「自由に生きる」風潮に乗せられて、もっと不幸になる気の毒な人々

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少し前からモヤモヤが続いているトピックがありました。

ただ、どのように表現したらいいのか分からずにいたのですが…

ようやく、今日、言葉になって出てきました。それが、このツイートです。

 

どうやら、私のなかのモヤモヤ感は、「うんざり」「もうそろそろ終わりでいいんじゃない」という感情だったようです。

 

「自由」と「自分らしさ」はそれを煽った人たちだけが得をする

影響力のある人たちが煽りまくった「自由」だとか「自分らしさ」だとかは、結果として、その煽った人たちにお金という養分を運びました。

ですが、逆に煽られてしまった(気の毒な)人たちは、

  • お金を吸い取られ、
  • まわりから人がいなくなり、
  • 自由どころか悪評と痛手しか獲得していない

状態になってしまってるように思えて仕方ないんです。

 

私の職業は心理セラピストで、潜在意識下に眠る「不要な固定観念」や「心理ブロック」を取り除いていくのが仕事の1つです。

ですから、「自由に生きる」とか「自分らしく生きる」とかは、ある意味、私のいる業界においても魅力的なキラーワード/パワーワードなわけです。

 

もっと自由に生きたい!もっと自分らしい人生を歩みたい!そんな願いをもって、多くのお客様が私の元を訪れてくださいます。

「自分らしさの追求」が、ここ十何年、心理カウンセリングや心理セラピーの業界では、ニーズとしてずーっと高いままです。そして今後もなくなることはないでしょう。

数年前に「アナと雪の女王」が映画も主題歌もあんなに大ヒットしたのは、「自由に生きる」「自分らしく生きる」のムーブメントと見事にシンクロしたからに他なりません。

 

ですが、「自由の履き違え」が、最近あちこちで起こっているように思えて仕方ないです。

自由に生きているつもりが自分勝手な生き方になり、その結果、周囲から疎まれ、信用・信頼を失って、どんどんまわりに人がいなくなっている状態の人が次々生まれているのではないかと。

それもこれも、「自由に生きろ!」と煽りまくる人(インフルエンサー)がいて、それに乗せられて暴走しちゃう人(フォロワー)がいるからだよなぁ…と。

 

「(SNSによる)一握りのインフルエンサー ⇔ 大多数のフォロワー」という昨今の構図が生んだ、ひずみのようなものだと思っています。

 

「自由に生きる」と「自分勝手」はまるっきり別物です

先日、ツイッターでこんなツイートがタイムラインに流れてきました。

 

このツイートに出てくる岡田哲也氏というのは、(知る人ぞ知る、かもしれませんが)子宮委員長はるさんの元ご主人です。

このツイートが元で、ネット上で岡田氏の行動は大きく批判され、炎上しました。ニュースサイトでも報じられていました。

 

ここで私が注目したのは、岡田氏の大元の発言です。彼は心身調律セラピストと名乗ってらっしゃいます。

「喜怒哀楽の感情部分のクリアリングが進んでくると、同情とか引け目とか罪悪感とかどんどん無くなる

「マニュアルにも地球ルールにも興味ない

の部分です。

 

たしかに、喜怒哀楽の感情部分のクリアリングが進んでくると、同情とか引け目とか罪悪感とかはどんどん無くなってくるでしょう。

それは事実です。

ですが、引け目や罪悪感がないからといって、ルールや規範に従わなくてもいい、というわけではないでしょう?

