小説『僕らのネクロマンシー』のリリースノート
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会社で共に働くメンバーが、「パッションがあるとはどういう状態か?」について語ってくれたことがありました。彼曰く、
「その行為ができないでいるのが苦しい」
「そのクオリティに至れないのが苦しい」
「だからそれを常に解消しようとする」
「そしてそれが解消されているとき、その人はあるアウラを発している」
「まわりの人はそれをパッションと呼ぶ」
とのこと。
翻って自分の話。
5年前に初めて小説を発表して以降しばらくの間、苦しい時期が続きました。小説を書き進められないことや、なんとか書き進めたものが満足いかないものだったりすることがとても苦しかった。苦しいならやめればよさそうなものですが、やめるともっと苦しい。だからしつこく書き続けて、やっと満足のいく新作を書き上げることができました。これを書いている間はずっと幸せだったし、書き上げてなお、その幸せな感じがまだ続いています。小説の話をするときに僕の背後にアウラのような見えたとしたら、それがパッションです。どうぞお手にとってご覧ください。
さてその小説ですが、著者としては、内容についてうまく語れません。ツイッターやブログには書けないからこそ小説というフォーマットを選んでいるので、それを自ら要約することができません。書くとしたらそれはあまりに長くなってしまうし、そもそもが、読み手が好きなように読めばよいと思うので余計なことを言いたくもありません。
なのでここでは、小説の「容れ物」について紹介します。
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最初の容れ物はiPhoneのメモ帳。
この中でというか上でというか、およそ10万文字の初稿を書きました。
それをWord → Google Docs → InDesignと乗り換えながら、紙に出力して改稿を重ねていきました。その途中で、優れた編集者、優れた校正校閲に出会えまして、初稿から数えて最終的に十稿までやり一旦の完成としました。
そして版元であるNUMABOOKSの内沼さん松井さん、デザインを担当してくださった藤田裕美さんのクレイジーなアイデアによって出来上がったのがこの本です。
表紙にも背表紙にも裏表紙にも一切文字がありません。
写真はエレナ・トゥタッチコワさんが遠野の猿ヶ石川のあたり撮影したもので、まずこれが小説であるかどうかというよりも、本であることさえ一瞬わからないような、写真作品のような外観をしています。
近寄ってみると、表紙は3ミリのアクリルです。
こんな感じ。
手に取ると、小説としては珍しい大きな判型、大胆に余白をとった変わったレイアウトにお気づきになると思います。
これは、柳田國男の『遠野物語』の初版へのオマージュを表したものです。
まず判型をあわせました。
そして、余白をとったレイアウト、ノンブルの位置、本文より上にある脚注など、特徴的な部分もあわせました。逆に、拙作の方は本文が横組みになっているなどの違いも。
ちょっと斜めから眺めてみましょう。
ちなみに『遠野物語』は初版の実物ではなく復刻版です。
本を開いてもう一度。
ページがべたっと開き、読みやすいようになっています。
パタンと閉じるとこう。
紙の厚みと重みがすごいので、開くときと閉じるときに、物理的な快感さえあります。
最初は私のなかにしかなかったエネルギーが、小説作品というかたちで世にあらわれて、それがクラウド上のデジタルデータから、最終的には本というフィジカルな物体になりました。なんという降霊術。
というわけで、初版限定350冊しか作らない(作れない)特別な本となりました。
ぜひお楽しみください。
特設サイト:僕らのネクロマンシー(試し読みできます)
販売サイト:NUMABOOKS出版部
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