神の子である兄弟、こんにちは。
西野です。
「会社を辞められるわけがない!」
ある日、彼女と居酒屋さんに行ったとき、
そんな声が、隣から聞こえてきた。
その会話から察するに、30代前半女性の模様。
女性:
「あたしだって、妊活したいよ!」
「でも会社を辞められるわけないじゃん!」
「あたしにだって、責任があるんだから。」
男性:
「なに言ってるんだよ、子供もいないんだからさぁ、」
女性:
「は!?まじ、気安く“子供いない”とか、言わないでくれる?」
「マジで、子供いないとか気安く言わないで。」
って会話が、比較的大きな声で聞こえてきた。
(その女性は“子供がいない”が地雷らしい。ブチギレていた。)
そのあとのことは、あまり聞いてないけど、
その会話だけ、やたらと僕らの耳に忍び込んできた。
それで、この会話で僕が気になったのは、
「会社を辞める、辞めない問題」
かな。
僕は就職というものを経験したことがないけど、
それに等しい“デリヘル店”での勤務経験はある。
性風俗ね。
そして、
「マジで、今の立場で辞められるわけがない」
と思い込んでいた1人だ。
その時は、数店舗の経営に携わらせてもらったので、
「辞められない」という完全なる思い込みをしていた。
部下が何人も居たし、僕じゃないと出来ないことも沢山あった。
そして、時が今となった僕は、
有料講座やビジネスコミュニティを自分で主催しているけど、
その会員さんの中にも、
「今の会社を辞めたいけど、辞められない」
という人たちは、結構たくさんいる。
その気持ち、すごく分かる。
だけど、僕はその「幻想」から抜け出して自由を手に入れた1人でもある。
これを書いている今の生活は、
パソコンで週に2〜3日だけ作業をして月に数百万円単位の収入を得ている。
(ほとんどが、これとは別のメインブログによって生まれている。)
そして今では、
「朝早く起きなくては“いけない”」
という日は、1日もなくなった。
もう、通勤電車に遅れないよう、
“ダッシュ”で焦りながら準備をする必要もない。
かつての「忙しい僕」と今の「ゆとりある僕」を比べたら、
もう何回、人生をやり直すにしても、確実に後者をチョイスする。
一瞬の迷いもなく。
だから、もしこれを読んでいるあなたが、
「会社を辞めたい、けど辞められない」
と思ってるとしたら、
この記事を“ある1人の価値観”として参考にして欲しい。
"スク水着"と"電マ"を持ってラブホ街を走った日々
で、話は僕がデリヘルの店長をしてた時に遡るんだけど、
その時はもう、クッソ忙しかった。
そのお店は、とにかく従業員の勤務時間が長くて、
正規の会社だったら即アウト。ブッブー。
それくらい、忙しかったんだけど、
なんでかっていうと、
見習いとして入ってきた従業員にさえ、
朝9時半から夜23時まで働かせるという、鬼の修行僧並み。
入店3日目には、15時間半の労働時間を強いる。
それは「飛ぶ」わな。
本当は、店長になった僕が変えるべきだったんだけど、
そのときは気付けなかった。
ずっと、何もかもを「何々が悪い」と"誰かのせい"にして生きていたから。
そんなこんなで、とにかくグループ自体のスタッフが少なくて、
1人への負荷が非常に大きかった。
だから、従業員は常に入っては飛ぶ、
というサイクルの繰り返しで、
僕は2ヶ月に1日休めれば良いほうという状態だった。
でも、その状態にしたのも、
他でもない「自分自身」だった。
なぜなら、
「忙しい自分でありたい」
という、潜在的(無意識)な欲求が隠れていたからだ。
なんで忙しい自分でいたいのか、というと、
それは『孤独』への恐怖だったと思う。
「社会的責任のある人間でいたい」
という幻想。
惑わされた価値観。
世の中は、社会的な地位が高いほど、その人物が“偉い”と言われる。
だから、自分の責任が上がっていくほど、
仕事を任せられるほど、僕は嬉しくなった。
それこそ僕も、本当に下積みから始めて、
スクール水着と電マを持ってラブホ街を走ったりして、
そこから上の立場まで這い上がったから、
その「地位」「ステータス」「収入」にしがみついていた。
もし辞めたとしたら、
「今までの苦労が無駄になる…」
という恐怖を感じていたことは確かだ。
そしてその結果、
「この責任あるポジションを失いたくない」
と思うようになってしまっていた。
まさに『過去への執着』だ。
『過去への執着』があなたのクビを締め上げる
僕らは、すぐに何かに執着するけど、
これはマジで「ガン」の要素そのものだ。
なぜ、人は何も持たず裸で生まれてきて、
あの世に"戻る"ときには何も持っていけないのに、
「もっと欲しい」
と欲に埋もれていくのか?
