あべひ君の反論記事を3度嗤う

創価のスマホ本尊がよほど気になったのか
あべひ君が反論記事を書いているといことなので彼のブログを読んでみた。
まぁ、相変わらず「反論のテイ」をなしていない記事だった(笑)
あべひ君は過去の俺の書いた記事で
「会館」の件と「墓苑」の件で反論記事を書いているが
「会館」の時は建築確認のはなしで
「墓苑」の時は所有権のはなしで反論しているが
その時に指摘したが、全く俺の記事の趣旨とは違う所で反論をしている。
彼が俺の記事に絡んでくる時のロジックはいつも同じで
コチラが仏法の話をしているのに彼は世法の話で返してくる。
(しかも「会館」と「墓苑」についての反論は素人がネットで調べて書きました系の内容)
つまり、彼は「論点を逸らす」といういう創価脳全開の反論しかできないわけだ(笑)
のんかつ氏・ラン氏ほど、あべひ君は「マヌケ」ではないと俺は思っているので
彼は「わざと論点」を逸らして「本題」から引き離そうとしていると想像している。
その理由は、このブログの読者の学会員さんを誤魔化そうとしている。ということと
あべひ君に俺のブログ記事を破折するほどの教学力がない。ということだろう。
事実、あべひ君のブログには恐ろしいほど大聖人仏法の話は書いていない。
(まぁ創価ブログはほとんど変わらないが)
それは「書かない」のではなく「書けない」ないのだろう。
なぜ書けないかというと「怖い」からなんだと想像する。
だから、「論点ずらし」の反論を遠くからする以外にないのだろうね。
(あ、でも面倒だからここにコメントしなくていいですよ)
でも、こうして今回の記事に反論するという事は
彼の中で「これはヤバイ」という思いがあるからんだろうね(笑)
「会館」の時も「墓苑」の時も、彼は反論しておかなくてヤバイと感じたんのだろう。
それはつまり、その記事が「正論」だったから他ならないとうことだと受け止めよう(笑)

さて、今回の反論もいつもの如く子供ダマシもいいところ。
まぁ、「あべひワールド全開」だ。
彼の反論はこうだ。

▼日顕宗では創価学会の本尊はニセであると主張するとともにニセ本尊を受持するだけで「不幸になる」と喧伝している。
この指導が真実なら学会員に見せる為にスマホにダウンロードし肌身離さず持ち歩いている退転某氏法華講員は「不幸に」なるに違いないはずだ。だが、そんなことを知ってか知らずかコメントを寄せる法華講員さんは誰も「不幸になる」などと指摘することはない。

要約すると、正宗でニセ本尊と言っている創価の本尊をアプリに入れて受持するのは正宗の指導と違っているから自語相違である。といった所だ。
全く大笑いである。
ここまで仏法に無知だと気持ちいい。
まず、彼はスマホの画像が本尊として成立していると思っているようだ。
いいか。正宗の御本尊だろうと大御本尊だろうと創価の掛け軸だろうと
スマホの画像はそもそも「本尊」ではない。
「本尊」を撮影した「画像」を「本尊」だと言っている時点でまずダメでsる。
つまり今回のアプリ本尊は「ニセ本尊」にすらならない
ただの「創価の掛け軸の画像」なのである。
つまり、創価の現在の教義に照らしてもアプリ本尊は「本尊」ではないのである。
これを「本尊」と認定するには会長さんの裁決が必要になる。

それと、もう一点彼は「受持」というのを
「持ちあること」だと思っている(大笑)
ならば学会員はいつも「本尊」を持ち歩いているのかね?
大聖人仏法における受持とは、「信力・行力」である。
つまりこのアプリ本尊を信じない限り「受持した」ことにはならないのである。
持ち歩いているだけで受持になるというならば文証を出したまえ。
それにこのアプリは無料だから、謗法への布施にもあたらない。

まぁ、もっとも彼は「それを分かっていて」書いているのだろうと思う。
何故なら、初心の学会員さんは創価から仏法を学んでいないので
本尊の画像も本尊だ。と言われれば「そうかな」って思っちゃうし
持ち歩くのが「受持」だと言われれば「そうだよね」って思うだろう。
そのような学会員さんを誑かす為に
彼は「世法」にことよせるわけだ。
本来の本題である「仏法」を語ると創価が間違っていることを
初心の学会員さんが知ってしまうことが怖いのだろう。
(それと自身の無知がバレるのもイヤなんだろう)

