マーガレット・ミードとサモア

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未だ世に流布する「氏より育ち」「男女差は作られる」「空白の石版」思想の元ネタとなった論文「サモアの思春期」はいい加減な調査に基づく楽園物語だった、という話をサモアを40年間して調査した学者が書いてる本。

ウーマンリブの元祖にして旗手であったマーガレット・ミードの名著「サモアの思春期」があろうことか、ズサンな現地調査にもとづいた一種の楽園物語であり、「科学」の名において流布した「20世紀最大の神話」に過ぎないと著者自身の執拗な追跡調査によって「反証」したもの
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反人種差別運動から、社会主義、労働運動、コミューン建設、女性解放運動にいたるさまざまな人間解放の思想と運動に、大きな支持と希望と影響を与えてきたこの「サモアの思春期」が、実は科学的に支持しがたい調査に基づいた南洋の楽園物語の類に過ぎない
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既にエスタブリッシュメントと化したアメリカ人類学会において、大御所ミードの名著にこのように根本的な疑問を公然と提起することはほとんどタブーとなっていた(使命感に酔う理想主義者を、きちんと批判することはどこの国でも大変難しい事である)。実際、フリーマンは、本書の公刊によって、社会変革を目指す改革派や進歩派の側から、人種主義や保守思想を利するものとして、強い非難をうけなければならなかった。
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科学的社会主義」の教義と社会モデルは、いまや完全にその有効性を失ってしまった()フランス革命以来の左翼独善主義、つまり進歩革命派でなければヒューマニストにあらず、という左翼改革派による「人類愛の独占」が、今やその歴史的使命を終えて、世紀末の舞台から退場しつつある

なぜ大間違いをしでかしたのか、の考察が半分くらいで、当時、文化人類学の前身たる人類学界隈にて、人間とは「氏が育ちか」の遺伝決定論vs.文化決定論が大問題で、遺伝決定論が盛り上がっていた所に1901年に登場した優生学英米で大流行。ミードの師匠のボアズは文化決定論者の大物だったため、彼女は文化決定論に利する調査結果を欲する余り、不利な話は見落しまくった、という。

ボアズのもっとも有能で活動的な二人の教え子、アルフレッド・クローバーとロバート・ローウィが、文化人類学を生物学から概念的に切り離す宣言を出した。彼らの解決方法とは、生物学的変数を完全に排除した絶対的文化決定論の提起である。

文化現象においては個人の能力は完全に除外された、遺伝はひとかけらの文明を支える事もない、と彼は宣言する。有機体と超有機体は全く違う別々の進化の所産であり、その二つはどんどん離れていって、違いは絶対的になる。

彼とクローバーが巻き込まれた戦いは、本来政治的でイデオロギー色の強いものだった()彼らの使命は、1901年の優生学の出現以来()敵と同様の極端な学説を打ち立てるように駆り立てられ、これが人類学に重大な帰結をもたらす事になった。

…なので「文化」人類学ってそもそ優生学に対抗する運動の産物なので、未だにイデオロギー色強いんだよね。未だに「人種という分類は無い」とか言ってるし。

それにしても、アメリカ人優生学好き過ぎだろ…。

1905年ゴールトンはロンドン大学優生学を認知させた。そして1907年、優生学教育協会が設立された。()アメリカの優生学運動においても、この熱狂ぶりは特徴的である。1906年、アメリカ品種改良協会は、「人類における遺伝に関する調査、報告」および「優秀な血筋の価値と劣等な血筋の脅威の強調」を目的として、著名な生物学者でスタンフォード大学総長でもあるデビッド・S・ジョーダンを委員長とする優生学委員会を発足させた。
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そして20世紀の最初の10年の終わり頃には、優生学はイギリスでもアメリカでも大いに栄え、当時の生物学の権威の多くが科学と慈善への熱意をもって保証した社会運動の主流となった。

ボアズは「進化論を目の仇にした」。この敵対心は疑いも無く人類学者としてのボアズの大きな欠点である。()人間生活における生物学の重要性を過小評価し、生物学的プロセスと文化的プロセスの広範な相互作用を認める事からはじまる、科学的に妥当な人類学的パラダイムの出現を妨げもしたからである。

1914年には、ハーヴァード大学コーネル大学カルフォルニア大学、シカゴ大学マサチューセッツ工科大学を含む全米44の大学に優生学の講義、講座が開設されていた。ハーヴァード大学のG.H.パーカーは1915年、有力雑誌「サイエンス」で、「妥当かつ人道的な可能性」として、「きわだって劣っている人間を社会から排除」することを主張し、強制的な断種を擁護した。そして多くの州でそうした政策が取られたのである。

1921年にニューヨークで開催される国際優生学会と1922年のゴールトン生誕百周年祭()1920年台始めのアメリカでは、ローウィも指摘するように、優生学は時代の潮流となっていた。

イギリス生まれアメリカ育ちの学問であり社会運動でもあった優生学が、1960年代後半頃から何故かドイツ人の編み出した独自の悪の思想という事になり、今や優生学と言えばナチスドイツという有様なのは、ユダヤの陰謀恐るべし。

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