冷静に考えてみると、面白い。
だけど人は、どうしても「今、持っているもの」を
無くすのが怖いと“ガクブル”怯えている。
そして当時の僕も、
「もし万が一、この仕事(グループ)を失ったら、
“なんの価値も持たない人間”になってしまうのではないか…」
という恐怖を感じていた。
これは要するに、
『“一般社会”からの孤立』
『なんのステータスもなくなる自分』
に怯えていたってこと。
だから、会社を辞めたいけど辞められない
と思っている人は特に、
「それは執着ではないのか?」
と問いたい。
仕事を失うのが怖い。
家族を失うのが怖い。
ステータスを失うのが怖い。
車を失うのが怖い。
人脈を失うのが怖い。
お金を失うのが怖い。
“何者でもない自分”にだけは成りたくない。
そういう恐怖によって、
今持っているものに執着はしていないかい?
別に、失ったって大丈夫。
それでも僕らは生きるから。
僕の周りにも、恋人を失って悲しんでる人はいるけど、
別に死にやしないから、大丈夫。
ちょっとしたら、立ち直るから、必ず。
だから、それを知った上で、
悲しみを味わえばいい。
ただ、
「もうこの世の終わりだ!」
「生きていけない!」
と思い込むのは、よそうよ。
それは、完全な思い込みだから。
現に僕だって、長く付き合った前の彼女とお別れした時は、
それはもう、この世の終わりかってくらい荒れたけど、
今ではケロリだよ。
いやむしろ、その別れに感謝している。
だって、今では大好きな美人の彼女が一緒に居てくれているから。
(彼女の写真は、断食の記事で紹介している。)
↓
人のご縁って、本当に面白くて、
今までの人間関係の「執着」を手放した瞬間、
新しい素敵な出会いがたくさん起こる。
手放せば、入ってくるんだ。
面白いよね。
『執着』を手放したら、逆に全てが手に入る
執着を手放したら、自然と入ってくるようになるのね。
僕はこれ、お金でも同じことを経験した。
必要以上にお金に執着していると、
逆にジレンマに陥って稼げなくなる。
「お金がない」
という自分のセルフイメージ(現実)をより強化してしまうから。
だけど、今の僕はこう思うようにしている。
「僕は“宇宙そのもの”だし、この宇宙にあるお金もすでに自分の一部だ。
だから、いつでも使えばいいし、必要になったときには自然と入ってくるさ」
という感じ。
もちろん、そのお金を稼ぐために何かを売るときは自分からだけどね。
でも、そうやって前よりも
「お金がない!お金がもったいない!」
と執着することを手放したら、
自然と大きなお金が入ってくるようになった。
なん億円、という金額はもっと頑張る必要があるけど、
1年で数千万円なら普通に稼げる。
「執着」を手放すと、逆に自分が望んだことが起こり始める。
これは本当に不思議なんだけど、
この宇宙はそういうメカニズムらしい。
僕の周りで、数千万円から数億円単位で稼いでいる
起業家の先輩や友達もみんな、お金に対してライトだ。
普通に使う。
なぜなら、
「またすぐに稼げるからいいさ」
と思っているから。
でも逆に、貧乏な人ほど、
お金に対してシビアというか、一種の恐れすら感じている。
お金持ちと貧しい人は信念体系が真逆
でも、こういう話をすると、
「そりゃあ!その人たちは稼いでるからそう思えるんでしょ!