なぜ、このアプリが謗法なのかと言えば
創価自身が「本門の本尊」と呼んでいるモノを誰でも見ることができる状態に放置していることである。
無料アプリにさらすということは、「誰でもご自由にお持ちください」という事だ。
俺は創価掛け軸なんてそんな扱いでも十分だと思っているが
この本尊を信仰している学会員さんは「それでいい」のですか?という話だ。
そもそも、自分たちの本尊の問題に反論するのに
何故、正宗の話なのか?訳が分からない。
そういえば、あべひ君の記事で、創価森の菊川氏が
招集を「日顕宗」と呼んで批判していることを批判している記事があったが
そういう自分がいまだに「日顕宗」と書いているのだから笑える。
創価脳は創価脳同士でやりあっているのがお似合いなのである。
各自のブログで思う存分「創価思考」「創価発言」を連発していればいいのである(笑)
今回の件で久々に創価ブログを読んでみて
つくづく「創価の評判」を下げている人ばかりだなぁ、と実感した。
実にいい事だ。
法華講やアンチが、創価本尊風掛け軸なんぞ「受持」するわけなかろう(笑)
だから俺の心配なんぞする必要はない。
俺の心配をしているヒマがあったら学会員さんの心配をしたまえ。あべひ君よ。
おそらく、俺のブログの記事よりも、今君がコメント書いている自称学会員のブログの方が
創価の評判を下げていると思うがどうだろう?
キミも当初はそのブログの管理人を絶賛してたが、いまではスッカリ手のひら返しだな(笑)
まぁあの管理人ならば教学も何もいらないから頑張ってくれたまえ。
今回も笑わせてくれてありがとうな。
これで嗤ったのは3回目だ。
これからも定期的にネタを披露してくれたまえ。

しかしアレな。キミが反論記事を書くと却って拡散してしまうのでないか?
まぁ、いいか。


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創価スマホ本尊が登場したよ。

ネットで「創価のスマホ本尊」の噂をしり調べてみた。
すると・・・本当にあった。
携帯本尊ならぬスマホ本尊が・・・
まずはこれをご覧くださいな↓


IMG_3521 (1)



紛れもない「創価本尊」です。(中央の題目は私が消しました)
「鈴」ボタンを押すとご丁寧に音がなります。
昔、当ブログに「本尊をスマホに写したものは本尊になるか?」
というコメントをくれた人がいました。
もちろん、そんなもの本尊になり得ないし
そもそも御本尊を撮影すること自体が謗法です。
さすがの創価もそんなことしないだろうとタカをくくっていたのだが・・
このアプリが創価が作ったアプリかどうかはわからないが
創価の「八葉蓮華」のマークのアイコンに
創価の本尊となれば、これはもう立派な創価の仕業ですな。
確かに、創価本尊は単なる「コピー」ですから
なにをやってもどうでもいいとえばどうでもいいが
彼らはこの本尊風掛け軸を「本門の本尊」といっているわけです。
彼等が「本尊」と認定しているモノが
こうしてアプリでしかも無料でインストールできる状態になっていて
それを放置しているのだから、もう言い逃れできませんね。

大聖人様のご本尊とは

◆子にあらずんばゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ(阿仏房御書)

と言われているように滅多矢鱈に人にみえせるものではありません。
自宅の仏壇の扉も信心をしてない人に見られないように閉めておくものです。
それを、誰でも無料で見ることができるような状態に置いておくとは・・・
呆れを通り越して激しい怒りを感じるわけです。
さすがの顕正会でもこんなことはしないでしょう。
いや、他宗に置いても本尊や御神体を
こんな「ぞんざい」に扱う団体はあるだろうか?
「ご本尊根本」が聞いて呆れる。
創価本尊風掛け軸とはいえ、元をたどれば
日寛上人が戒壇大御本尊を書写したご本尊であり
それは創価の本尊ではなく、正宗の本尊です。
それをこんなチンケなアプリにしてネットに晒すとは許すことができない。
やはり、創価学会という謗法団体には消えてもらうしかない。
こんな腐れ外道連中は一掃しないとダメだ。

バリ活のそこの学会員さんよ。
これを見て何か言うことはないのかね?
またバクレかね?

