「これからも自分が欲しいサービスを作っていきたい」サムライファクトリー篠田、大柴が語る創業から現在、そしてこれからのこと
23時になるとみんなでゲームをしてた創業期
サムライファクトリーは現在第14期を迎えてますが、2人は創業メンバーとして設立から会社を見てきたと思いますので、ざっと創業からのお話から始めようかと。二人は最初から知り合いか何かだったのですか?
大柴:いや、違います。
篠田:当時のサムライ…あの頃は忍者システムズって会社だったんだけど、僕自身は「顧問」というような形で外部の人間として関わっていたんだ。忍者システムズは僕の高校時代からの友人と知り合いの女性の二人で運営していたんですよ。
大柴:その女性と僕も知り合いで、その縁で忍者システムズに加わったんです。僕はその頃フリーターをやっていて、年齢も27歳で「この先どうやって生きていけばいいんだ…」
と悩んでいた時期でもありました。
そんな時にその友人から連絡がありまして。「友達と会社作ったから大柴さんも手伝ってよ」みたいな感じで。僕はインターネットビジネスに疑問を感じてたので、誘いを断ったんですが、なし崩し的に入社することになりました。
篠田さんはその時のことを覚えていますか?
篠田:うーん、あんまり覚えてないなぁ(笑)。たしか「新しく社員が入ります」って聞いてた記憶があります。
大柴:最初に会社に遊びに行った時に、篠田さんにも会ったんだけど、髪長いし、あまりしゃべらないし、謎な人だなぁって思いました(笑)。
最初は篠田さんは「顧問」で、社名も忍者システムズでした。いつサムライファクトリーになったんですか?またそのタイミングで篠田さんが社長に就任しましたが、そのあたりのいきさつは?
大柴:2005年の夏だったと思います。「ちゃんとした会社にしてった方が良いんじゃないか?」という議論が持ち上がったんです。篠田さんも「外部の人」ではなく、一緒にもっとやっていこう、という話にも同時になりました。
篠田:とある競合会社の社長と仲良くさせてもらっていて、その社長から「うちに来ない?」って誘われてたんですよ。なかなか魅力的な話だったし、どうしようか悩んでる旨を忍者システムズ取締役をやっていた友人、柏木くんっていうんだけど、彼に話したんですよ。彼とは先ほど話したように高校時代からの友人でもあったので。そしたら柏木くんに激怒されたんだよ。「忍者システムズはどうするんだ!」と。
大柴:(笑)。忍者としては篠田さんを中心に改めて体制を整えてやっていくのがベストだと誰もが思ってたし、諸々で揉めたんですが、最終的にベストな形に落ち着きました。
篠田:僕は個人会社を持っていて、その会社で忍者の仕事を請け負うような形を取ってて、一緒にやるにあたって、その個人会社が忍者システムズを吸収合併するというスキームを取りました。そしてできたのがサムライファクトリー。
「ちゃんとした会社」にしようとしたわけですけど、それまではどういう感じで、ちゃんとしてからはどう変わったとかエピソードありますか?
篠田:ゲームばっかやってたんじゃない?
大柴:やってましたね。基本的に13時〜25時という勤務時間でして、でも23時くらいになるとみんなでゲームを始めるんです。
ちなみに何のゲームですか?
篠田:『Age of Mythology』
大柴:篠田さんが強いんですよ。
篠田:僕、非常勤だったからさ、練習してたんだよ。
大柴:めちゃ強いんですよ。あと各自の性格がよく出る。篠田さんが一番戦闘的で、僕が一番防御タイプ。ゲームが終わると空気が険悪になるんですよ。負けた人はドアをバーンって閉めて無言で帰ったり(笑)。
ゲームの話はこの辺でやめておきましょう(笑)。
『忍者ツールズ』のユーザー、ファンが応募仲間に加わった
篠田さんも正式に加わり、新たなスタートをきったサムライファクトリーですが、まず何から「ちゃんとするため」に着手したんですか?
