【平尾昌晃・生涯青春】(19)マージャンしながら「うそ」150万枚超
中条(きよし)君も五木君と同じ全日本歌謡選手権の出身だが印象は薄かった。私の元付き人がたまたま彼を担当していて「渥美健(中条の前の芸名)という歌手に曲を書いてもらえませんか」と頭を下げられた。彼はスナックを経営していたが周囲はホストと勘違いしていた。かくいう私も「ホストみたいで嫌だな」と逃げ回っていたが、中条君は「平尾さんと山口洋子さんの作品を歌いたい」と頑として譲らなかったらしい。何度か会う会わないの話が続き、元付き人の熱心さに「僕の仕事場においでよ」と言ってしまった。
約束の日、ころっと忘れてマージャンをしていたら午後にやって来た。気が乗らずに「お客が来ていて忙しい」と断ったが「近くで時間を潰してまた来ます」と中条君は諦めなかった。夜の10時ぐらいになって渋々会ってみたら、チャラチャラしたところはなくて礼儀正しい男だった。「僕は歌手人生のラストだと思って自分を懸けたいんです」という熱意にほだされた。それで出来上がったのが「うそ」(1974年)だ。この作品は詞先だ。「折れたタバコの吸い殻で あなたのうそがわかるのよ―」洋子ちゃんしか書けない詞。僕も興奮した。曲は150万枚を超える大ヒットとなった。さすが姫のママ、ホステスさんから相談されたことを作詞したらしいが、実は僕もマージャンをしながら作っていたのだ(笑い)。中条君を契機に「人は印象で決めず、まずは1回会ってみよう」と考えを改めた。
アグネス・チャンを手掛けたのは偶然だった。彼女のお姉さんは日本でもレコードを1枚出していた香港の女優さんで、こちらが“その気”になるほどきれいだった。「近々香港に行くんだよ」「私もちょうど帰っているから妹に会ってくれない」。中学生ですでにレギュラー番組を持っているという。「ちょっと興味があるな」と何となく約束を交わした感じでいた。
客船が入港―。「やっとおいしい中華料理が食べられる」と思っていたら、お姉さんが埠(ふ)頭で待っていた。「これから一緒に妹に会いに行って下さい」。車に乗せられてそのままスタジオに行くとアグネスがギターを弾きながら歌っていた。腕前はまあまあだったが、日本人に好かれそうな妙な個性が…。「この甘ったるい声、日本に連れていったら面白い」とひらめく。彼女にもらったアルバムをナベプロの音楽部長に「社長に聴いてもらってください」と渡したら、晋さんが「ウチでやる」と即決となった。3作目の「草原の輝き」(73年)を書くことになり、詞はズズ(安井かずみ)しか頭に浮かばなかった。曲は100万枚のヒットになり、アグネスはこの年のレコ大新人賞を受賞、紅白歌合戦にも出場した。(構成 特別編集委員・国分 敦)
◆歌手で俳優・中条きよし
「自分としては2度レコードを出したがダメで、今回が最後の勝負と思っていた。詞も大事だけど、自分としてはメロディーが重要と思ったので、絶対に平尾先生に曲を書いてほしいと思っていた。僕が水商売をやっていたからチャラチャラ見えたと思います。会いたくはないのは感じていましたが、事務所の近くの喫茶店で7、8時間ぐらい待ちましたが、そんなものは気にならなかった。先生の前で2、3曲歌ったら『いいじゃん』と言ってもらい、それで『うそ』が誕生しました。また、僕のために曲を書いて下さい」