの色を変えた。左の男性のアイシングは黄緑、女性は紫、右側の男性は緑だ。
なぜ、男性=ブルー、女性=ピンク、だとだめなのか?不思議に思われる方もいるかもしれない。
その理由は、性によるステレオタイプ化、役割の固定化になっているためで、これを不快に思う人がいる、ということだ。「男性だからこれ、女性だからあれ」、とステレオタイプ化してしまうと、最終的には性差別につながる可能性がある、と見る。
例えば「学級委員長には男子、副委員長には女子で決まりだね」、「男性は外で働く、女性は家にいるもの」、「男性には重要な仕事が任せられるが、女性はそうではない」などといった考えにつながりやすい、とされている。
もちろん、逆に「男の子だから、料理じゃなくて、工作をやろうね」、「男だから我慢しなさい」など、男子への圧力となる場合もある。
性に縛られず、一人一人として生きることー。これが理想的な形として認識されている。
といっても、あくまで「理想」である。現実はなかなかそうはいかない。男性と女性は体のつくりも違うし、性に縛られないように…と言われても意識が十分には付いていかない。
差別(性、人種、信仰、年齢層なども)をなくするには、該当者以外には意識しにくい差別を何らかの形で可視化する必要があるだろう。
性差別を記録するサイト
2012年に作家ローラ・ベイツさんが立ち上げたサイトへの投稿は、ウェブサイトから事例を報告するか、サイトの責任者に電子メールを送る、あるいはツイッターを使う方法がある。報告者は実名、仮名のどちらも選択できる。
英語版を開くと、利用者から寄せられた実例で一杯だ。
「アメリカの大学にいた時、図書館にいたら、隣に男性が座った。男性はマスタべ―ションを始めた」。男性をどかさないと動けない状態にいたこの女性は出るに出られず、時を過ごす。男性が出て行った後、女性は呆然とする。「いったい自分の何がいけないのか」。
「1年前から海外でボーイフレンドと暮らしている。家に電話を入れて父と話すと、必ず『ボーイフレンドはちゃんと面倒を見てくれているかい?』と聞かれるわ。娘の身を心配しているからそう言うのだろうけど、海外に住んで4年目だし、博士号も持っている。自分で自分の面倒は見れると思うけど」
「一ヶ月ぐらい前に、30歳ぐらいの男性に付け回けされた。『君の笑顔が僕と性行為をしたいと言っているからだよ』と言われた。私はまだ15歳なのに!」
「男性上司が私に性差別をしているというと、みんなが『過剰反応はするな』と言う。『体を触られた』と言えば、今度は『お前がそうさせたんだろう』って言われるのよ」
「今日学校の地理の授業で、ポスターを作ることになり、文具を取り出して作ろうとしていたら、女性の先生に『ハンナにやらせてね。男の子はポスターを作れないんだから』と言われた。男性だから、飾るものを作る作業ができないっていうこと?返事さえしなかったよ。いつもこんなことがあるよ」
その人の性によって他者に不当な言動をされた、扱われたと感じた事例が続々とつづられている。そのほとんどが女性に対する差別あるいは不当と本人が感じた例だ。
サイトの目的は「女性たちが毎日経験する性差別の事例を集めること」。
「ひどい差別、ごくわずかな差別」、すでに日常化して「抗議しようとさえ思わない」差別などすべてを対象とする。記録に残し、その体験を共有することで、「性差別が存在すること、女性が毎日直面していること、議論するに値する問題であること」を世界中に示すことを狙う。
「自分に何か落ち度があるのか」と悩む
ベイツさんはケンブリッジ大学を卒業後、ロンドンで女優業を始めたが、性の対象としてのみ女性を描く脚本やコマーシャルなどに失望。プライベートでもバスの中で体を触られたり、自宅までの道を男性に追跡されたりなどのいやな経験をした。「自分に何か落ち度があるのだろうか?」と悩むようになったという。
他の女性も同様の経験をしているのかどうかを探るためにサイトを立ち上げた。「100人位の女性から投稿があるかもしれない」と思っていたところ、インド、ブラジル、ドイツ、メキシコ、フランス、米国、ロシア・・・世界各国の女性たちが続々と報告を送ってきた。最初の1年で投稿数は2万5000を超えた。
ベイツさんは地元英国のメディアのみならず、中東、南アフリカ、カナダなどさまざまな海外メディアの取材を受けるようになった。
反響の大きさはベイツさんにとって「予期しなかったこと」だったが、ほかにも予想外のことがあった。それは個人攻撃のメッセージだった。
サイト立ち上げから間もない頃、ベイツさんは「お前たちが性差別を受けるのは女性が男性に比べて劣る存在だからだ。男性が性行為をするために女性はいるんだ」と書かれたメールを受け取った(英ガーディアン紙、2013年4月16日付)。メールの最後には「殺すぞ」とあった。
衝撃を受けたベイツさんだったが、サイトの管理を手伝ってくれるボランティアの仲間たちやほかの女性たちから助言や励ましを受け、落ち込みを乗り越えたという。2014年には、投稿を1冊の本にまとめている。
性的嫌がらせ(セクシャル・ハラスメント=セクハラ)」と言う米国発の言葉・概念が日本に渡ってきて久しい。当初は「セクハラ=女性に対する性的嫌がらせ」と受け止められていたが、現在では男性と女性のどちらの性も嫌がらせを受ける側、あるいは嫌がらせを行う側になり得ることが認識されるようになった。
性差別やセクハラはしてはいけないことーこの認識は広まったものの、性を理由に不当な扱いを受ける状況が解消されたわけではない。「日常の性差別」のサイトが、あえて「日常の」とつけたのは私たちの日常生活で性差別が普通に発生していることを気づかせるためだった。
ベイツさんのサイトにはこんな表現がある。「下院で女性の国会議員に対して無礼な言動があったと、女性が不満を口にしたとしよう。『過剰反応だよ』といわれるのが落ちだ」。また、「メディアが女性を性的対象として報道していると指摘すれば、『しらけることを言うなよ』といわれてしまう」。サイトの存在意義はまだありそうだ。
(記事の一部に読売オンライン「欧州メディアウオッチ」=2014年9月2日掲載=の筆者記事の情報を使いました。)