挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
生き残り錬金術師は街で静かに暮らしたい 作者:のの原兎太

第一章 200年後の帰還

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました
7/177

ヤグーの跳ね橋

 黒鉄輸送隊の定宿は、奴隷商館があった大通りを山脈側に少し進んだところにあった。

 宿を示す看板に『ヤグーの跳ね橋』と書いてある。
 ヤグーとは、この辺りの山脈に生息するロバくらいの大きさのヤギで、山脈の街道を往来するには必須の家畜だ。山脈の街道は、道幅が細くて馬車は通行できないから、何十頭ものヤグーに荷を背負わせて、隊列を組んで往来するのだ。荷役用だけでなく、粗食に耐え、気性も穏やかで乳も肉も取れるから、防衛都市でも多く飼育されていた。

 ヤグーには山岳ヤギの特徴らしく、絶壁に登りたがる特徴がある。
 切り立った岩山のてっぺんから、別の岩山のてっぺんに飛び移っては、けろりとした様子で崖を降りたりし、見る者を驚かせる。
 この絶壁を飛び越える様は、『ヤグーの跳ね橋』と呼ばれ、絶体絶命のピンチから生還する、という意味合いで防衛都市でも使われていた。

 『ヤグーの跳ね橋亭』もこの地区の他の建物と同じく石積みの堅牢な建物だったが、他の建物に比べて間口が広く、両開きの扉が開かれて客を迎え入れていた。

 ディック隊長とマルロー副隊長はラプトルから降りて、入り口に向かう。マリエラとリンクスも馬車を降りてついて行く。ジークムントを早く出してあげたかったが、先ずは裏で洗ってから、と荷台に乗せたまま、裏側に連れて行かれた。

 扉の中は食堂兼酒場になっていて、店の右手奥に2階に続く階段がある。
 昼をゆうにまわった、けれど夕暮れには早い時間のため、中は閑散としており、カウンターで燃えるような赤毛の女性が店番をしていた。

「ディック!今日は早かったじゃないか!」

 赤毛の女性が声をかけ、親しい様子でディック隊長の側に駆け寄る。
 気の強そうな美人で、しかも巨乳だ。

「なに、犬っころの始末が早くついてな」

 なぜか胸を張ってディック隊長が答える。どことなく嬉しそうだ。

「いつもの部屋が空いてるよ。さぁ、その鎧を外してきとくれ。食事の支度をしておくからさ。
 と、そちらのお嬢さんは、見ない顔だね?」

「初めまして。マリエラと言います。2人部屋をお願いしたいのですが」

 赤毛美人の視線がマルロー副隊長にいく。

「旅の途中で知り合いまして。彼女の連れは、我々の『荷』だったのですが、2階の奥ならば、問題ないのでは?」

「そうかい。ようこそ、ヤグーの跳ね橋亭へ!アタシはアンバー。わからないことがあったらなんでも聞いとくれ。」

 マルロー副隊長の紹介を聞き、愛想よく接客するアンバー。とりあえず3日分の宿代を払い、鍵を受け取る。2人部屋が1泊30銅貨。朝食は1人5銅貨。

 安い。防衛都市の相場から見れば、駆け出しの冒険者が泊まるような、安宿くらいの値段だ。『ヤグーの跳ね橋亭』は立地もいいし、建物も立派で食堂も付いている。中級以上の良い宿に見えるのだが、宿泊費用が安すぎる。

「え……安す……」

 思わず声がでた。

「あぁ、迷宮都市の宿は、お国から補助金が出てるからね。何しろこんな辺鄙なトコだろ?
 迷宮があるってのに、ここまでくるのがたいへんで、なかなか人が集まらないんだよ。
 最低限の生活は安くでできるように、辺境伯様がご配慮下さってるってわけさ。
 マリエラちゃんも、ゆっくりしてっとくれね。」

 迷宮都市の物価はイマイチわからないが、ポーションを売ったお金がまだ6大銀貨以上ある。
 しばらくは暮らしていけそうだ。

(それにしても……)

 マリエラはそっと胸に手を当てる。

(アンバーさん、胸おっきい……)

 胸を大きくするポーションはないものかと、マリエラはため息をついた。


 ディック隊長達、マルロー副隊長はそのまま2階の部屋に上がっていった。
 リンクスは残りのメンバーに鍵を渡しに行くと言うので、マリエラも一緒に向かう。

 裏口から出ると、トイレらしき建物と水場、さらに奥には車庫と獣舎が見えた。水場では自由に洗濯が出来るようで、貸し出し用の洗濯板や桶が置いてある。水場の隅には布で隔てた水浴びスペースもあった。

