私は1987年生まれの今年で31歳になる人間だが、覚えている一番古い「芸能人の死」はX JAPANのメンバーの方の報道である。今調べたら1998年のことだそうだ。ちょうど20年前。
特にバンドとかに興味があるような子どもではなかったので当時誰のことかはよく知らなかったのだが、とにかく連日テレビでやっていて、テレビの画面に映る嘆き悲しむファン達の姿を覚えている。
昨年12月にジョンヒョンさんが亡くなった。
テレビでは、葬儀場に駆けつけたファン達が彼を悼むため長い行列を作っているのが報道されていた。それで思い出したのが20年前のあの映像だった。
私は現場には行かなかったのであの行列に私がいたわけではないけれども、20年前に見たあの映像と同じようなことが、自分自身に起こるなどとは考えたこともなかった。そう思った。
その日は、私がここ数年通っていた社会人大学院の修士論文の提出日だった。私は修士論文を提出し、本当にほっとして、それから家に帰るところだった。電車のなかでツイッターを見ていたら、突然、多分私がフォローしているKBSのアカウントからだったと思うけど、「샤이니 종현, 숨진채 발견」という速報が流れてきた。
それが、韓国語での誰かが亡くなったときのニュースの決まった言い方であるというのは勉強して知っていた。直訳すれば「亡くなったまま発見」とでも言えばいいのか。しかし、一瞬意味がわからなかった。「は?」と思ってそのままツイッターを更新し続けていると、10分も経たないうちに今度は日本語のニュースが流れた。「SHINeeジョンヒョン、遺体で発見」。最初に見たのは多分聨合ニュースの日本語版アカウントだったと思うけど定かではない。今度こそ意味がわからないわけないのだが、それでも意味がわからなかった。「まじでか」などというしょうもない言葉しか出てこなかった。
TLはものすごい大混乱になった。嘘でしょ、と皆が言っていた。亡くなったという報道は誤りで、病院に運ばれて今治療中なんだという話もなされていた。本当にそうならいいけれど、と思いながらツイッターにはりついていた。しかし夜10時くらいになると、KBSかYTNで「遺体で発見」などと言っているニュースが流れ始めていた。その時点で、私は、ああ、本当なんだ、と思った。ちゃんとした、と言ったら変だが、そういう専門の通信社が流すというのだから、多分本当なのだ、と。英語や日本語でもニュースがばんばん流れていった。私がフォローしている、SHINeeとは関係のないアカウントの人たちがそれらを見て、「え、私のフォロワーさんにもファンがいるのに…」などと次々驚いたりしていた。哀悼のメッセージを発する人が増えていった。ファンはそれでもまだ、一縷の希望を託してSMエンタの公式発表を待った。しかし日付が変わって少し経った頃だったか、ついに発表があった。それは間違いなく、彼が亡くなってしまったことを伝えるものだった。
ジョンヒョンさんの友人のナインさんから、彼から預かったという遺書が公開された。亡くなるほんの一週間前に彼はソウルでソロコンサートを開催していた。その前に彼から預かったという。死んだら公開してほしい、と言われていたそうだ。内容は、非常に苦しさが伝わってくるものだった。彼女もこんなものを渡されてそれは困っただろうな、とうすぼんやりと思った。こんなものを預けられて、でもその後にちゃんとソロコンサートもやっているわけで、まさか本当をこれを公開することになろうとは、その最悪の想像は、なかなかつかなかったんじゃないだろうか。勝手に推し量るのみだが。
ジョンヒョンさんは、お姉さんに最後のメッセージを送った、と伝えられている。それを受け取り、慌てて通報し、そしてその部屋で彼の姿を見つけた、そのときの感情は想像してあまりあるものがある。
葬儀が執り行われながら、私は韓国ではこういう風に葬儀をするんだなあ、と初めて知った。ネットで色々調べたりもしてみて、日本のやり方とはずいぶん違うことを知った。
弔問に訪れる同じ事務所の私たちファンにも馴染みのある面々や、その他芸能人などが続々とニュースで取り上げられた。そしてファンの長い列。遺影のなかのジョンヒョンさんは柔らかく微笑んでいた。たくさんの人が嘆き悲しんでいるその場所で、写真の中の彼だけが笑っていた。
喪主、というのが韓国にもあるそうだが、そこにSHINeeのメンバーの名前が並んでいた。何度見ても現実感が無かった。メンバーが死んで、その喪主にメンバーの名前が並ぶなんていうのが今あっていいはずがない、と思った。そういうのは、彼らがジジイになって、私もババアになって、そういう歳になって、往時を思い返して懐かしみながら「今でも喪主をやるくらいなんだなあ、そういうグループだったんだなあ」なんて思いに浸りながら偲ぶときにあってほしかった。それが今起きているだなんて信じられなかった。だってまだ全員20代なのに。
