今、情報は溢れすぎています。
音楽を例に、「ものに対しどう思うのか」、言葉のありかたを少し書きます。
インターネットの発達、spotify、AppleMusicなどのストリーミングサービスの流行。
音楽はどんどん身近な存在になってます。
あらゆるアーティストを、色んなサービス・配信で楽しめる。
ただ正直、選択肢が増えすぎてる気がします。
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増えすぎた選択肢
語れるアーティストはいる?
このご時世に音楽を聴き始めた人で、ひとつのアーティストをめちゃくちゃ好きだと胸はって言える人は、かなり少ないんじゃないでしょうか。
若い子たちは邦ロックが好きな子が多い。好きなアーティストを羅列してもらうと、人によって系統が別れますが、ある種のグループ分けがあります。「このアーティストが好きな子はこっちも好き」というある程度の相関。
そこで、「そのアーティストの中でどれが一番好きなの?」と聞くと「わからない」と言われたことがありました。
「わからない」という答え。音楽で、「どれが一番?」などは無粋で無骨なことだと思っているけど、「わからない」は中々に難しい答えだと感じてしまいました。
「そういうジャンルの音楽全体が好き」ということでいいのでしょうか。少なくとも、「好きになった発端」はどこかにきっとあるはずなので、またそれを聞いてみたい。
ともあれ、その子には、「固定されて好きなアーティスト」という概念がありませんでした。
好きの「軸」
「なんとなく好き」
正直な話、これが一番の真理です。感性は言葉で語る必要のないものです。感覚を無理やり説明するために、言葉というのは付いてきます。後追い、いわばおまけです。物事の表現は、その人の語彙に依存します。
ただ「どうして好きなんだろう」を自分なりに言語化して、置いておくと、自分のなかで少しスッキリします。会話するときや何か紹介する際に程々に役に立ちます。
それは抽象的な言葉でも、具体的でもよし。
「なんかこのイントロの雰囲気がいい」「このギターの音が好き」「ここのドラム気持ちい」「サビの5拍子が心地いい」など気楽な言葉でいいです。
音楽理論に詳しければ、理論を以って曲を分解できますが、音楽を聴いてる8割はそっち側ではありません。
ただ「好き」という言葉だけで終わらなければ、より物事を好きになれます。音楽に限らず。
音楽を聴き込むのが難しい時代
すごくマルチに音楽を聴けるようになって、一つのアーティストの、一つのCDを聴き込むという人が、すごく減ってしまった気がします。気軽に聴けることで起きた弊害だと思います。弊害というか嬉しい悲鳴というか。音楽が身近にあるのはとても良いことなのですが..
自分が、音楽に触れだした時、インターネットはそこまで普及しておらず、聴けるものは限られていました。今ほど気楽に音楽が聴ける時代じゃなかった。なので、CDを買ったり、レンタルした際は、必然的にそれに没頭。もちろん好きな音楽を聴いていました。
目移りせず(出来ず)好きなものに没頭する。好きなものをとことん好きになってしまう環境でした。
一つの作品にかける時間が、否応なしに多かったため、段々と曲に対する理解が深まります。
「この部分が良いんだな」「ここのこの歌詞が」など、抽象的ですが、思うことが段々と出てきます。
ですが、今は一つのものに没頭するのが、非常に難しい。情報も音楽も娯楽も増えすぎてしまった。
とてもいい時代なのですが、選択肢が増えすぎると人は選べなくなります。
気楽に聴けるからこそ、好きなものを掘り下げてみてほしいなと思います。
偶然見つけた好きなものは、本当に貴重です。
知れば知る程好きになります。時には嫌いになるような事もあるかもしれませんが、興味を持ったものを掘り下げる事は楽しい行為です。「このアーティストのここが好き」と胸はって言えることはとても素晴らしいこと。「なんとなく好き」が、「ちょっと上の好き」になれば良いと思います。
「どうして自分はこれが好きなのか」を、ある程度言葉にすることが出来ると、より交流が深められると自分は思っています。
「◯◯が好きってだけで同志」これもまさしくその通り。これ以上言葉はいらない場面もあります。
気楽に喋るもよし、語るもよし。理論の鎧は必要ないので、自分の持ちうる言葉で、好きなものを言葉に替えてみるのは、とても有意義です。
あなたには「軸」となっているような語れる作家や、アーティストはいるでしょうか。
もしいれば教えて下さい。是非聴きたいです。音楽に限らず好きなものであればなんでも是非。
それではまた。
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