善良な学会員の皆さんは、
自分が大切にしている御本尊をこんな風に晒し者されてなんとも思わないのですか?
これでも創価学会は正しいのですか?
こでれも創価学会は日蓮仏法を信仰しているのですか?
本当に一日も早く創価から離れた方がいいです。
別に無理に法華講になることはありません。
まずは、この謗法創価から離れることが大切です。

追記・このアプリを入手するには
App Storeを起動して、「勤行」で検索してください。
インストールは無料です。
私は、学会員に見せるためにインストールしました。
そのうちに、3000円の有料アプリになるかも?
本尊アプリインストールすると本流1。
とうとうそんな時代になるのでしょうね。
おぞましい・・


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ついに大御本尊にお目通りしました。

今日は、先日勧戒を受けたU君と総本山に行ってきた。
恋焦がれた戒壇大御本尊様についにお目通りすることができた。
最前列の中央。大御本尊様のほぼ真正面。
「ああ、やっぱり大御本尊は大聖人様なんだ」と
改めて確信した。
書きたいことや言いたいことは山ほどあるけれど

◆書は言を尽さず言は心を尽さず事事見参の時を期せん(太田入道殿御返事)

の一節そのものの気持ちです。
何を書いても、何を話しても
大聖人様に初めてお会いした今の気持ちを表現することはできない。
そんな気分です。
一緒に行ってくれた講頭さん、婦人部のKさんにも感謝です。

IMG_3520.jpg

因みに、創価新報によると大石寺には
ペンペン草しか生えてなくて
野犬の群れがウロウロしているとのことらしいが
ペンペン草も野犬の群れも見つからず
写真を撮ることができませんでした(笑)

さぁ、また明日から信心根本に頑張るぞ!


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S君。勧誡を受ける

昨日は夕方から創価時代からの仲間のS君が勧誡を受けた。
大聖人の誕生日にしたいという本人の希望で昨日にした。
これで、俺の創価時代の仲間は、N君・U君に続き3人目の勧誡だ。
N君は俺が副部長時代の部長でU君は地区リーダー
今回のS君は俺が地区リーダー時代の未活で
その後地区リーダー、そして俺の後任の副部長である。
あと二人当時の地区リーダーが勧誡を受けたら
それこそ当時の支部男子部の中心メンバー全員になっちゃう(笑)

さてS君とは年齢も近く、酒もよく飲むし遊びもよくいく仲。
活動家時代はお互いに父親の借金を被って貧乏のどん底だった。
同じような境遇だし、ベース似ているのでいつも一緒にいたな。
金が無いからビール1本買って二人で分けて公園でのんだり
毎晩会合の後にホットココアを飲みながら朝方まで語り合ったり
そうそう俺が創価の組織を追放された時には
彼も一緒に追放された。
何も悪いことしていないんだけど、
俺と一緒に「壮年部送り」されたのはS君一人だった。
今となってはいい思い出と笑えるのも全て大御本尊のお陰だ。
その大御本尊を創価は捨てた。
それがS君が創価を退会し勧誡を受ける大きな理由なのは言うまでもない。
勧誡の時に涙がこぼれたそうだ。わかるなぁ。
俺も創価時代から苦労を共にしてきた仲間と
こうしてまた一緒に信心ができると思うと嬉しい。
で、あまりの嬉しさに昨晩は勧誡の後の祝杯を少し飲みすぎた(笑)
S君はこれから家族・兄弟・そして自分の折伏した友人たちに
順次、勧誡を受けさせる予定だそうだ。
俺も少しづつ、一人づつ謗法創価から友人を連れだしたいと思う。
なにはともあれ、S君勧誡おめでとう。
俺も嬉しいぜ。


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励まし週間(笑)

創価では今月から「励まし週間」とやらをスタートさせたらしい。
なんでも会合を減らして会員さんのところへ「励まし」にいく活動のようだ。
「お前らに励まされるほど落ちぶれちゃいね~よ」って思う人も多いだろうが
創価活動家の自己マンのために
自宅で寛いでいるところにいきなり訪問される方はたまったもんじゃない。
早速、原田君などの最高幹部も一会員宅を訪問しているみたいで
その様子を聖教新聞でもとりあげているが
原田君を迎える会員さん側も準備万端待っていました感がアリアリで
「やらせかよ?」と笑わざるを得ない。

数日前の聖教新聞に

▼池田先生は、小説『新・人間革命』第27巻「激闘」の章につづってくださっています。 「私が多くの幹部を見てきて感じることは、個人指導を徹底してやり抜いてきた方は、退転していないということなんです。 個人指導は、地味で目立たない永続的な忍耐の労作業であり、それを実践していくなかで、本当の信心の深化が図れるからです。さらに、個人指導を重ねていくなかで、自分自身を見つめ、指導することができるようになるんです。だから退転しないんです」と。 「リーダー自身の成長」という観点からも、個人指導の実践が重要だということです。

