「鯛ヤキの丸かじり」(東海林さだお)
例えば「“さくらんぼ”について何か文を書いてみましょう」と言われたら、「東海林さだお」さんのようなことは到底書けそうもありません。以下多少長いのですが紹介してみると、
「さくらんぼを一個、まっ白なテーブルクロスの上に置いてみてください。
そしてそれを、じっと見つめてください。
そうですね、二十秒ほど見つめてください。
あなたは少しずつ、自分の心が洗われていくのを感じるはずだ。
そして、自分の心が、いかに汚れてしまっていたかを思いを致し、うつむいて頬を染めるはずだ。
赤く、丸く、愛くるしく、清楚、そして可憐。
この世の汚れを知らぬげな、鮮紅色の無垢な塊。
…………(中略)…………
あの薄緑色の柄の果たす役割も大きい。
もし、あの柄がなくて、丸い実だけだったら、さくらんぼの存在価値の四割は損なわれると思う。
しかもです。あの柄の長さ。
あの柄は、もう一センチ長くてもいけないし、五ミリ短くてもいけない。
「柄」も言われぬ絶妙なその長さ。
その上、あの柄は、デザイン的に大働きをしたあと、今度は食べるときの把手(とって)としても大働きする。
あの柄の先端を指先で持った人は、必ず一度はプラプラと揺すってみる。
……………(中略)…………
そののち、果肉を口に含む。
さくらんぼを口に含んだ人の口は、大抵尖っている。
そうです。尖っていてこそ正しい。
そうしておいて、指先で柄を引っぱる。
すると、プツッと、抜けるんですね。柄が。
あたりまえだと言われればそれまでだが、この抜ける感じがまたいい。
可憐な果実を毀した、という加虐感でしょうか。」
といった具合にまだまだ続きます。
なんの変哲もない食べ物のことをここまでユーモアたっぷりにかけるのが痛快です。誰もが多少は感じていることを「そうだよなあ」「わかるよ、その気持ち」といった具合に文や絵にできる「東海林さだお」という人はただ者ではないと思います。ユーモアエッセイの第一人者と呼ばれるゆえんです。
この彼の本「鯛ヤキの丸かじり」では、先の「桜桃(さくらんぼ)、応答す」以下「トーストの幸せ」、「バナナの気配り」、「うどんの中の卵」など、35の話題が続き、どれも抱腹絶倒の内容です。
例えば「バナナ」。
「バナナはリンゴなどと違い、刃物を使わなくとも皮がむける。むくというより、ぬがせている錯覚にさえおちいる。むき残りのところがバナナのホルダーになる。バナナにはカーブがある。口のほうに向かわなくても、バナナのほうがカーブして口のところに来てくれるのだ。何という気配り。何という奉仕。」
はたまた「うどんの中に入れた生卵はいつ黄身をほぐすのがいいのか」といった話しがしみじみと書かれていたり、おかしくもあるのですが、そのいじましさが少々もの悲しくも感じます。
話題は食べ物そのものだけではなく、おじさんが体の隅々までぬぐう「おしぼり」のことや、「お持ち帰り」だけの注文をする人の“寂しさ”“孤独感”といったことにまで及びます。
この本はたくさんの「丸かじり」シリーズひとつですが、元は、『週刊朝日』連載していたグルメコラム「あれも食いたい これも食いたい」を書籍化したものです。もう20年以上も前の本ですが、充分に新鮮です。そして気楽に読めて大笑いできる本です。
気持ちが疲れた時などに読んでみると、気が晴れていいかもしれませんよ。
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