なぜ人は努力することができないのか?
東大に入学すると、「そもそも頭の出来が違うんでしょう?」「天才は努力の必要がなくて羨ましいわ」というようなことをまわりから言われたりして驚きます。
私は東大に通って、最終的には法学部を首席で卒業しました。ですが、私は自分のこと を「天才」だと思ったことは一度もありません。また、私を含めて、東大においても、努力が不必要な「天才」には、少なくとも、私は出会いませんでした。
努力をしない人には、3つのタイプがあります。
ひとつめは、これ以上努力をする必要がない(またはそう思っている)人。本当に「努力する必要がない人」というのは、これ以上その才能を高める余地がない完成形の「天才」です。ですが、本当の「天才」なんて、めったにいないのは前述のとおりです。
ふたつめは、努力する必要がないと思っている人。たとえば、ある分野で一定の評価を得て、それに見合う地位や名誉、お金などを享受できている人か、または、自分の人生を 半ば諦めてしまったりして、これ以上前に進む必要はないと思っている方々がいます。
しかし多くの人は、そのどちらでもなく、もうひとつのタイプに分類されるのだと思い ます。もうひとつのタイプ、それは、そもそも努力をすることが苦手な人です。頭のなかでは、努力したほうがいいとわかっていても、具体的にどうしたらいいのかわからない、 その結果、なかなか思うように努力することができないのです。
本連載は、この人たちに向けて、「努力」の方法論を述べたものです。
努力することを具体化する
努力をするというのは、ある目的のために力を尽くすことを指します。
こう書いてしまうと、すごく抽象的な感じがしませんか。だから、「努力目標」という のは、なんとなく「絵に描いた餅」的な、果たさなくてもいい目標のようになってしまい、 「努力義務」というのは、頑張ったと言いさえすれば許される義務のような気がしてきます。
ここに重大な誤解があると私は思っています。
まずは、「努力すること」を具体的にとらえることが大事です。「努力すること=〇〇をすること」と具体化することが一番重要なポイントです。努力することが苦手だと思って いる人のなかには、「努力しろ」とか「もっと頑張れ」とか言われて、具体的に何をどう したらいいのかわからないまま、ただ、今の自分を否定されたように感じて、「努力」と いう言葉に苦手意識を持たれた方も多いのではないでしょうか。
ですから、本連載では「努力すること」を抽象的な目的ではなく、具体的な目的にすることをまずポイントとして検討し、その後にそれを実行して継続することを考えたいと思います。
努力することとは反復・継続すること
まず、「努力すること」とは何かについてです。私にとってあることのために努力する ことは、その何かを「反復・継続」することを意味します。
これは要するにアスリートのトレーニングと同じです。たとえば、陸上競技の選手は、 基本的には一日何回か走って、それを毎日続けると思います。私にとっての努力は、主に勉強だったので、試験の前には教科書を何回も読んで、それを毎日続けました。だから、まず、なんのために「努力するのか」、つまり、何を反復・継続するかを見つけ出すこと が大事です。
次に、どうやって、反復・継続するかについて考えます。「私はそういうのが苦手だか ら」と思われる方も多いと思いますが、そんなことはないはずです。日々の生活を振り返 ってみてください。ほとんどの人が、反復・継続の繰り返しによって毎日が成り立ってい ます。
毎朝、定時にセットしたアラームに叩き起こされ、決まったチャンネルで天気予報と今 日の占いをチェックし、同じ通勤・通学路を歩き、定時に勤務先や学校に到着する……。 私を含む世の中の多くの人が、こういった同じ行動の繰り返しで構成された毎日を送って いるのです。
ですから、「反復・継続することができない」ということは、ないのではないかと思います。
重要なことは、まず、何を反復・継続するかを見つけ出すこと。それさえ見つかれば、あとはちょっとした工夫でそれを続けることができるはずです。
なにを反復・継続するか。これは意外と難しくて、その分野を間違ってしまうことも多々あります。今まで試行錯誤をして、失敗もした私の経験から、自分にとって正しい努力の対象を見つけ出すヒントをお伝えできればと思います。