美しいものを美しいまま、女子の気分で—中村明日美子『同級生』

男と男の恋愛を描く一大ジャンル「BL」。本連載は、妻であり腐女子でもある文筆家の岡田育さんがおくる、夫に読ませたいBLマンガガイドです。今回は、腐界の歴史にその名を刻む傑作BL漫画、中村明日美子著『同級生』に切り込みます。初めて読んだとき、あまりの衝撃に横っ面を殴られる思いだったという岡田さんですが、そのわけは……?

 大学生の頃、同輩男子から母校についてあれこれ質問を受けた。ミッションスクールが舞台のコバルト小説『マリア様がみてる』に熱中していて、カトリック系お嬢様学校の内情について知りたいという。「うん、『マリア様のこころ』はよく歌ったよ」「いや、ロザリオは普通そんな使い方しないよ」と受け答えながら、「でも、あんたねえ、本物の女子校なんて美しいもんじゃないよ、球技大会とかめっちゃ臭いし、便所の汚物入れが、」まで言いかけると、彼はバッと両耳を塞いで、「いい!! もう聞きたくない!!」と突然ATフィールドを全開にした。

 そっちが先に訊いてきたんだろ、と思うわけだが、「きれいな百合の咲くお花畑しか見たくない」から、情報流入の量と質とを手元で制御したいのだそうだ。「君だって、男子校の醜い実態なんか知りたくないでしょ?」と言い返され、「えっ、超知りたい……むしろホモソーシャルのドロドロしたヨゴレを汲み上げる行為こそ至福……」と口にして、私は初めて、その非対称性に気づいたのだった。

 それから十数年後に結婚した私の夫は、漫画を読まない。やおいやBLも、もちろん百合も嗜まないので、この会話の構造も理解できないだろう。だが「ヤンキー高校生の男湯BL」に対する拒絶反応(※連載第6回参照)におぼえた既視感は、これだ。件の大学同輩も我が夫も、ともに男子校出身者。「きたないものは見たくない!」と言って心の扉を閉ざす、そのATフィールドの色柄形状が、完全に一致している。君たちはいったい、暗黒の青春時代にどれだけの心的外傷を受けてきたというのか。

 えっ、でも、つまり「きれい」ならいいの? 自分の高校生時代とはまるで別の生き物、性別も不明なほどの美少年たちがきれいきれいに描かれて、男子便所や男湯や運動部部室のイカ臭さを呼び起こさない、そういうヤツならイケるってこと? と、懲りずに首を突っ込んでしまうのが、今も昔も、私の悪い癖。

『同級生』は、新時代のベストセラーである

 中村明日美子『同級生』は、腐界の歴史にその名を刻む傑作BL漫画である。初めて読んだ20代後半の頃、私はあまりの衝撃に横っ面を殴られる思いだった。


同級生 (EDGE COMIX)

 〈好きな子ができました 同じ制服 同じ靴 同じクラスで 同い年〉

 あらすじを書いたら、これっきりなのである。ランクが高いとは言い難い男子校の教室で、女子にモテモテの金髪バンドマン・草壁光と、京都大学を目指す黒髪眼鏡の優等生・佐条利人という「ジャンルが違う」二人が接点を持ち、いきなり「ちゅー」して恋仲となり、嫉妬したり喧嘩したり泣いたり笑ったりしながら、トキメキレモン果汁100%の炭酸が甘酸っぱくはじける高校生活を謳歌しまくり、最後は「結婚」の約束までする物語だ。

 「世間様の好奇の目から隠れるようにして抱き合い接吻を交わす」というのが毎話ごとに繰り返されるクライマックスだが、実際バレて騒ぎにはならない。邪魔者のいない書き割りの中、誰からも深く干渉されない二人きりの関係が、回を追うごとに順調に進展していく。私が受けた衝撃とは、拍子抜けの意味だ。すんなり話が運びすぎだろ!

 そんなもの、嫉妬したゲイの教師が草壁より先に佐条をレイプして童貞を奪うに違いなく、流出した醜聞によって他の級友からは白眼視され、両親からも猛反対に遭いPTAは大混乱、最終的に二人は大学受験も音楽家生命も全部かなぐり捨てて、小指と小指を赤い糸で結んだまま夜汽車でどこか北国へ逃避行して生活費が続かずに売春などしながら儚く路傍で野垂れ死ぬに決まっている……と考えてしまう私は、漫画『風と木の詩』の読み過ぎだし、ドラマ『高校教師』の観過ぎだし、純白を見ると眩しさに耐えかねてシミをつけずにはいられない、昭和の腐女子である。

 人目を忍んで結ばれた男二人の幸福が道半ばでブチ壊される物語、そのジェットコースター的な起伏や劇薬のような刺激こそが「耽美」という感覚でいた私は、「オバサン、そういうの、もう古くないッスか?」と張り倒された。作者の中村明日美子は淫靡なフェティシズムを押し出したアングラ味の濃い作品も手がけているとはいえ、2000年代後半から続く『同級生』シリーズが高く評価されているのは真逆の要素、明るさ、軽やかさ、すなわち新しさ、その「間口の広さ」によってであろう。