私だって、お金持ちだったらそうしたいよ!」
という声が聞こえてきそうだけど、
そうじゃないんだ。
逆なんだよね、逆。
これを
『Be Do Have』
と言う。
つまり、
『そうで在るから、そう行動して、手に入れる』
という信念形態のこと。
お金に当てはめると、お金持ちほど、
「お金を多く持つべき自分がいるから、そう行動して、お金を手に入れる」
という信念体系をしている。
でも、ほとんどの人は、
「Have Do Be」
という信念体系を持っている。
つまり、
「持っているから、そう行動して、そういう存在になれる」
と考えているのね。
お金で言えば、
「お金を持っているから、稼げて、お金持ちに成れる」
と考えている。
つまり、この同じ国で、お金持ちと貧しい人の違いって、
そもそもの信念体系が真逆だってこと。
だから、お金持ちの仲間入りをするには、
そもそもの信念体系を変えていかなくちゃイケない。
失って得たもの
で、話を戻すけど、
もしあなたが、
「会社を辞めたいけど、辞められない」
と思っているとしたら、、
それはまさに、恐ろしい「執着の世界」に足を踏み入れている。
仕事を失うこと、今まで築き上げてきたものを失うこと、
自分のステータス・アイデンティティを失うこと。
それらを「失う恐怖」によって、
身動きが取れなくなっている現象だ。
僕もよ〜く経験した。
デリヘルの男性スタッフって、
とにかく勤務時間が長く、休みもない上に内容がハードだから、
その業界で5年以上も継続しているとなると、もうベテランなんだよね。
それくらい、1年が濃い業界なんだ。
そんなところで、10代の時は、そのデリヘルの寮に
泊まり込んでまで働いていたもんだから、
僕にとって、
「今まで築き上げてきたものが全て泡になる」
というのは、そりゃあもう強烈な恐怖でしかなかった。
だけど、ある時、その全てを失った。
何もかも…。
でも、今僕は、こうして生きている。
いやむしろ、その時よりもっと、
精神的にも満たされた生活を送っている。
美人で会話の上手な彼女もいるし、
目覚ましはかけなくていいし、
どんな時も美味しいものを食べられるし、
旅行に行きたくなったらいつでも行けているし、
仕事をしたければたくさんすればいいし、
休みたいときは好きなだけ休めばいい。
全ての面で、
「失ったほうが良かった」
と心から言える。
だから、今のあなたが持っている仕事、恋人、
その何もかもを失ったとしても、大丈夫。
生まれたときは、
何も持っていなくても幸せだったんだから。
「大人の社会」「今時の流行り」
などから締め出されたくない、
と思っているのも、執着の1つだ。
大丈夫。
全てを失っても、また立ち直れるから。
僕らのDNAには、そういう能力が、
デフォルトでインストールされているから。
爪を切ればまた伸びてくるし、
髪を切ればまた伸びてくる。
そうやって、何度でも立ち直るというプログラムが、
僕らには備わっている。
だから、もしあなたが、今の会社を辞めて、
また新しい会社に就職したとしても、大丈夫。
もちろん、僕らのように、
自分で起業したって大丈夫。
「死」さえ選ばなければ、
何度だって前よりも登れるようになるから。
何かを失う恐怖って、本当に恐ろしい。
僕は早くから、一般社会からドロップアウトした人間だけど、
別にそれを失ったところで、特に今は痛くも痒くもない。
県立高校を1年で中退したことで、
学歴もない、資格もない、人より秀でた能力もない。
だけど、今こうして、一般的な人たちよりも
恵まれた生活を手に入れることができた。
今年の頭に、中学校の同級生たちの同窓会が開かれて、
そこに参加したんだけど、その中に東京大学や慶應大学などの
素晴らしい大学を卒業した同級生たちも来ていた。
が、蓋を開けてみたら、
僕の方が時間もお金も裕福になっている。
だから、もしあなたが、
「本当はもっとやりたいことがあるけど、
今の仕事では時間が取れない!」
とか、
「本当はもう、今の会社を辞めたいけど、辞める決意が出来ない」
としたら、大丈夫。何とかなるから。
だから、必要以上に起こりもしない恐怖に
“ブルブル”震えないで大丈夫。
僕が保証する。
って一番、僕が社会不適合者なんだけどね。笑
でも、そのおかげで、今はこれ以上になく、幸せだよ。
失って良かった。ただそれだけ。
「執着を手放したとき、あなたは目覚める」
だって、その能力こそが、神様からの贈り物だから。
それでは、今回はここまで。
これを書かせてくれた神様にも感謝を。
そして、こんなタバコの廃にもならない男の話を、
最後まで聞いてくれたあなたにも。
ありがとう。
惟神霊幸倍坐世
西野ゆきひろ