「おーい、ユーリケ、先に飯にしようぜー」

 リンクスが声をかけると、黒鉄輸送隊の4人が車庫から出てきた。

「ユーリケは、ラプトルを世話してから来るそうだ。」

  鍵を受け取りつつ、黒鉄輸送隊の1人が答える。

「あいつ、ほーんとラプトル好きだよなー。鍵渡してくる。先行ってて。」

 そう言うと、リンクスは獣舎の方へ走っていった。

 ジークムントはどこだろう、と辺りを見渡すと、水浴び場から慌てた様子でジークムントが出てきた。
 急いで出てきたらしく、髪が濡れて寒そうだ。巻き直したらしい腰布が濡れてへばりついている。

腰布(ソレ)で拭いたのね……)

 マリエラ自身、着替えも何も持っていない。
 今着ている外套は、デイジスの繊維で織ったもので、着用者や大気中の魔力を吸って自動修復されるため、特に劣化は見られないが、中に着ている衣服は200年も経てばボロボロになっているだろう。ポーチや靴の皮はあちこちパリパリとひび割れて、破れそうになっている。

(ジークムントの様子をみたら、先ずは買い物ね)

 生活魔法の≪乾燥≫でジークムントを乾かした後、部屋に向かう。
 付いてくるように言うと、ジークムントは大人しくついてきた。ふくらはぎが腫上がって変色した左足を、引きずるようにして歩いている。右手にはマリエラの腰ミノ……もとい薬草の束を抱えている。右腕はまったく動かないわけではないようだが、薬草の束をもつのではなく、不器用そうに抱えていることから、右腕も不自由なようだ。後は右目。ずっと髪で隠している。顔色は悪く、ハッハと呼吸は浅く短い。

 マリエラがあてがわれた2階の奥の部屋はそれなりに広く、部屋の両端に2台のベッド、間に机と椅子が2脚あった。ドアと部屋の間には荷物や鎧を置けるクローゼットと、なんと小さいながらも風呂場が設えてある。
 風呂と言っても人がギリギリ入れる程度の深型の桶と排水穴があるだけで、給水設備はついていない。魔法か魔道具で水を張って沸かさなければいけないのだが、風呂付きの部屋が有るのは、少なくともマリエラの知る防衛都市では、高級な宿屋に限られた。

(お風呂!うれしい、後でゆっくりはいろう。)

 お湯で拭くくらいしかできないと思っていたから、お風呂に入れるのはとてもありがたい。

 思いの外良い部屋だが、寝室は湿っぽくカビの臭いがする。窓が小さい上、日当たりが悪いのだろう。シーツは清潔だが藁のマットには虫がいるかもしれない。

(不衛生な奴隷を入れてもいい部屋ってわけね。仕方ないか。)

 水浴びは済ませたようだが、ジークムントからはすえたような臭いがするし、髪やひげは土や埃やよくわからないものが絡み付いて団子のようになっている。部屋に入れてくれただけもありがたい。

 生活魔法で換気をしたのち、窓を閉める。部屋の扉を閉め、閂をかける。寝室前の内扉も閉めたから、声が外に漏れることはないだろう。部屋の照明に多めに魔力をこめたから、窓を閉めても部屋は十分に明るく、診察するのに問題ない。薬草を受け取って確認する。馬車に揺られて端が欠けたりしているが、なくなっているものはない。応急処置には十分対応できる。

 「そこに座って」

 椅子を指差すと、なぜかジークムントは椅子横の床に座った。左足が腫れてうまく曲がらないのか、左足だけ横に曲げて、正座を崩したような格好で座る。顔は上げず、マリエラの足の辺りを見ているようだ。

(なぜ、床に……。まぁいいや。)

マリエラはジークムントの向かいに椅子を動かして座ると問いかけた。

「私は、マリエラと言います。貴方のことはジークとよんでいいかしら?
 隷属契約で貴方は私の命令に逆らえない。これはあっている?」

「はい。お好きにお呼びください。ご主人様。
 この様な不具の身を拾って頂いたご恩は決して忘れません。
 どの様なご命令にも背きません。何なりとお命じください。」

 そう言うとジークは床に額を擦り付けて土下座した。

(うわぁ……)