篠田:サムライファクトリーになってまず最初にしたのは採用。サービスはもっと大きくできる余地があったし、そのためには人員が必要だった。それで採用することにしたんだ。
コーポレートサイトから応募があった2人のエンジニアを採用した。その後も社員の紹介やら自社サイトからの応募で増えていった。みんな『忍者ツールズ』のユーザーであり、ファンが応募してくれてさ。仲間になったんだ。
大柴:サムライファクトリーになった2005年秋から一気に物事が動き出しましたね。新たな人が加わり、それまでクリエイターがほとんどだった会社にスーツの営業の人やディレクターと呼ばれる人も入ってきた。外部の資本も入った。激動の1年でしたね。
外部資本が入った経緯は?
大柴:2006年4月期の決算が終わって、剰余金を資本金に組み入れました。そのタイミングを前後していろんなVCや事業会社などからファイナンスの話がくるようになったんです。買収の話ももちろんありました。
篠田:そういうタイミングだったのか。そうだったのか。
そんな中である日、手書きで書かれた封書が送られてきたんだ。「とある企業が御社に興味を持っています」というような内容だったんだけど、それが手書きで書かれててさ。資金調達とか買収とか考えてなかったから断ったんだけど、断りの手紙を僕は手書きで書いて送ったんだ。
やり取りする内に一度くらいは会ってみようかなって思うようになって、その「とある企業」の代表の方と会ったんだ。考え方などとても勉強になる部分も多くて、少しだけ資本を持ってもらうことにしたんだ。最初は子会社化という話だったんだけど、それは断った。
その会社から社外取締役が入りましたよね。
篠田:別に先方からは「取締役1名」のような条件はもらってなかったんだ。でも経営の先輩に入ってもらうことで、自分達の足りないところを勉強し、吸収したいなと思って、取締役に迎い入れたんだ。1年間だけど一緒にやって、勉強になるところも多かったよ。
先ほど「スーツの営業も入った」と言ってましたが、彼らは何を売っていたんですか?
大柴:SEO事業をテスト的に始めたんです。それまで取引先からも「SEO事業やったらどうですか?」とよく言われてたんです。でもやってなくて。あまり僕達、法人相手のビジネスをやったことなくて、正直「よくわかんないなー」って感じで。
篠田:取引先からの引き合いもあったけど、直接問合せなんかもあったりして。それで試しに1社だけ受けてみたんだよね。それまで大手SEO会社に依頼してたらしいんだけど、順位が上がらないから困ってるって問合せがあって。それで僕らがやったらすぐに1位になった。わりとビッグワードだったんだけど。
やった結果、お客さまがとても喜んでさ。こんなに喜んでくれるならば事業としてやっていこうかという話になって、正式にSEO事業を始めることにしたんだ。
サムライはtoCのサービス会社ってイメージを維持したかったから、SEO事業は子会社化して、そっちでやることにしたんだ。
それがコンソートですか?
