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2018.02.24

[書評] 離婚してもいいですか?(野原広子)

 「卵でカンタンおかず」という表紙に惹かれて、雑誌『レタスクラブ』(参照)を手にしたら、『離婚してもいいですか?』という漫画があった。これ、一冊分まるごと入っているのかなとさして考えもせずに読んでて、ぷち鬱くなった。

 簡単にいうと、普通の主婦が離婚しようかなと思う日常がさりげなく淡い線画で描かれているのだが、そのさりげなさがかえって、あまりにも日常的にあるあるな状況なので、なんだろ、とても痛い。まあ、自分の場合は、既婚男性なんで、女からこう見られているのかあ、という痛さもあるのだが、結婚の真相っていうのは、こういうものだよねというリアリティがずさずさくる。なんだこの漫画と思ったら、以前からこの雑誌に連載していたものらしい。そして、4月には単行本になるらしい。という過程で、これ、『離婚してもいいですか? 翔子の場合』というバージョンで、2014年に前作『離婚してもいいですか』があるのを知り、なんだなんだということで、考えもせず、ぽちって読んだ。うああ、こっちのほうがさらに痛い。
 このなんなのだろう、とても些細でどうでもいいことに思える、夫婦間の不快がきちんと描かれている。たとえば、まるまった靴下の洗濯物。丸まったまま洗濯に出すんじゃねえよ、というあれだ。そして、あれ、だけで終わらないのは、「丸まったまま洗濯に出すんじゃねえよ」って言葉で言っても、通じないという「あれ2」だ。きちんと2パターンを抑えている。はいはいと答えられても事態は全然変わらないあれか、逆ギレするというあれだ。実に些細な話に見えるだろうが、これって、実は人間というものの本質に関わる問題にきちんとつながっているところが怖い。
 ほんと怖いのだ。DVはいけない、というのはほぼ自明で、さっさと離婚しなよ、それ以外、答えなんかないよというような、DVがあっても離婚できないというのは、どちらかというとわかりやすい社会問題であったり、共依存的な心理的な病理であったりするのだが、この漫画で描かれているのは、そういうDVではない。直接的な暴力はないが、不機嫌になったり、ものに当たり散らしたりする夫である。つまり、DVの線が微妙。また心理的な暴力とまでも言えない微妙さ。というか、妻の側には、じわじわと首を絞められるようなぬるい絶望感。というのが、書名である『離婚してもいいですか?』につながっていく。しかも、この絶望感を深めているのが、子供という存在である。ひどいこと言うようだけど、子供がなければ、関係は男と女というだけになりそうなものだけど、まあ、これもそう簡単な問題でもないか……。
 こういう状況から無縁な結婚生活というのはおそらくなくて、この漫画と多数の人の結婚の実態はある濃淡の差くらいなものだろう。離婚する踏ん切りもつかずに、子供を育てる家庭をなんとなく支えていくというか。それでも、基本的には、男が稚すぎるというのはあるだろう。
 まいったな。これは痛いな。ということで、新作『離婚してもいいですか? 翔子の場合』に戻ると、前作と基調は同じだけど、見方によっては男の側の視線もあるかな、というか、男の側からも読める距離感のようなものはあるかなと思うし、フィクションの物語性が濃い分、少し救われるぬるさはある。それと、前作より少し夫婦の年齢を深めた感じもする。エンディングも暗いだけではなく、なんというかもっと乾いた諦観が覆っている。しいて明るい面としては、そうした鬱を補うように、女性の内面の問題として、なぜこういう結婚生活に耐える自分になってしまったのかという洞察もあり、そこは心の治癒的な面もあるだろう。
 いずれにしても、二冊、とんでもないもの読んじゃったな感はある。
 既婚女性からの支持は多いようだけど、これ、若い男性は必読だよと思う。神は細部に宿る、ではないけど、結婚生活は細部に宿るよ。

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