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魔法陣
夜が明けたばかりの町を、北へ向かう。
北の通りは、商業区画と農民や畜産業に就く人々が住まう区画の境に当たり、北門付近には貸しヤグー屋があって誰でもヤグーを借りられる。貸しヤグー屋は畜産農家が兼業で行っている場合が多く、朝早くからでもヤグーを借りることができる。
「すいませーん、2人で乗れる強い子を1日お借りしたいんですがー。」
マリエラが訪ねると、
「みない顔じゃのう。こいつは強いけん、細っこい兄ちゃんと、ちっこい嬢ちゃんなら、問題なか。」
と、立派なオスを貸してくれた。
貸し賃は餌袋代込みで1日銀貨1枚。それとは別に保証金が大銀貨2枚で、これは返却時に返してくれる。
餌袋から野菜を与えると、すぐに懐いてくれたようだ。賢い子だ。
敷地内で軽く騎乗の練習をする。マリエラも乗れるのだが、ジークの方が圧倒的に上手い。これが運動神経の差か。ヤグーも機嫌よく走っていて足並みも軽やかだ。保証金の都合で1頭しか借りられなかったのだが、2頭借りていたらマリエラは付いていけなかったかもしれない。
マリエラを前にのせ、二人乗りで北門に向かう。迷宮都市には8個の門があるが、東西南北の4門は何れも小さく、門の幅はヤグー1頭通るのでギリギリといった小門だ。迷宮都市の住人が畑に向かったり、周辺での採取や狩猟に出かけるための通用門で、大型の魔物が通れず、小型の魔物の進入も防ぎやすいように、小さく設えてある。通行するには不便であるが、交易を目的としていないから検問は簡単に済まされる。
見ない顔だと止められはしたが、背負い袋を開いて見せて、採取に行くのだと伝えると、「魔の森から遠くても魔物が出るから気をつけるように」と送り出してくれた。親切な衛兵だ。
北門を抜けてやや北西寄りにヤグーを走らせる。迷宮都市の北側は川が少なくて低木が多い、放牧に適した土地だ。北西側には山脈から流れる川が何本も通っており、農業地帯が広がっている。川沿いに北上すると森にたどり着く。魔の森に比べるとずっと浅い普通の森だが、低レベルの魔物が稀に出るので注意が必要だ。
もっともマリエラたちは魔物除けポーションを使っているから、この程度の森であれば、安全に行動できるのだが。
「マリエラ様」
ジークが、ちらと後ろを振り返ってマリエラに声をかける。
「あー、やっぱ、付いてきちゃったか。」
たぶんリンクスだと思う。大きな取引の前だ。逃げないように監視が付いてもおかしくはない。
(今日行くところは、あんまり人に知られたくないんだよね。ごめんね。)
ヤグーを止め、ポーチから紙片を数枚取り出し、3枚を餌と一緒にヤグーに食べさせる。残りはジークに渡す。昨日、昼寝の後に描いておいたものだ。
「これに魔力こめて。良いと言うまで握っていてね。」
再びヤグーを走らせる。
2人を乗せたヤグーは森の中をすいすいと進む。まるで森の木々が除けているように。2人と1頭の姿は、森の気配に溶けるようにおぼろげで、気配もどんどん薄く森にまぎれていく。
すい、すい、と木々を除ける。いや、木々が除けているのか。そのたびに、鷹より鋭いはずの目は、彼らの姿を見失う。すい、すい。気配はとうに消え失せている。すい、と木の陰に彼らの姿が隠れ、そして、全く見えなくなった。
「うっわ、見失った。マジか。ジークすげぇな。いや、マリエラがなんかしたのか?」
森の中にリンクスの影が浮かび上がる。彼は黒鉄輸送隊の斥候で、その能力は魔の森でも十分に通用する。まさか森の中でマリエラたちを見失うと思わなかった彼は、頭をぼりぼりとかいた。
「マルロー副隊長に怒られっかなー。でもまー、あれなら無事に帰って来れると思うんだよなー。
あー、こんなことなら、ジークにナイフ貸したままにしとくんだったぜ。」
リンクスはマリエラ達の護衛について来たのだが、見失っては仕方がない。リンクスを撒ける腕があるのだ。武器の類がスコップとナタだけなのは、少々心配だが、このあたりの森ならば問題はないだろう。魔の森をうろついていただけあって、マリエラもああ見えてそれなりにできるというわけだ。