篠田:そう。それで誰に社長を任せようかなって考えてた時に、大柴さんが立候補したんだ。
大柴:そうですね。これまで篠田さんやその他のみんなのサポートに徹していた部分がほとんどだったので、何か自分で引っ張っていくスキルを身につけないといけないなって思って。それで子会社の代表をやることによって事業面も組織面も引っ張っていく「リーダー」として成長したいと思い、立候補しました。
ちなみにコンソートはComsortって書くんですが、これはComfortとSortを合わせた造語で、言うなれば「快適な並び替え」という意味があります。これは僕が考えました。
篠田:けっこう良いネーミングだなって思ったよ(笑)。
業績は急成長、人員も増える中で抱えた「人材採用の難しさ」
SEO事業も始め、人員を拡大し、創業以来オフィスを構えていた練馬を離れ、池袋に移転しました。
篠田:練馬で移転先を探したんだけど、良いところが無くて。一つだけ良さそうなテナントがあったんだけど、貸してくれなくさ。
大柴:銀行がオーナーのビルだったんで、ロン毛の社長と金髪の取締役の会社はダメだったのかもしれませんね…。
篠田:それで池袋に行ったんだ。練馬から近かったし、当時のメンバーは西武池袋線沿線に住んでる人が多かったからね。
大柴:そうですね。でも池袋に行ってすぐに手狭になってしまったんですよ。それで同じビルで増床をしました。移転して3ヶ月後くらいですかね。すぐです。
急拡大してたんですね。
篠田:そうだね。でもまだ自社サイトからの採用が多かった。応募してくれたことが喜ばしいことであり、仲間になって欲しいって思った。応募してくれる人は基本的にみんな『忍者ツールズ』のユーザーだったし、ファンだった。スキルよりも人となりを重要視してたんだ。
でも池袋に行って、1年くらいかな。採用の基準が「組織を作る上で必要な人材」にシフトしたっていうか、カルチャーフィットよりもスキル偏重になってしまった。これは僕ら当時の経営陣がいけないんだけど。
具体的に言うとどういう点がいけないところだったんですか?
篠田:そうだな。自分が全くわからないことがわかる人を求めていたんだけど、それは間違いだったなって思うんだ。自分たちがわかることをさらに極めてる人を求めるべきだったなと反省してるよ。自分たちが全く彼らのやってる業務を理解できなかったら、彼らに正当な評価をしてあげられないから。
言葉にすると誤解を生んでしまいそうだけど、採用って難しいなって実感したよ。
大柴:とは言え、事業は伸びてたし、業績も急激に伸びてた。それらの伸びに自分達の成長が追いついていなかったなって今になって思います。
なるほど。
大柴:あと、この頃「セミナーブーム」がありましたね。
なんですか、それ?
篠田:セミナーとか人材教育に興味を持っていた役員が主導して、役員、社員に対して様々なセミナーを受けさせたんだ。もちろん僕も受けたよ。
大柴:僕は正直嫌々受けてました。「やらされてる」感ありました。
篠田:マインドの問題だよね。「やらされてる」って受けるセミナーは面白くないし、身にもならないよね。僕は(全部のセミナーっていうわけじゃないけど)気づきも多く得られたよ。
大柴:そうですね。その通りですね。
リーマンショックの中、渋谷オフィスへ移転
渋谷に移転してきたのはいつ頃ですか?
大柴:2008年暮れの納会からです。営業は2009年からです。
篠田:本当は池袋オフィスをまた増床したかったんだよ。入居してたビルの1階と地下が空いたんで、両方借りようという話になって。
両方ですか?
篠田:そう。1階は事務所か何らかの店舗で使って、地下はライブハウスにでもしようって。でもビルオーナーの了承を得られなくてさ。それなら他のオフィスビルを探すかってなったんだ。
大柴:最初は池袋で探してたんですよ。でも無くて。
篠田:不動産屋さんからは「サンシャインはどうですか?」って言われたんだけど、広すぎだし、その他もいくつか問題があって断念したんだ。
大柴:それで池袋周辺エリアで探してたんだけど、良い物件がなくて、結局渋谷になったんですよ。渋谷でも候補がいくつかあったんですが、篠田さんと社員何人かで見学ツアーをした結果、グラスシティ渋谷に決定しました。
当時「リーマン・ショック」とかで世の中の景気は悪かったっぽくて、不動産屋さんから「久しぶりに拡大移転の案件でした。オフィス縮小案件ばかりだったので」って言われたのが記憶に残ってます。
グラスシティのオフィスは会議室の内装がかなり凝っていたじゃないですか。内装工事は時間かかったんですよね?
大柴:いや、一ヶ月程度じゃないかな。急いで作ってもらいましたよ。石垣のある会議室とか(笑)。