ニュースがあってから葬儀の間、SHINeeのメンバーを見ることはなかった。出棺の日、彼らはカメラの前に現れた。位牌と棺を抱えたメンバーの姿は、このうえなく憔悴して見えた。メンバーの位牌を持ち、棺を抱えたSHINeeの姿を見ることがあるなどと想像したこともなかった。いつも華やかに笑っていた彼らの、萎みきった背中は相変わらず現実感が無かった。何かドラマの一場面なんじゃないかと何度も思ったが、しかし本当だった。
同じようにいつも華やかな笑顔ばかり見ていた少女時代やスーパージュニアなどのメンバー達もそこにいてジョンヒョンさんを見送っていた。誰もが、本当に言い尽くせない悲しい顔をしていた。遺影のなかのジョンヒョンさんだけは、変わりなく優しく微笑んでいた。当たり前だった。彼の時間だけが、もうそこで止まって動かないのだから。
このニュースの前に、SHINeeの日本でのドーム公演が既に告知されていた。オニュさんの兵役前最後の公演だ、と予め銘打たれていた。
こんなことが起こるとは全く思わない、2017年の夏、ひとつ事件があった。オニュさんがセクハラ容疑で逮捕されたという事件で、このときも目撃情報などが錯綜し、結局日本で言うところの書類送検的なものになったらしいのだが、司法のことはよくわからないし更に外国の司法はもっとよくわからないしで結局どうなったのかよくわからない。
オニュさんを脱退すべき派、それでも私は彼を信じて待つ派などファンの間もごっちゃごちゃになりツイッターで誹謗中傷も含めた議論が巻き起こった。日本では待ってるよ勢が優勢に見えたが(それもどうかと思うが)、韓国では脱退して4人派も結構多いように見えた。ネットでしか見てないからよくわからない印象論でしかないんですが。#MeTooが世界的に盛り上がっている昨今であるし、彼への批判はもっともなものである。
私は態度を決めかねた。脱退しろとまで言うことはできなかったが、しかし自分が全く知らないグループだったら「最悪だな、永久に芸能界に戻ってくるな」とか言ってたと思う。私はかくもダブスタな人間だった。
とりあえず彼はしばらく活動を自粛する運びとなり、9月のドーム公演は彼無しの4人で行われた。その後もこれからどうするのかよくわからないまま情報は無く、時間は流れた。そして前述の、オニュさん兵役前最後のコンサートというドーム公演が予告された。
私は行くのを迷っていた。このままオニュさんの件がどうなったのかよくわからないまま行って前と同じように声援を送ることが「正しい」のかわからなかったからだ。私は普段性暴力には絶対反対の意見を明確にしている。そんな容疑がかかった(もしくは既に解決済みなのかさえよくわからないのだが)メンバーに声援を送ることが許されるのか、果たして。ていうか多分許されないんじゃないかと思った。本当ならば行かないでいるべきだと思った。しかし実際兵役前最後と銘打たれているわけで、これが最後になるならやはり行きたい気持ちもあった。
一体どうしたものか、と考えてチケットの申し込みをしないでいるうちに、ジョンヒョンさんのニュースが飛び込んできた。
公演は中止になるかなと思っていたが、決行されることになった。メンバーの直筆のメッセージが公開された。予定通り開催することについて、ミノ君が、「どれが正解であるか僕たちにもまだわかりません」と言っていた。私は最終日だけ行くことにして、友達とチケットを取った。
そして迎えた当日。
京セラでの公演が既に行われていたので、大体の内容は聞き及んでいた。私は上記のようなこともあったうえのこれで、正直言ってもうSHINeeのコンサートに行くのは最後になるんだろうなあと思っていた。こんなにたくさん色んなことがあって、それでもなお以前と同じように彼らに声援を送ることは不可能だろうと思っていた。もしかしたら泣きさえしないかも、と思った。
しかし始まってみるともう最初に、なんか画面に宇宙みたいな映像が流れた瞬間から既に泣いていた。まだ本人達の映像すらまだ映ってないのにもう泣いてるよ!と自分でも思ったけど、回りからも次々にすすり泣きが聞こえてきたので多分私だけではないと思う。
メンバー4人の姿が舞台に、証明に照らされて現れた。ああ、4人なんだなと思った。そしてこれが5人になることはもう本当に永久に無いんだと思うと、とにかく悲しかった。
演出は非常によく考えられていたと思う。最初はかなり抑制的で、彼を悼む雰囲気で満ちていた。何曲か歌って、完全に生歌でしかもジョンヒョンさんのパートが各メンバーにきちんと割り振られているのがわかった。ダンスも4人でやっていて、これらを練習するのに一体どれほど大変で、そしてつらかったかなあ…。メンバー達はいつもどおり「輝くSHINeeです」と挨拶した。いつもと同じなんだけど、ああこれももう4人で言うんだなあ、と感じざるを得なかった。