 ドン引きだ。大の男が土下座とか。あと、言ってるセリフも。
 レイモンドとかいう奴隷商人は、何か精神魔法でも使ったのかもしれない。

 ともかく、今はわからないことだらけだ。裏切らない情報源は重要だし、暮らして行くにも男手があるのは心強い。ジークの言動はおいおい改めてもらうとして、まずは治療をしなければ。錬金術師のマリエラには、ジークが怪我だけでなく体力的にも限界であることが分かっていた。

「マリエラと呼んで。顔をあげてよく見せて。」

 ジークが顔をあげ、へばりついた髪を掻き上げる。
 痩せて頬がこけているが、整った顔立ちだ。一つしかない深い蒼の瞳が美しい。髭を剃り身なりを整えれば人目をひくナイスミドルになりそうだ。

 マリエラが右目を診ようと手を上げると、ジークはビクリと身体を硬くした。こういう反応をする子供を、マリエラは知っていた。孤児院に保護された子で、日常的に親に殴られていた子だった。ジークも常態的に暴力を受けていたのだろう、全身に小さな傷跡がいくつも残っている。
 先ほど、自分より年下の娘に対して躊躇なく土下座をしたことといい、ジークはどのような扱いを受けてきたのだろうか。マリエラは胸が痛くなった。

 ジークを怯えさせないようにゆっくりと手を動かして顔に触れる。熱い。やはり熱がある。顔の右半分には魔物の爪跡だろう、3本の大きな傷が残っている。このキズは古いもので、すっかりふさがっているのだが、右眼は眼球が潰れてしまっていた。

(これはエリクサーか眼球特化型の特級ポーションが必要ね。)

 エリクサーは奇跡の霊薬。生きてさえいればどんな怪我も病も治し、部位欠損さえ瞬時に修復する。
 希少で高価な材料を複雑な手順で錬成して得られる、錬金術の最高峰で、もちろんマリエラは作れない。というか、防衛都市でも伝説の霊薬という扱いで、パン屋の数より錬金術師は多くいたのに、作れるどころかレシピを知っている人さえ聞いたことがなかった。

 代わりに欠損修復薬として流通していたのが、『特化型ポーション』と呼ばれるもので、高レベルの錬金術師が作れる特級ポーションをベースに欠損部位に応じた材料を錬成して作られる。一流の錬金術師達が材料やレシピを研究し、開発されたオリジナルレシピは秘匿されるため、マリエラは作り方を知らない。

 そもそもマリエラの錬金術のスキルレベルでは、ベースの特級ポーションの下の、上級ポーションがなんとか作れる程度だ。

(右眼は無理ね……)

 次は右腕を診察する。前腕部に魔物に噛まれた痕がある。聞くと半月ほど前に黒狼にやられたという。

 黒狼は、瘴気狼とも呼ばれ、フォレストウルフに比べると小型だが、牙に傷の治りを遅らせる毒を持つ。一頭毎の攻撃力は弱いが、群れで行動するため、狙われた獲物は血を流しながら執拗に追い回され、衰弱してやがて喰われる。

 腕の傷は完治しておらず噛み跡の肉が変色してへこんでいる。魔物に噛まれた後、ろくに治療もせずほっておいたのだろう。牙に含まれる魔物の毒が傷口に入って完治を遅らせているようだ。手に力は入らず思うように動かないが、指先の感覚はあるらしいから、神経は切れていないようだ。

 最後に左脚。こちらも黒狼にやられたそうで、ふくらはぎの肉が一部かじり取られていている。
 止血するために焼いたらしく、火傷痕が治りきっていないどころか、垂れ流しの不衛生な環境で輸送されたせいで、雑菌が入り炎症を起こしている。傍目からわかるほど肉が変色して腫れ上がっている。

(まずはこの炎症を何とかしないと。
 腕は中級ポーションでもなんとかなりそうだけど、脚は上級の特化型ポーションが欲しいわね。
 それにしても、平気そうにしてるけど、この傷、激痛なんじゃないの?)

 押されたばかりの焼印は赤黒く、刻印部分は一部茶色に変色しているうえに、こちらも炎症を起こしかけている。

 特級ポーションがあれば、全てを瞬時に治せるのだろうが、作れないものは仕方がない。より低位のポーションで治療をするには、ある程度段階を踏んで治療をする必要がある。

「まずは、傷口の洗浄をします。」

 マリエラは、治療を始めることにした。

+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。