2018年02月26日

子どもの「なぜ?」という疑問には、「全力で考えて答えた上で、可能なら興味を発展させてあげる」というのが最適解のような気がする

この記事を読みました。


何度も書いている通り、育児に「最適解」というものは多分存在せず、子どもによって、親によって、家庭によって、時期によって、「適したやり方」「その時妥当なやり方」というのは変わってくる、と思います。

ただ、しんざき家で現在やろうとしている考え方、子どもとの接し方は、上記の記事とはだいぶ方向性が違っていて、それについて書いてみようかなーと思いました。

それなら、この機会を生かして、とても大事なのに見過ごされがちなスキル、すなわち自分で答えを導き出す能力を磨くように仕向けるのです! お子さんに「なぜだと思う?」と尋ねてみてください。

即座に答えを返す(あるいはインターネットで調べた知識の受け売りで「それは、光のエネルギーが波として伝わって……」と説明する)代わりに、子どもに自分の頭で考えるよう促すのは、賢いやり方と言えるでしょう。これなら、ただ人に聞くのではなく、自分なりに分析をするという大切なスキルを、子どもに身につけさせられます

うーん?と思いまして。

いや、勿論、「自分で答えを導きだす能力」「自分なりに考える習慣」というのは大事ですよ。超大事。何でもすぐ答えを与えられていては、そういう能力や習慣が育たない、という考え方も分かります。

ただ、それを実現する為の方針として、単に「なぜだと思う?」と反問するのは正しいのかな、最適なのかな、と。

そればっかやっていると、「大人に対して、自分の興味を提示する」ということに対する喜び、嬉しさみたいなものが削がれちゃったりはしないかな、と思うんですよ。


何故かというと、まず第一に、「なぜだと思う?」だけでは情報のやり取りとして成立していないからです。子どもが持った「興味」という情報に対して、親が情報を返せていない。

会話というのは情報のやり取りです。ギブアンドテイクではないですが、自分が出した情報に対して、相手からも情報が返ってくる。そういうやり取りが楽しいし、会話の成功体験にもなるんですよね。やっぱ、「打ったら響いた」っていうのって嬉しいんですよ。

それが、言ってみると反問ってリフレクなんですよ。出した情報が、そのまんま返ってくる。ただ「せっかく持った興味が満たされない」というだけの話ではなく、コミュニケーションとして成功していないんです。

時にはリフレクも必要かも知れませんが、それがいつもということになると、むしろ「何言っても情報が返ってこない」ということを子どもが学習してしまうかも知れません。


第二に、「大人の側も真剣に考える」というスタンスを見せられていない

子どもって、結構難しいこと聞いてきます。調べるならかなり真剣に調べないといけないようなこと、ググるにもそこそこテクニックが必要になりそうなこと、平気で聞いてきます。

単に「空は何で青いの?」程度の質問であっても、凄く厳密に答えるなら光の屈折やら目の受容やら、可視光についてとか考えないといけないでしょう。勿論年代によってはそんなこと説明しても分からないので、何か適度に翻訳した答え方を考えないといけない。どこまで答えるか、どこまで考えるかというのも、結構難しい問題なんです。

それに対して、「ちゃんと考えて、全力で答えてあげる」という姿をちゃんと見せてあげるって、「この人はちゃんと真剣に接してくれているんだ」という信頼感や、「物事に対してきちんと考える」というスタンスを育てる為に、多分大事なことなんじゃないかと思うんですよ。


私の親は、「私の出した何気ない質問に対してめっちゃ真剣に考える」人達でした。時には「いやちょっとそこまで考えんでも」と突っ込みたいことすらありましたし、何やら色々調べ始めて、答えが返ってくるまで偉い時間がかかったこともありました。

ただ、そういう「ちゃんと答えが返ってくる」ということで、私から「自分で答えを導きだす能力」が失われたかというと、多分そういう訳でもないんですよね。むしろ、「ああ、考えるってこうやるのか」「調べるってこうやるのか」ということを学べたことの方が大きかったような気がします。

だから、私は今でも、子どもの疑問に対しては出来る限り真剣に考えて真剣に答えるし、後から自分の答えは正しかったのか?を考え直したりもするし、ちょっと違ったなーと思ったら「ごめん、昨日答えたの、ちょっと違った」と言ったりもします。

勿論時間がかかる話なので、あんま時間がない時はある程度適当に答えちゃったりもするんですけどね。


もちろん、子どもの興味というのは貴重な機会なので、「ただ答えを出して終わり」というのでは勿体ない、というのは事実です。最近、「興味ドリブン」という言葉について色々と考えます。「子どもの興味」というのはチャンスであって、機会であって、なるべく生かしてあげたい。

これは塾講師をしていた時の経験則なんですが、「興味が更に次の興味に繋がる子」というのはめっちゃ強いです。適切な問題設定さえしてあげれば、自分からどんどん次の課題を見つけて、ぐんぐん知識を身に着けていってしまう。以前、そういう「興味が連鎖する子」についての記事を書いてみたりしました。


子どもは本当に色んなことに興味を持ちます。で、「これなんで?」と聞いてきます。この時、それがどんなにちょっとしたこと、どんなにバカバカしいことであっても、出来るだけ真面目に答えてあげる。

で、ある知識を得た後、更にそれが別の知識につながるともっと楽しい、という経験をさせてあげる。そういう経験の積み重ねが大事なんじゃないかなあ、と。

だから、私が考える「子どもの興味に対する最適解」というのは、

・子どもの疑問に対して、まずは真剣に考えて真剣に答えてあげる
・テーマによっては、「自分の考えはこうだけど、そっちはどう思う?」というように議論してあげる
・出来る場合には、他の発展系の知識に繋がる話をしてあげる

ということになるんじゃないかなあ、と思っています。

例えば、「空は何で青いの?」という話であれば、そこから「空以外の青いものは何で青いのか」「青いってどういうことなのか」「見えるってどういうことなのか」みたいな話につなげてみる、とか。

自分でも分からないことがあれば、「これは今は分かんないから調べてから答えてあげる、パパの宿題」と持ち帰ってみるとか。

以前、こんなことを書きました。この時も、そもそも妥当な答えかどうかわからなかったので、随分色々と考えました。



いや、勿論、いつもいつもそんなことしてると1日が48時間あっても足りやしないので、出来る範囲で、出来る時には、ということですけどね。たまにこういう会話がある、というだけでも随分違うんじゃないかなあ、と思っているんですよ。


取りあえず、「子どもの興味」というものが貴重な機会である、ということだけは間違いない事実だと思うので、それをどうやって生かせばいいかなあ、というのは、今後も含めて考えていきたいと思う次第なのです。


今日書きたいことはそれくらいです。




posted by しんざき at 08:00 | Comment(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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