井上: 私、『不死身の特攻兵』を読ませていただいて、ちょっと他の人とは違った感じ方をしました。というのは9度の特攻出撃から生還した佐々木友次さんという人が並外れた精神力と飛行技術の持ち主であることに異論はないのですが、あの戦時の極限状況で、こんな奇跡的なことはどんなに超人的な人であっても個人の力だけでは無理だったのではないかなと思うのです。
それを可能にしたのは、本来は爆弾を切り離せなくなっていた飛行機に手を加え、爆弾を切り離せるようにしてくれた整備兵や、不時着したときに襲うどころか、逆に現地の日本軍の基地まで送り届けてくれたフィリピンの人たち、あるいはマラリアに罹って治療していたときに出撃を促しに来た上官に反対してくれた軍医などの存在だと思うのです。
佐々木さんという個人の強さだけではなく、それをいろんな形で支えた人たちが存在していたというところに、大きな可能性を感じます。
何でもかんでも自己決定権で、自分一人でできると、自分で自分のことは責任を取る、というのは無理な話で、自分が何かを成し遂げることができるのは、他人の少しずつの善意の結果なのではないかなと思うのです。鴻上さんの本を読ませてもらって、それを強く感じました。
鴻上: なるほど、確かに佐々木さんが所属していた万朶隊の岩本益臣隊長は、優秀なパイロットを特攻で散らせることに我慢できず、上官には内緒で整備工に頼み込んで、本来は切り離せない爆弾を切り離せるようにしてもらったわけですね。
ところが岩本隊長が第一回の出撃の前に亡くなった後も、毎回ちゃんと爆弾は切り離せるようになっていた。それは本当に整備の人たちが同じ整備を続けてくれていたからなんですね。
飛行機が爆破され、別の機体に替わっても、ちゃんと切り離せるようにしてくれていた。これは矢面には立てないんだけれど、「この作戦はおかしい」と思う人たちが周りで支えてくれていたということですよね。
鴻上: 近現代史を扱う本を書くものの宿命かもしれませんが、ある程度本が売れてくると、ほとんど読んでいない人からの批判がくるようになりませんか。
井上: あります、あります。
鴻上: まあSNSで批判してくる人のアカウントを見ると、フォロワーも数人だったりするので気にしないようにしていますが、自分が読みたい言説だけを読み、それに沿わない論者にはあたりかまわず嚙みついてくるという人がネットを舞台に増殖しているような気がします。
井上: 研究者の中にはそういう人たちに関わりたくないから、ほとんど誰も読まないような学術論文で、先行研究にほんのちょっとだけ独自性があるようなものを書いて満足している人もいます。しかしそれは研究者としての社会的責任を何も果たしていないし、そんな「研究」は単なる趣味でしかないですよね、って言いたいのです。
私が自著の出版のときに新書の形式にこだわるのも同じ理由です。新書ならなんと言っても1万部くらいは刷ってもらえるので、研究のフロントラインをできるだけ分かりやすく世の中に提示することができる。それが研究者の仕事だと思っているからです。
鴻上: 大事なことですよね。アカデミズムが大衆から逃げたり大衆を馬鹿にしたりして一歩引いてしまったことが、リアリズムと実証主義に基づかない無知で無責任な言説が大手を振ってまかり通る現状を生んでしまった原因であることは間違いないと思うんです。
僕はずっと演劇という、アカデミズムではない普通の人たちにものを提示する仕事をしてきたから、時には面と向かって批判されることもあるわけですが、アカデミズムにもある程度そういう覚悟は必要だと思う。一般の人がアクセスしやすい形で、自分の考えを打ち出していくのはアカデミズムのある種の責務だと思うんです。
井上先生は今回それを見事にやってくださった。これからのお仕事も注目させてもらいます。(構成 阿部崇)
読書人の雑誌「本」2018年3月号より