森の中に浮かんだリンクスの影はふっと消え去り、迷宮都市へと戻っていった。
リンクスを撒いた後、そのまま森を抜け、川を何本か渡って、小一時間ほど走ったろうか。
マリエラたちは1本の川べりを遡り、滝の近くにたどり着いた。
「流石にもう大丈夫でしょ。ついてきてないよね?」
マリエラには探索能力などないから、あてずっぽうである。
「はい、とうに撒いたようですが、これは?」
ジークが手綱とともに握っていた手のひらを開いて、くしゃくしゃになった紙片を伸ばす。
手汗で湿気てにじんでいるが、紙片にはなにやら図形のようなものが描かれていた。
「あーそれね、森招きと気配遮断と惑わせの魔法陣だよ」
『森招き』は森での移動を楽にするもので、木の枝や藪に足を取られず進むことができる。『気配遮断』は文字通り、気配や魔力を遮断して姿をくらますもので、これに『惑わせ』を併用することで、たいていの追っ手や魔物から簡単に逃げることができる。どれも熟練の狩人などが身に着けている、スキルともいえない技術だ。
いくら魔物除けのポーションを使っていても、効きにくい魔物もいるし、見つかってしまう場合もある。街の中にも、身寄りのない若い娘に手を出そうとする悪人はいる。そういった危険から身を守り、上手く逃げおおせるために、マリエラの外套にはこの手の魔法陣が複数縫いこんである。
こういった魔法陣は、古代文明の遺産と言われ、200年前でも大半が失伝している。効果によって材料の質を選ぶものの、魔石の粉を溶かしたインクで描くだけで誰でも効果が得られる便利なものだ。ただし、図形が完璧でないと発動せず、円が歪んだだけでもまともな効果は得られない。
どれほど上手く描いたとしても、所詮は人の手、どこかしら歪んでしまい本来の効果は得られない。発動して本来の半分も効果が出れば御の字という代物である。まして、それを写した物など通常は発動すらしない。本は人の手で書き写す『写本』でしか増刷するすべがないから、マリエラが使ったような、他のスキルや魔法で補えたり、訓練しだいで何とかなる程度の魔法陣が受け継がれなかったのは仕方がないだろう。
完璧な魔法陣は、世界の記憶に記録されているのみである。
現在でも人づてに受け継がれているのは、ポーション瓶に刻まれる劣化防止の魔法陣や、ジークが押された焼印の隷属契約の魔法陣などごく僅かで、それすら魔法陣が完璧でないから、『劣化防止』は遅延効果を付与するに過ぎないし、『隷属契約』は契約スキルと併用することで効果を発揮している。隷属魔法などという使い方によっては危険な代物が、片方だけでは満足な効果が得られない、というのはある意味僥倖だったかもしれない。
そのかわり、魔法陣に刻まれた図形の研究が古くから行われていて、魔工技師と呼ばれる人達が魔法陣の解析結果から様々な魔道具を作りだしている。人の歩みは止まる事がなく、失われたものがあれば、創られるものもあるのだろう。
「魔法陣……。失伝したと、聞きました。」
滝のほとりの開けたところにヤグーをつないで、包んでもらった朝食を食べる。
ハムと野菜をバゲットに挟んだサンドイッチで、おいしそうだ。
「師匠がね、高レベルの鑑定持ちでさ。いくつか頭に焼き付けられたんだ。」
マリエラの師匠はすごい人だった。世界の記憶から情報を引き出せるほどの高レベルの鑑定スキルに加え、魔法も使えた。もちろん錬金術のスキルも持っている。
天才どころか超人の域である。その分、常識というか、人格や行動も突き抜けていて、並よりもどんくさいマリエラは何度も死にそうな目にあった。戦闘行為など一切していないのに、だ。
魔の森の小屋で、マリエラのような錬金術スキルしか持たない平凡な子供を、弟子にするような人物ではなかったが、それも含めて突拍子もない行動の一環だったのかもしれない。
魔法陣も師匠が気まぐれに覚えさせたものだ。