 しっとりと湿り気を帯びた美少年たちが、目が潰れるほど美しい画面構成を携えて、日陰を飛び出し、さんさんと降り注ぐ陽の光の中へ、公衆の面前へ躍り出て、それまでBLを知らずにいた読者たちからも大いに祝福される。本作は、そんな新時代のベストセラーだったのである。ああ、これなら、と思う。これなら、あるいは、「きれいなものしか見たくない!」とさめざめ嘆くあの男の子たちに、そっと手渡せるヤツじゃないだろうか。

 『同級生』に描かれているのは終始一貫「きれい」な男子校世界だ。サビ抜き、骨無し、離乳食。といって、味がお子様向けなわけでもない。たとえるなら、無菌のガラスケースにおさめられた大輪の薔薇。汚れた大気に触れては生きていけない瓶詰めの妖精。外界の雨に濡れることのない礼拝堂の天井画に描かれた天使たちが舞う鮮やかな青空。

 私たち腐女子だって、いくらなんでも、この現実世界に実在する男子校が『同級生』ほど「きれい」なものではないことくらい、さすがに理解している、わきまえている。だからこそ、ウエットでメッシーでどろどろでぐちゃぐちゃした生臭い男同士のくんずほぐれつ、そんな「きたない」作品も貪り読んできた私が保証しよう。

 露悪的な描写を徹底的に排したこの人工美の世界に、貴兄ら男子校出身者がリアルな実体験を重ねるのはおそらく至難の業である。手足を持ったアンパンが動物たちと仲良く暮らす世界とか、白手袋をはめた燕尾服のネズミが熊のぬいぐるみを抱えて犬を飼う世界とか、ああいうものと同じだと思って、実社会で貴兄らを縛るすべてのしがらみを脇に置いて、安心して楽しめばよい。

男子よ、「女子気分」と向き合いたまえ

 ところでこの作品世界では、男児とは恋情に左右されないものという謎の固定観念が敷かれており、男として男に恋をした主人公の少年二人は、その動揺を形容するのにしょっちゅう「女」を使う。恋のときめきを指す言葉は「乙女」な「女子気分」という具合だ。

 大事な模試を目前に倒れてしまった受けの佐条利人。その窮地に、免許取得したてのバイクで颯爽と駆けつける攻めの草壁光。最強彼氏の存在に心救われた利人は、感謝のしるしに光にキスをする。きょうび月9ドラマでもありえん展開、ディズニーアニメか! とツッコミたくなるが、凄いのは、ここからだ。

 利人からのキスを受けた光は、そう、草壁光のほうが、カッと赤面して「待ってるわ あなた!」と叫ぶのである。

 昭和の腐女子が解説すると、これは旧時代における女性のジェンダーロール、「戦地へ赴く男の背中を送り出す、かいがいしい妻」を表現した台詞である。告白し、手を取り、抱きしめ、キスする側である「攻め」の光が、あっさり立場を転換させて「女」になる。女性になったわけでも、受けになったのでもない。これは「恋する自分」を認め、発露したという描写だ。

 好きな人のことが好きすぎて、自分が男とか女とか、相手が男とか女とか、関係なくなる瞬間。したいことをしたい、されたいことをされたい、したいことをされたいしされたいことがしたい、王子様のようにかっこよく登場すると同時にお姫様のようにいじらしく帰りを待ちたい、能動と受動がごちゃまぜになったその感情は、セックスにおける「凸」役と「凹」役との垣根を簡単に越えていく。

 醜い男子と汗臭い男子が肛門でまぐわうのは「きたない」ことだと心に壁を作って震えるオスの仔羊たちに、そっと手渡したい。大丈夫、この漫画を読んでいる間、そこは絶対安全なファンタジー世界だから、君たち男児が「女子気分」と呼ぶそのくすぐったい感情と、存分に向き合ってみてほしい。

 それはきっと、あなたの男の肉体のその深奥で、誰にも知られず、踏み荒らされず、発見されるのを待ちながら「きれい」に咲き誇っているに違いない。「こんな恋をしてみたかった」……摘み取ったその気持ち、あなたの心の中にある、美しく手入れされた花壇を無惨に踏みにじる者は、あらわれないのだ、この漫画には。

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この連載について

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#夫に読ませたいBL 〜やおいの教科書を考える〜

岡田育

「ボーイズラブ」略して「BL」。それは、男と男の恋愛を描く一大ジャンル。cakesで「ハジの多い腐女子会」の司会を務める文筆家の岡田育さんは、BLを愛する腐女子であり、また夫を愛する一人の妻でもあります。しかし、岡田さんの夫はBL作...もっと読む

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コメント

chiruko_t ファンタジー(`・ω・´)  17分前 replyretweetfavorite

mayuraalice 「夫に読ませたいBL」凄いパワーワード!!! https://t.co/DU9dg5HqNM 約1時間前 replyretweetfavorite

okadaic BL連載、更新されました! 『何食べ』読んで「俺ってシロさんみたいじゃなーい?」と衝撃の発言を残したオットー氏ですが、安心しろ、本作に自分自身を重ねるのはきっと無理だ。 #夫に読ませたいBL 約3時間前 replyretweetfavorite