スナック花水木で働き始めてすぐに、自分は水商売に向かないと思い知った。
女の子が4人揃ったのは最初の日だけで、いつもは女の子2人か3人と雇われのマスターで店を回していた。
客にはそれぞれお目当ての子がいるので、出来る限りその客に着くようマスターが指示をする。
だから新入りの私は一見客か、特にお目当ての子がいない常連客に着かされた。
店は雑居ビルの地階にあったから、初めての客は扉を少しだけ開けて、恐る恐る中の様子を伺った。
いかがわしくない普通のスナックだと安心すると、後ろから仲間も次々と入って来る。
「お金、そんなに持っていないけど、ここってひとり三千円位で飲めますか?」
「大丈夫ですよ~!うちは、明朗会計ですからね!」
そして席に着いても、慣れていない客はあまり話さず、こちらから何か言うのを待っている。
こんな時、私には客を楽しませる話題が、何ひとつなかった。
ひとり暮らしの部屋にはテレビもないし、新聞もとらないのでその日のニュースさえ知らない。スポーツ嫌いなので客が野球や相撲の話を始めても、相槌も打てなかった。
タエさんとミホさんは、どんな話題でも会話が出来て、上手に場を盛り立てて楽しませていた。
シフトが重なる事は少なかったが、アイちゃんはいつもケラケラ笑うばかりで、時々、鼻にかかった声で
「やだー」「うっそおー」等と言っていた。
「〇〇さん嫌い!もう来なくていいから!」
とアイちゃんに言われ、デヘデへと笑う客を横目に見ながら、バカじゃなかろうかと思ったりもしたけれど、それより私は自分のテーブルの寒々しさを何とかしなければならなかった。
何か話さなければ…と焦るほど、口からはつまらない話しか出てこなかった。後でタエさんやミホさんに
「さっきのユキちゃんの話さぁ、陰気臭かったねぇ。暑くなってきたのに部屋にエアコンがないから、せめて扇風機でも買わなくちゃ…だっけ?ダメだよあんな話しちゃ。私達はね、これでも夢を売る仕事をしているんだよ?」
確かにあれはまずかった。客はしらけて困ったような顔をしていたし、自分でも恥ずかしくなった。
それにしても、よく他のテーブルの会話までチェックしているものだと思う。
扇風機を買わなければならないのは本当だった。以前に住んでいた元彼のマンションには、備え付けのエアコンがあった。そのマンションを出てアパートの部屋を借りる時、冷房の事など少しも考えていなかった。
お喋りは上手く出来ないけれど、ある時、客とデュエットをしたらなかなか好評だった。
元彼が仕事で忙しくなる前には、よくカラオケスナックに行っていたので、デュエット曲を何曲も知っていた。
それ以来、話があまり弾まない時にはカラオケで場をつないだ。タエさん達も
「〇〇さんの歌、聴きたいなぁ。ユキちゃんと一緒にあの歌をお願いしまーす」
等と、助け船を出してくれた。
ある日、初めて来たグループ客は、スナック花水木の雰囲気がすっかり気に入った様子だった。
「へぇ~。こんな若い子ばかりいる店って、この辺じゃ珍しいよね」
「うちは、女の子の平均年齢23歳ですからね。まぁ、私が平均年齢を上げているんですけどー」
タエさんがペロッと舌を出しておどけて見せると、店内がドッと沸いた。
タエさんはショートヘアで和服の似合いそうな美人だった。黙っている時は幸薄そうな雰囲気ではあるが、サバサバとした口調で話す明るい人だった。
ミホさんはいかにも夜の蝶といった風情で、化粧は濃い目だがとても綺麗だった。22歳にはまるで見えない落ち着きと色気があった。
そしてアイちゃんは、大きな目をした美少女だった。背が高く胸が大きいので、漫画の「かぼちゃワイン」に出てくるエルちゃんに似ていると、客によくからかわれていた。
客がアイちゃんに「〇〇さん、大好き!」と、エルちゃんの真似をして欲しいとせがみ
「嫌だよそんなの。〇〇さんなんか嫌い!だーいっきらい!」
と叫んでいた。それでも嫌われないのだから、若さって得だなと、22歳の私が思うのだった。
私は少しづつ、夜の仕事に馴染んでいった。
アパートの部屋には、小さな扇風機を買った。
それでも暑くてよく眠れないので、エアコンのきいた会社で居眠りばかりしていた。
元々仕事が出来る方ではないのに、ますます捗らなくなった。
昼間は小さなソフトウェア開発会社の正社員として働いてはいたが、そこでも私は全く使いものにならないプログラマーだった。
いつも納期に間に合わず、他の人達に押し付けていた。
そして、直属の上司から注意を受けた。
「最近さ、いや、最近って事もないけど、お前どうしたの?自分の仕事、みんな他の奴にやらせてんじゃん」
「お前とか言わないで」
「…ああ、悪かった。でもさ、この頃タンポポの遅刻が多いから、部長に様子を聞けって言われたんだ」
「今後、遅刻をしないように気をつけますから」
「どっか具合でも悪いんじゃないのか?病院に行ってみたら…」
「あなたにはもう、関係ないから」
ダブルワークは、体力のない私にはきつかった。
けれども、やめるわけにいかない。
最短2か月で終わるはずのアルバイトだったが、洋服を数枚増やしたせいで、もう少し長くかかりそうだった。
スナック花水木は、とても繁盛した。
社長は気をよくして、閉店後のラーメンだけでなく、休みの日には寿司や割烹の店等にも頻繁に連れて行ってくれた。
ある日の食事中に、社長が言った。
「ユキもだいぶうちの店に慣れたみたいだな。どうだろう、週に3日か4日くらいやれそうかい?」
「えっ?」
「実は、アイが週1にしたいって言うんだよ。それに、夏休みは田舎に帰りたいそうだ」
私は躊躇した。
週3日も働けば、お金が早く貯まるだろう。けれども、あまりシフトを入れてしまったら辞める時に迷惑をかけてしまう…
そんな考えを巡らせていると、ミホさんが
「週1か~、いいわねぇ女子大生は! 単なる小遣い稼ぎだから、無理してまで働く必要ないもんね」と、皮肉っぽく言った。
「酷い、そんな言い方…」
アイちゃんの表情がこわばった。でも、ミホさんは止めなかった。
「お遊び半分の学生気分で、たまーにお店に来られても迷惑なの。まっ、こっちは生活がかかってるから、休んでる子の分も頑張るしかないけど。」
「こらこら、よさないか。アイは学業優先でいいんだから、気にする事はない。ユキも無理なら無理で、断ってもいいんだよ」
「私、やっと慣れたばかりなので、今まで通りのシフトでお願いします」
「そうだな、まあ宜しく頼むよ。ミホもアイも、仲良く頼むよ。うちは皆タイプが違うけれど、それがいいってお客さんに誉められるから、俺も鼻が高いんだ」
「ミホさん、どうしたの?今日のミホさん、何だかいつもと違う感じ」
社長とアイちゃんと別れ、二人きりになると、私はミホに聞いてみた。
「ごめんねユキちゃん。アイちゃんにも悪かったな…私、ちょっとイライラしてたみたい」
「アイちゃんと何かあったんですか?」
「ううん、別に。アイちゃんには明日きちんと謝るから。ごめんね心配かけて」
私はミホさんの顔をまじまじと見つめて、ハッとした。
何だか以前よりも頬がこけていて、顔色もあまり良くない。
それでもミホさんは、作り笑顔で
「じゃあ、またねユキちゃん。また来週ね!」と、手を振って行ってしまった。