2月25日に閉幕を迎えた平昌オリンピック。冬季としては史上最多の92の国や地域から参加者が集まった。
開会式には、日本の安倍晋三総理やアメリカのマイク・ペンス副大統領など、各国からの貴顕も顔を揃えていた。
ところがIOC(国際オリンピック委員会)委員も務めるデンマークのフレゼリク皇太子だけは、自国選手の激励に訪れるや、開会式にも出席せず足早に会場を後にした。
父ヘンリク王配殿下が数日前から肺の感染症にかかり、重篤の状態にあり、急いで帰国したのだ。
母マルグレーテ2世女王や妻メアリ妃、そして4人の子供たちと、コペンハーゲン近郊にたたずむフレデンスボー宮殿の一室で病床の父を囲んだフレゼリク皇太子は、数日後の2月13日午後11時18分、父の訃報に接した。殿下は睡眠中に安らかに息を引き取った。
享年83だった。
ご遺体はコペンハーゲン市内にあるアマリエンボー宮殿へと移され、17~19日の間に棺が礼拝堂に正装安置され、多くの市民が殿下に最期の別れを告げに訪れた。
2月20日には、故人の意思にもとづき、親類縁者だけで私的に葬送礼拝が営まれた。その後ご遺体は火葬された。
半分はヨットが好きだった殿下が、生前こよなく愛されたデンマークの海へと散骨され、残りの半分は息を引き取られたフレデンスボー宮殿にある私的な庭園に埋葬された。
しかしそれはデンマーク王室の長い歴史のなかでも「異例」の葬送であった。
日本では桶狭間の戦いで織田信長が今川義元を討ち取る前年にあたるが、1559年以来、デンマークの歴代君主はコペンハーゲン近郊のロスキレ大聖堂に配偶者とともに葬られるのが慣例となっている。
13世紀に完成した荘厳な建物で、ユネスコの世界遺産にも登録されている由緒ある聖堂でもある。
現在のマルグレーテ女王も、この地に埋葬されることを想定し、2010年にはデンマークを代表する芸術家ビヨルン・ノルガールドにデザインを依頼して石棺まで用意させた。
ところが2017年8月3日、デンマークの宮内長官府が衝撃的な発表を行ったのである。ヘンリク殿下が自分の没時には妻(女王)の隣には葬られたくないというのだ。
いったいなにがあったのであろうか。