だって、いくらご自身が地球ルール(?)に興味がなくても、ここは地球なんだから。

 

「ルールを破ることへの罪悪感がなくなること」 と、「ルールを破ってもいいという自己解釈」 は、別物です。

 

後者は、ただの自分勝手につながります。実際に、誰かに迷惑をかけ、損害を与えます。

ルールを破るのであれば、その破り方にも、ルールがあります。なぜって、私たちは法治社会に生きているからです。

 

常識やルールや規範が自分にとって息苦しいからといって、それを守らなくてもいい、勝手に破っていい、というわけではありません。(すべての人間がそれをし始めたら、完全なカオスになります。それこそ未開時代です。)

岡田氏が、ある程度の影響力を持つ人物であり、かつ、(私と同業でもある)セラピストと名乗ってらっしゃる以上、私はどうしてもこの件を見過ごせませんでした。

 

「影響力のある人」を盲信した人たちが辿る、気の毒な末路

岡田氏本人は、もしかしたら炎上さえ役得だと思ってらっしゃるのかもしれませんが、彼と同席した他の方々は、それでいいのですか?

「堂々とルール破りを犯す人といっしょにいる、非常識な人」

と思われてもいいのでしょうか?

 

インフルエンサー達が、

「自由に生きろ」
「常識を疑え」
「ルールを壊せ」

としょっちゅう言うのは、「ポジショントーク」です。

(ポジショントークというのは、自分自身に有利に働く発言のこと。)

つまり、そのような発言を繰り返しおこなうことで、フォロワーが自分の発言を持ち上げてくれ、自分のブログやSNSの露出度が上がり、自分の商品やサービスが売れたりするのです。

なかには、炎上すら狙っている人までいます。

 

インフルエンサーは、自分の発言によってフォロワーの人生がどうなろうが、責任は一切取ってくれません。

インフルエンサーが、「自由とは◎◎」「幸せとは◎◎」と言ったからといって、その「◎◎」があなたを自由にしたり幸せにしたりしてくれる保証は、どこにもないのです。

 

前述の岡田さんが、または子宮委員長はるさんが、Happyさんが、心屋さんが、キンコン西野さんが、ホリエモンさんが、これはいい/これはNGと言ったからといって、それが盲信に値するとは言えません。

自分自身の頭で考えて、判断するしかないのです。

彼らの商品やサービスが、その価格に見合う価値あるものかどうかも、やはり自分で見極める必要があります。

 

ただ、インフルエンサーのポジショントーク(による悪影響)は、私はもはや見過ごせないレベルになってきていると思っています。

「まわりの反対に耳を貸すな」
「あなたを応援してくれない人は敵。あなたに嫉妬しているだけ」

みたいなことを言う人もいますが、いやいやいや、愛して応援しているからこそ、あえて反対するということだってあるのです。

 

インフルエンサーの影響力から自由になってください

大袈裟かもしれませんが、インフルエンサーに心酔して盲信状態になっちゃってる人は、どんどん自由になるどころか、どんどん不自由になっていってます。

なぜなら、かつてあなたを支配していた「常識」「ルール」などの領域を、そのインフルエンサーの存在とポジショントークが取って代わっただけだからです。

 

インフルエンサーは生きた人間で、言うこと・やることが時と場合で変化しますし、ポジショントークによってあなたに与える影響は広範囲に及びます。

いずれあなたがインフルエンサーに疑問を抱いたとき、あなたが直面するダメージは、「常識」や「ルール」があなたに与えた窮屈さのダメージよりも、ずっと甚大かもしれません。

 

日本人にはどうもピンときづらい言葉に「ノブレス・オブリージュ」があります。Wikipediaによると

直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」を意味し、一般的に財産、権力、社会的地位の保持には責任が伴うことを指す。

(中略)

最近では、主に富裕層、有名人、権力者、高学歴者が「社会の模範となるように振る舞うべきだ」という社会的責任に関して用いられる。

と書かれています。

インフルエンサー側にも、そろそろ「自分(とその周辺)さえ良ければいい」という考え方を捨ててもらいたいと思っています。

 

間接的にでも社会に与える影響を中長期で見渡して、「日本全体が良くなる、世界全体が良くなる」くらいのスケールで、インフルエンス(影響力)を及ぼしてもらいたいものです。

それには、一般大衆側も同様に賢くなる必要があります。

「自分さえ良ければいい」という考え方は、そろそろ「アホだな」と見限っていいのではないでしょうか。

 

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