創価学会の本尊を受持した法華講員さん

なにげに、今でも創価学会を退転し日顕宗門徒に下ったという
某ブログをみてみると、アプリストアで創価学会御本尊が無料で
配布されていたのでダウンロードしたのだという。
日顕宗門徒の間で噂になっていたのだそうだが、スマホ本尊
と呼ばれているものらしい。
彼等日顕宗門徒は、悪僧にたぶらかされたあげく創価学会で
会員に下付している大石寺の法主書写御本尊を「ニセ本尊」と
呼び習わし本尊(仏)に対する謗法を積んでいるのだが、
理由をつけたうえでダウンロードし、スマホに御安置することは
厭わないらしい。
所属する日顕宗の坊さんは、
「学会のニセ本尊を法華講員が受持しても拝まないのなら
謗法にはならない」とでも指導しているのだろうか。
そんなことはないはずである。

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日顕宗では創価学会の本尊はニセであると主張するとともに
ニセ本尊を受持するだけで「不幸になる」と喧伝している。
事実、日顕宗の埼玉の法華講支部HPでは
『常に魔を肌身離さず持ち歩くこととなり、事故や病気、不運に見舞われる
                             確率は格段に高まります。』

(引用元: 埼玉能安寺法華講支部HPより抜粋 )
などとオカルティックな教説をたれている。

もともと、日顕宗では
『御法主上人の許可なく、勝手に複製したものを、私たちは
                    『ニセ本尊』と呼んでいるのです』
( 大白法・平成23年12月1日付け記事より引用 )

などと定義付け、元となった日寛上人の本尊をニセと指弾しているのではない
という立場をとっていたのだが、一向に学会の脱会効果が上がらないとみるや
お守り御本尊にまでケチをつけ「持ち歩くだけで不幸になる」などと脅すやりかたに
方針転換しているのであろう。
この指導が真実なら学会員に見せる為にスマホにダウンロードし肌身離さず
持ち歩いている退転某氏法華講員は「不幸に」なるに違いないはずだ。

だが、そんなことを知ってか知らずかコメントを寄せる法華講員さんは誰も「不幸になる」
などと指摘することはない。
いや、それとも創価学会を退転してなお執着し、日顕宗に行っても幸せになりきれない
自分の弱い信心が「不幸」そのものであることを他人に知られまいと、法華講の某氏が
“ダウンロードした御本尊を受持してた”などと言い訳するための布石をうったおいた
だけなのかもしれない。
まぁ、どんな意図があるにせよ個人で御本尊の画像をダウンロードして受持してよい
もなのかどうか所属の寺院の坊主に指導を受けてみるほうが先のように思う。

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奇しくもスマホに御本尊をダウンロードした某氏は、以下のように述べているのが
魅惑的である。

『創価の「八葉蓮華」のマークのアイコンに創価の本尊となれば、これはもう立派な
 創価の仕業ですな。
 確かに、創価本尊は単なる「コピー」ですから
 なにをやってもどうでもいいとえばどうでもいいが』 

 (ダメ出しブログ 2018/2/21付け記事より)

まさに「単なるコピーだからなにをやってもいい」を地でいっているのが
日顕宗門徒ではないのか。 そういった自語相違を彼自身も気が付かないようで哀れだ。
もともと同様の学会本尊の画像はもっぱら日顕宗門徒がネットで垂れ流している
ものであり、それを再利用してネットで活用いるのも日顕宗門徒であることが多い。
“学会の本尊だから学会員が配布しているにちがいない”などと理由もなく
思い込めるその短絡さこそが、日顕宗門徒の思考なのかと思えてくる。
だがこのような「書写された本尊」の写し(画像)であっても、学会員を破折するために
所持するのは問題ないというご都合主義な考え方は、今回紹介した退転者の某氏
にかぎったことではないところが、法華講員のもつ御本尊観を知る上での共通認識
でありミソとも言えるのだ。

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YOUTUBEで法論動画を配信しコンテンツを販売している長野妙相寺門徒
の樋田氏は、かつて学会員さんとの「公開法論」でおなじようなことをやっていた。
創価学会の本尊がニセであるという説の補強材料として、ネットでひらってきた
「御本尊」の画像をプリントアウトし、学会員の前にちらつかせ
「コレとおなじことなんですよ」「拝めますか?」と詰問してみせたのである。
樋田と山下君の御本尊不敬
つまり
「学会員を恫喝するためなら本尊のコピーを作成し所持してもかまわない」
という学会退転某氏とまったく同じ発想が、法論商売をする樋田氏や同席している
法華講員山下氏にもみられるのだ。
彼等日顕宗門徒にとって、御本尊とは自分たちの信仰の正当性を示す「道具」でしかない。
こういった発想ができるのも、弘安二年の御本尊こそが特別であり、それを静岡の大石寺
で拝むことができる立場で優秀な信仰者である「法華講員」という、選民思想の成せる技
だろう。
(選民思想:自分たちは神によって選ばれた特別な民族・人種である、という信仰、確信。
                                     日本大百科全書より~)





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