その後にはジョンヒョンさんを悼むコーナーが設けられていた。彼の曲である「하루의 끝」が流れ、画面には彼の写真とともに彼へのメッセージが流れる。日本語と、ちゃんと韓国語でも流れていた。在りし日の姿、という言葉を使うのはあまりにも早い気がするが、そうとしか言いようが無い画像が次々と移され、ドームには泣き声が満ちた。映像の後には、ジョンヒョンさんのパートはそのまま彼の歌声が流れる様式で、バラードが歌われた。彼の声が流れるたびに、この声の人はもうこの世にはいないのだというのが改めて、信じられないなあとしか思えなかった。歌の途中にミノ君が「ジョンヒョニヒョン!!」と叫んだ。ファンは皆、文字通り号泣していた。よく「号泣する」と言うが、本当に本当に号泣する姿を、しかも一度にこんなにたくさん見たのは、私は初めてだった。
こんなに皆悲しんでいてとてもじゃないがコンサートを楽しめるわけがない、と思ったけども、曲順や照明などで段々と楽しい雰囲気も出てきて演出の気球が飛ぶ頃には笑いも結構起きていた。それで初めて思ったけど(今更)演出ってすごいですね。
それでもやはり、最後にはやはり皆泣いていた。SHINeeの名前を呼ぶ会場の声ば、一番最初の東京ドームよりも大きかった。ヌナンノムエッポが合唱になったときは本当に涙が止まらなかったし、そしてダブルアンコール、最後の最後、聞いていたとおり、五つのマイクが浮かび上がる舞台で四人が歌う声、そしてぽかりと空いた真ん中の空間、マイクにつけられた一輪のバラと、録音されていたジョンヒョンさんの歌声が、誰にも埋められないその位置を、これまでの何より表していた。彼の歌声はのびのびと明るく、優しく、響いた。改めて、彼はこんなにもすばらしい歌声だったのだと今更ですが、思った。こんなに歌がうまい人にはもう出会えないんじゃないかと思った。歌が終わった後には、本当に文字通り、嗚咽があちこちから聞こえた。あんなにたくさんの嗚咽を一度に聞く機会も、もう無いと思う。
私はずっと歯を食いしばっていたらしく、今日までずっと歯というか顎が痛い。
今回全くトーク無しで進んだこのコンサートにあった最後の挨拶で、オニュさんが、「祈ります」と言っていたのが印象的だった。
この世には、誰にもどうすることもできない、どうしようもないことがある。だから、こうしてほしいとか、こうしてくださいとか、こうしたいとか、相手にも自分にも何も確約できない。そういうときは多分祈るしかないのだと思う。何に対して祈るかはそれぞれによると思うけども、とにかく、祈るまでしか、言うことができない。
SHINeeはもう、こうしたいとか、こうしてほしいとか、そういうことが言える世界にはもういられなくなってしまったのだと思った。
代わりに、もう祈ることしか、できない。自分の手にあまることが起こる世界では、こうあってほしいという希望はそのまま口にすることができない。ただ祈ることしかできない。誰に対しても、自分に対しても。
ミノ君は「強さが正解ではないとわかった」と言っていた。太陽のようにひたすら明るかったミノ君が、こんなことを言うなんて、と思わずにはいられなかった。
「お姉さんはとてもきれい」と歌っていた少年達はいまや…というのが、記事でよく使われるSHINeeの枕詞だった。子どもだった彼らはいまや立派な大人になって、というわけだ。
しかし、お姉さんはとてもきれい、と歌っていた子どもだった彼らがたどり着いた大人の世界が、こんなにも影を背負ったものだったとは、と考えるとやりきれない。
子どもから大人になる間に、多分誰でも、それなりに自分ではどうすることもできないことを知って、少しずつ何かを諦めたり妥協したりししてどこかしらに影を負うものだと思うけど、それでも、彼らに降りかかる影がこれほど大きくつらく悲しいものになるだなんて誰も思わなかっただろう。
SHINeeは完璧なアイドルだと言われていた。不祥事的なことと最も遠いと思われていたグループに、まさかこんな最大級の衝撃が起こるなんてなあ、と思う。
最も「完璧なアイドル」に近いと思っていたけれど、完璧なんてものがこの世にあるはずはなかった。それは、一瞬でも気を抜けば砕け散るような薄氷の上に立てられた砂の楼閣のようなものだったのだ。それほど、ありえるはずのないものだった。そんなことも知らずに、彼らのことを最も理想に近いアイドルだとずっと思っていた私は、ありえないものを彼らに投影していた。
しかし、彼らもまたその投影に確実に応えようとしていたのだと思う。「完璧なグループ」だと言われれば言われるほどに、それに絶対に応えたかったんじゃないか。しかしそれは、やはり人間には無理なことだったのかもしれない。少しずつヒビが入っていって、そして粉々に砕け散ってしまった。
