銀座線の浅草駅でおりて浅草演芸場でひとつ小話を聞いてから、のんびり北へ向かうとちょうどよい時間帯になっていた。
ボランティアに行っていた頃から数えれば、もう二十年程になっている。風景は変わっていない様でいて、やっぱり変わっていると感じた。
ボランティアでお世話になったおっちゃんが半年程前に亡くなっていた、と伝え聞いたからだ。
あの頃にお世話になっていたメンバーにその話をしたところ、線香のひとつでもあげようとなったのだ。
集合場所に行くと、先に何人かが線香を上げていた。
時折移動はしていたが、大体の場所はこの橋の下と決まっていた。
ちょうど寒気がきつい時だったので、驚く程寒かったが、ちょうどよく風が通らないようになっていて、なるほど橋の上よりはマシだった。
何度か缶ビールを持ってみんなでここで飲んだ話をしていると、誰かが「じゃあ、今日もひとつ飲むか」と言い出した。
だが、流石に寒かったし、新しくできた保育園付マンションが近くにあったので、迷惑かもしれないと思い、浅草の飲み屋へと移動した。
色々な話をした。
「おっちゃん、今だったら事案だったよな」と誰かが言った。
確かに、公園で水行を行っていたりしたから、まぁ、ダメだったろう。
一人で歩いている子どもに、「迷子か?」と声を掛けていたが、まぁ、警察案件だったろう。
実際、当時でも何度か警察に注意されていた。
炊き出しの責任者の人も、やんわりと止めていたが、そういった行為のいくつかは結局やめることはなかった。
「面白いおっちゃんだったよなぁ」と誰かが言って、みんなが頷いたけれども。
今の、みんなの、本当のところはどうだったのだろう。
「そろそろお開きにするか」と誰かが言って、机を片付け始めると、初老のメンバーが「ちょっと待ってな」といってポケットからスマホを取り出した。
「何、毎回電源落としてるの?」「電池がもったいなかろうが」などと笑いながら言い合った。
立ち上がった後、スマホに向かって「もう帰ります」と言って、また電源を落とした。
「こうしておくと、俺がどうしたか音声が届くんだと。息子が設定してくれた」と笑った。
「いい世の中になったよナァ。これなら息子の嫁に世話かけずに別居できるんだから、マッタクありがたいよ」と笑った。
店の前で一本締めをして、手を挙げてみんな帰って行った。