曰く、「どんくさ過ぎて死にそうだから、便利そうなの教えてやるよ」。
おいでおいでと呼ばれて近づくと、頭に手をおかれた。撫でてくれるのかと、子供心に期待したら、「《転写》!」と叫んで、脳に直接焼き付けられた。転写は短時間だったけれど、ものすごーく痛かった。
それから、師匠の『なでなで』を十分警戒するようになったが、「おぉ。できたか、マリエラ。すごいな。えらいぞ~」と満面の笑みでほめて、ぐわしぐわしと頭を撫でてくれた次の瞬間に、「隙あり!《転写》!」とかやるものだから、結構な数の魔法陣を憶えさせられた。あれ、半分遊んでた。「ぎぃやぁ~」と叫んで転げまわるマリエラを指差してゲラゲラ笑ってたし。
一番酷かったのは『仮死の魔法陣』で、図形が複雑な分、頭が焼ききれるかと思った。珍しく、というか初めて師匠が《転写》する前に、神妙な顔で説明をしてくれた。
「今まで、多くの魔法陣を刻んで耐性も付いただろうが、多少痛みは増すだろう。」
とかなんとか。今までの転写は遊んでたんじゃなかったのか。いや、転写してもらった魔法陣はどれも貴重で、たいへん有難いものなのだが。「この魔法陣の作成を以って、卒業としたい」なんて言われたら、「畏まりました」と答えるしかないじゃないか。
『仮死の魔法陣』を転写した時の激痛は、思い出したくもない。多少どころの騒ぎではなく、3日ほど寝込んでいたらしい。ベッドの周りにポーション瓶がいくつも転がっていたから、死に掛けてたんだと思う。師匠は「寝すぎだぞ」とか言っていたけど、目の下に隈ができていたから、寝ずに看病してくれたんだと思う。そういうところを、見せる人ではなかったけれど、長い付き合いだ。それくらいわかる。
魔法陣は覚えただけでは使えない。オリジナル通り、完璧に描かなければ発動しないから、後は地道な努力に地道な作業を繰り返すだけだ。マリエラに特別な才能はないけれど、地道に頑張ることは得意といえた。それでも『仮死の魔法陣』はたいへんだった。材料費が高いだけでなく、複雑で大きい。忙しい日々の合間を縫ってちまちまと描き続け、ようやく卒業課題の2枚分を描き上げた。
師匠は課題の魔法陣を検分すると、「卒業だ。よく頑張ったな。」とほめてくれた。
感動して思わず泣いてしまった。「あじがどうござびばず~」と泣くマリエラを、小さい子供にするように、師匠はよしよしと撫でてくれた。
よしよし、なでなで、ぐわしぐわし。「油断大敵!《転写》!」「へ!??」
「くそ師匠・・・」
師匠の思い出話をしていたら、なんだか腹が立ってきた。
むっしむっしとバケットサンドに齧りつく。
「最後の《転写》も強烈でさ、1日位かな、意識を失ったんだけど、目が覚めたら師匠いなくてね。」
師匠は手紙を残して消えていた。『仮死の魔法陣』は1枚貰っていく、最後の転写は代金代わりだ。この小屋は卒業祝いにくれてやるから、達者で暮らせ。地下に『仮死の魔法陣』を置いておくのを忘れるな。そのようなことを汚い字で書いたメモが残されていた。
「スタンピードを生き残れたのだって、師匠のおかげだし、というか、今まで生きてこれた全ての知識は、師匠のおかげで、感謝してるんだけど。けどねー、なんていうかな、なんかむかつく」
めちゃくちゃな人だったけれど、師匠との思い出はどれもこれも笑えるものばかりで、感謝だってものすごくしているのに、急にいなくなるなんて。
「きっと、伝わっていますよ。」
ジークがとても優しい顔をしてそう言った。
「そっか。そうだね。あの師匠だもんね。」
ずっと伝えたいと思っていた感謝の気持ち。言葉にして伝えられなかったけれど、あの師匠が気づいていないはずはない。師匠はすごい人なのだから。
「マリエラ様は、スタンピードを、生き残った、錬金術師様、だったのですね。」
「うん。秘密だよ」
「もちろんです。」
特に、ランタンの火のせいで、酸欠で200年も眠り続けたところは。
恥ずかしいから、秘密にしておいてもらいたい。
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