「戻ってきます」とオニュさんは言っていた。この砕け散った欠片が散らばるここで、もう一度新たに城をつくりなおすのは、並大抵のことではないと思う。
城などつくらなくてもいいと思う。そのほうが楽ならそのほうがいい。ただ、城をつくらないでいるよりもまた城をつくりたいというなら、もう黙ってそれを見届けるほかないと思う。
こんな彼らの姿を見てしまったら、もうこれが最後だなんて言うのは無理だなと思った。これからも応援「しなければいけない」と私は思った。おこがましい言い方かもしれないが、ここで彼らを「見捨てる」なんてとてもできない。
オニュさんの事件のことは棘のようにひっかかっているのですが、もう駄目だと思った。この棘はもう刺さったままでいいからそのまま行こう、というような気持ちになっている。
だから私はこれで本当に正しいことはもうできない。
けど、それなりの反省と社会的制裁を受けたなら復帰も可能、ということであれば、制裁はもう十分受けたという気もしてしまうんですよ。それとこれとは全く別だろう、ちゃんと反省したのかよ、とかもう言おうと思えばいくらでも言えるんだけど、なんかもう、あの姿を見たら、言えなくなってしまった。
とはいえ、実際次の活動がどういう形で、そもそもあるのかさえ、よくわからないですが…。
SHINeeのファンになったのは2013年の12月だった。最初に彼らを見たのは、2014年1月の香港。ファンになって、すぐに香港に行くことを決めた。
それからほぼまる4年。もっと前から応援している人達に比べればひよっこである。たった4年、一方的に見ていたただの他人であるファンだけど、それでも悲しいものは悲しい。
もっと近しい人達にしてみれば、やりきれないことばかりだろう。
それでもこうして、こういう儀式を通じて、ファンは少しずつ気持ちを切り替えていくし、残された人たちも、少しずつでいいから、また新しい気持ちをいつか持てたらいいと思う。
そういう気持ちが持てなければあまりにも悲しくてやりきれないから。
けれども、一人で死んでいったジョンヒョンさんのことをふと考えてしまう。彼はどれほどつらく悲しく、苦しかったのだろうか。
傍目にみれば、売れているし、成功しているし、お金もあるし、家族とも関係はよく、友人もいて、メンバーとの関係もそれこそ死んだら喪主をするようなそういう関係で、才能もあって、外見もよく、そういう人が、ただその人本人にとっては、つらくてつらくて苦しくて仕方がなかった、ということが、ただ、悲しい。
彼が亡くなってから、数年前に死んだ友人のことをずっと思い出していた。彼女もうつ病だったし、まだ亡くなる前のことだが、彼女が死のうとしたことが一度ならずあったということをたまたま知ったときはものすごい衝撃を受けた。そこまで知っていたけど、それでもいきなり死ぬことがあるとは思っていなかった。働けていないことを気に病んでいた。私は、「こういう仕事ならできるかもしれないよ」というような話をよくしていた。具体的な求人情報を添えたりして。今思えば、そういう言葉のひとつひとつが彼女を追い詰めたのだろう、と思うが、今更後悔しても遅い話である。
ある日、彼女のご家族から連絡があり、彼女が死んだことを知った。私は今年でもう31歳になるが、彼女は永遠に30代になることはないのだな、と時々思う。
本当につらく苦しく、悲しかったのだろう、ずっと。死んで、今はもう、つらくも苦しくもなく、悲しくもなく、穏やかで豊かでいられるのだろうか。そめてそうであってほしいと祈らずにはいられない。私は確たる宗教をもっていないし、彼女が何か信仰していたのかも知らない。死後にどう祈るべきなのかわからない。
とにかく、もうつらいことなどまったく何も無いようであってほしい、とだけ思う。ジョンヒョンさんにも、とにかく今は、それだけを、祈ることしかできない。
学生時代、友人と、就活がつらいといってはよく会っていた。ちょうどリーマンショックが起きた後で、就職活動は厳しかった。今は状況は結構よいと聞く。内定が出たら鰻を食べようと約束していて、新宿で鰻を食べたなあ、と思いだした。そういえばその頃は、まだ鰻が絶滅するみたいな話はそこまで言われていなかった気がする。
友人と鰻を食べたお店にはそれ以来行っていない。
春になったら私たちは、どうなるのだろうか。春になったら、新しい季節が始まって、時間はどんどん過ぎていくんだろうか。そうして過ぎていくなかで新しい気持ちもどんどん育って、次へ次へと進んでいくことができるのだろう。ただ、もうそこにはいない人達は、同じ時間では歩いていくことはない。そうであれば、季節の巡りよりももっと穏やかな場所にいることを祈る。
春になったら、私はとりあえず、友人のお墓参りに行こうと思う。