先日発売された落合陽一氏の新著「日本再興戦略」のこの一節が引用され、金融界隈の間で話題になっておりました。
- 作者: 落合陽一
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2018/01/30
- メディア: Kindle版
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ゼロサムでトレードを生業とする金融の人が社会にもたらす貢献は、適正な金融商品が適正な価格になるお手伝いをしていることだけで、それ以外は何もありません。そうしたアービトラージ(裁定取引)もコンピュータがやってくれるようになったら、ますます価値がなくなってしまいます
金融商品の売買がゼロサムゲームというのは、誰かの利益=誰かの損失でしか構成されていない、何も価値を生んでいないということを言っているのかもしれません。
教科書的な説明では、株式を発行する企業が事業を行って生み出す将来キャッシュ・フローの割引現在価値が株式の価値となります。
市場に参加する人々は、それが割高なのか、割安なのか、それぞれ持つ情報に基づいて売り買いしています。
それぞれ評価が異なるので、売買が成立するのであって、丁半博打のように誰かが利益を出せば誰かが損失を出すというものではありません。
金融機関は、売買を仲介して取引費用を節約したり、情報を提供して情報の非対称性を緩和したりするわけで、不完全市場では達成されない金融取引による交換の利益を増やすという社会への付加価値の提供を行っています。
次に、文章の後半ですが、企業が開示する情報が瞬時に市場参加者にいきわたり、それが素早く価格に反映されるので、今日の金融市場では、裁定取引の機会はほぼ存在し得ないということは広く合意されています。
これはちょっと前に話題になった電子的な高頻度取引のことをイメージして発言しているのかもしれませんが。
金融取引のうち、一部の事象を切り取って「無価値だ」と断じる言説は社会に広く流布しています。
一つの社会通念、常識になっているのかもしれません。
現代の魔法使い、と呼ばれる若き天才、落合陽一氏でも金融に対する認識はこういう感じなんだな、ということで、少し残念に思いました。
金融の機能と役割について、わかりやすく解説した教科書はいろいろ出ています。
- 作者: 村瀬英彰
- 出版社/メーカー: 日本評論社
- 発売日: 2016/12/22
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