娘がしんだ人の話を母から聞いたことがある
棺に入って、布を被せられた娘の遺体の手が、組んであったのか、手の上に手を乗せてたのか、その場合どちらの手を上に乗せてたのか、それがもう火葬された後になって何日も経っても気になって悲しいと言ってやつれ果てていたという
母はそんな事が気になるなんておかしいと笑って話した
私はその悲しさがまるで自分の悲しさみたいにスーッと胸に入ってきて、部屋にこもって泣いた
母は人間の心が搭載されて無いんじゃないかと思った
おそらく、母もこの世に生まれたときには人間の心をもって生まれた
その心を、まず母の母がころし、結婚した夫がころし、姑がころし、親族がころし、そして私がころした
バイト先で私が19才だった頃、どう考えても持ってこなくてもいい娘の成人式の案内の封書を、バイト先に持ってきて見せてきたパートさんが居た
パートさんのおかしいくらい浮かれてうれしそうな様子は今でも鮮明に覚えている
娘が成人する、成人式をするというのは、そんなにもうれしいものかと驚いた
翌年、私は成人式をしなかった
振り袖も着なかった
親に金を出してもらって振り袖着て、そんなのまるで七五三で、何が大人だと思ったし、かといって自分で振り袖代なんて払いたくなかった
とにかく成人式が嫌でしなかった
母はどう思っただろうか
わからないけど、残念だったんじゃないだろうか
去年、友達の結婚式があまりにすばらしくて自分もやりたくなったのと、母親が私のウェディングドレス姿を見たがるので、ウェディングドレスでスタジオで写真を撮って貰った
楽しみにしすぎてダイエットに励みすぎ痩せすぎて6㎏位落ちていざ本番に臨んだ
母はおばあちゃんを父に頼みコンデジを持って写真を撮りに来た
すべてが終わり、母が満足そうにしてくれててほっとした
反面、私は帰り道ものすごい虚無感に襲われた
本当に、母が満足そうにしてくれてたのがせめてもの救いだった
「女であること」を過度に押し付けられたくない、定義されたくないと昔著作にも描いたが、(少なくとも私にとっては)「女であることの定義」の最高位ともいえるウェディングドレスを着てしまった事が、本当は嫌だったんだと後から気付いたのだった
帰り道は雨で、傘を忘れた私は繁華街を雨に打たれるまま泣きながら帰り、立ち直るのに何日もかかった
母が満足そうにしてくれた事が、本当にせめてもの救いだった
どうでもいいけど、ここしばらく、もう数えられない位風呂に入れていない
なんか、極端な話、丸腰になるのが怖い
あと今の季節まだ寒いし、入りたくない要素しかない
そしたら母親から今日とうとう「浮浪者のにおい」と言われた
前に浮浪者みたいな格好と言われたこともあった
浮浪者のにおいで浮浪者みたいな格好してたらあとは浮浪さえすれば浮浪者だ
風呂に入らなくてごめんねお母さん
どう考えても私が悪いのは承知の上で、ちょっとだけ傷付いたよ
「理想の娘はもういない」とレリゴーしたいけど、「母のご機嫌とりたい私」の力は抗いがたく凄まじい
以前、カウンセラーさんが「親は子供に無償の愛を与えると言うけど、子供も又、親に無償の愛を与える」と仰っていた
母と私はあまりにあべこべで、価値観が真逆位違うので、的外れなことばかりしてしまうが、私も確かに愛を与えているつもりだ
風呂には入れないけど、それ以外で