との原田君の話が掲載されている。

そもそも俺はこの「個人指導」という言葉が大嫌いである。
以前も書いたと思うが、俺は自分自身もまた他の活動家にも
「個人指導」「家庭指導」という言葉を使うことを禁止した。
「指導」なんていう言葉を使うから、
馬鹿な幹部・活動家が調子に乗って「指導」をしようと躍起になるわけだ。
そして「指導」をしていれば自分が信心をしている感覚になるんだな。
向こうから「指導してください」と言ってくるならともかく
勝手に自宅に訪問して「指導」なんて、君達は何様なのだ?
なので、俺の部では「家庭訪問」と言うことを義務付けた。
さてその家庭訪問だが、これは会員さんを回る役職を持った人なら皆体験してるだろうが
自宅を掃除してお茶菓子用意して待っていてくれる会員さんなどどこにもいない。
男子部・壮年部の場合は平日はほぼ在宅していない。
俺が地区リーダーになった地区では統監14名で活動家ゼロ
家庭訪問は夜9時くらいまでが常識的に限界だ。
(それでも未活・未入会のご家族にとっては非常識だが)
すると会えるのは良くて3人。下手するとだれとも会えない。
お茶菓子どころかドアも開けてもらえない家もある。
だから俺は毎回ひとりひとりに手紙を書いて置いてきた。
必ずそれぞれのメンバーに違う御書の一節を引用した手紙を書く。
1年3ヶ月の地区リーダー時代で1000通以上の手紙を書いた。
それを持って雨の日も暑い日も寒い夜もひたすら地区を回る。
俺の担当地区は団地メインだったからそれはそれは足腰が鍛えられる。
それでも、なかなか会合にも来てくれない。
これが現実なのである。
そんことも分からない幹部は、時々思いつきで「一緒にまわらせろ」と言ってやって来ては
つまらない「指導」とやらをかまして部員さんを怒らせたりする。
「もうほかの人を連れてくないでください」と何度言われたことやら
今思い出しても腹が立つ。
そんな経験をしている人からすれば
原田君の家庭訪問は活動家の家にお茶を飲みにいっただけ。
これこそ正真正銘の「茶番」である。

上記の「人間革命」の大作センセの言葉を読んで
「なるほどだから大作センセをはじめとする今の創価が大聖人仏法から退転したんだな」と思った。
彼らがやってきたことは、名も無き一会員が懸命に折伏し起こしてきた会員さんに「指導」しただけ。自分が折伏したり会員さんまわりをしたわけじゃない。
「2月闘争」なんていってるけど大作センセが率先して何十世帯も折伏した事実はない。
結果が出したのは会員である。大作センセはそれを自分の手柄にしただけだ。

こんな大作センセが師匠なのだからいまの創価活動家は「こんなの」ばかりなのである。
活動家相手に指導するだけで自分が戦っていると思っている。
活動家相手の指導を皆が聴いてくれるからなんだかいけそうな気になっている。
でも、実際は教学もなく人としての魅力に乏しい。
活動家以外の人とはまともな会話すらできないってのが多い。
故に、折伏なんぞ出来るわけないし活動家を増やすこともできない。
結局人のふんどしで相撲を取る以外に存在感を示せないわけだ。
さらにひどいのはネットで同じ創価会員に対して、
「日顕宗」と呼んだり「創価をやめろ」といったり
未活動の会員を「退転者」と呼んだりする自称学会員。
彼らがそのように言っている会員さんにも
その会員さんのために一生懸命尽くしている人がいる。
何もしていない連中が見ず知らずの会員のことを平気で侮辱できるのは
自分が苦労して折伏したり家庭訪問をしたりしたことがないからだ。
そんな連中の「我こそは創価学会」という言動に触れると
「ああ創価もオワタ」と思うわけだ。
まぁ、どちらにしても上から下までこんな連中ばかりの組織なのだから
今後の発展は望めないだろう。
せいぜい活動同士が「励まし」という傷の舐め合いをするのが関の山か。
くれぐれも「そういこと」に関係も興味もない会員さんに
迷惑がかからないようにしてもらいものだ。

最後に、俺の地区リーダー時代の一番の想い出話をすると
地区リーダーとして最初の地区座には男子部は俺ひとりだった地区だが
地区リーダーとして最後の地区座には統監14名のうち11人が座談会に参加してくれた。
そのときは本当に嬉しかったよ。
その時のメンバーとはいまも付き合いがある人がいる。
俺が退会して正宗に移っても今まで通りつきあっている。
そんな人達にはなんとしても大御本尊の元に戻って欲しいと思う。
20年以上前に俺が創価活動家にしてしまった人に
またあの時のように少しずつ粘り強く
今の創価の謗法を伝えていきたい。
それが俺の「励まし週間」だ。


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プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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2017.10.26~
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