神々のふるさと高千穂で心と体を清めるパワースポットヨガ

産後0日目からのママインストラクターヨガライフ

比べちゃう!できない我が子を恥じてしまうお母さんへのインド民話

 

 

パワースポット高千穂のヨガインストラクター、千穂ともこです。

 

 

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育児中に、自分の子どもを他の子と比べて、なんでできないの!?と、すっごく気になってしまったり、自分の子どもを恥じてしまうこと、ないですか?

 

そんな人に、どうしても知ってほしい、ヨガの発祥地、インドの民話があるんです。

 

 

弱ってきたおばあぁちゃんのボヤキ

 

なんで、この話をしようかと思ったかというと…

 

私のブログにかなりの頻度で登場してくれるばぁちゃんが、結構弱ってきたんです。

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元気だった時に、脱走した牛を追いかけるばぁちゃんの写真はこちら↓

www.chihoyoga-life.com

 

だって91歳だもんね。むしろ今まで、薬知らずで、本当によくここまで健康で過ごしてきたことが、すごい。

 

そして最近、道でこけるようになり、体がだるくなり、外出をしなくなり、ひたすら家の掘りごたつで過ごすようになり、認知症も始まり、髪を午前に娘に切ってもらったけど、午後になると、もう切ったこと、誰に切ってもらったか覚えていなくて、鏡を見て「なんだかさっぱりしてるようだけど…?」となったりする。

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こけて、頭をケガしちゃったばぁちゃん(涙)

 

体は思うように動かなくなるし、記憶は無くなっていくし。だからばぁちゃんが、実の娘にぼやいたんです。

 

「もう死んだほうがいいんだけどなぁ…」

 

本人が辛いこともわかってはいるんです。でも、その思いが、

 

「他の人ができていることが、自分にはできない。他人に迷惑をかける。だから自分には生きる価値がない。」

 

っていう、自分への自己否定と、勝手な自分の価値の位置づけから、いくらか来てるんだとしたら、私は辛くなってしまうんです。

 

育児中に、できない我が子が気になる!

 

育児をしてても、思い当たるところはありませんか?もし、お子さんが他の子どもなら当たり前にできることができていなかったりするとき、そこに否定的な気持ちはありませんか?恥ずかしい気持ちはありませんか?

 

それは本当にダメなことなんですか?成長に欠かせない事だったらわかります。でも、

 

効率が良い、頭が良い、パフォーマンスが良い、を良しとする経済的合理性からの価値観から来ているものが、あったりしませんか?

 

例えば、

 

うちの子に、障がいがあると、お医者さんに言われて、なんだか劣等感がある…

 

英会話にも通わせてるのに、英語はいつも隣の何も通ってない子より成績が低い…

 

うちの旦那も私も仕事バリバリする系だけど、自分の子はなんだかいつものんびりで、意思表示もよくわからないときが多い…

 

ヨガ哲学では、人は本来、あるがままそのもので美しい、という考えなんです。

 

それが土台にもなっている、インドの民話があります。

 

インド民話『ひび割れ壺』

 

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あるインドの水汲み人足は、二つの壺を持っていました。

天秤棒の端にはそれぞれの壺をさげ、首の後ろで天秤棒を左右にかけて、彼は水を運びます。

その壺のひとつはひびが入っています。
もうひとつの完璧な壺が、小川からご主人の家まで一滴の水もこぼさないのに、ひび割れた壺は人足が水をいっぱい入れてくれても、ご主人の家に着く頃には半分になっているのです。

完璧な壺は、いつも自分を誇りに思っていました。なぜなら、彼が作られたその本来の目的をいつも達成することができたから。

ひび割れ壺はいつも自分を恥じていました。なぜなら、彼が作られた本来の目標を、彼は半分しか達成する事ができなかったから。

2年が過ぎ、すっかりみじめになってひび割れ壺は、ある日、川のほとりで水汲み人足に話しかけました。

「私は自分が恥ずかしい。そして、あなたにすまないと思っている」

水汲み人足はたずねました。

 

「何を恥じているの?」

「この2年間、私はこのひび割れのせいで、あなたのご主人様の家まで水を半分しか運べなかった。水がこぼれてしまうから、あなたがどんなに努力してもそれが報われることができない。私はそれがつらいんだ」

壺は言いました。

水汲み人足は、ひび割れ壺を気の毒に思い、そして言いました。

「これからご主人様の家に帰る途中、道端に咲いているきれいな花を見てごらん」

天秤棒にぶら下げられて丘を登っていく時、ひび割れ壺は、お日様に照らされた美しく咲き誇る道端の花に気づきました。

花は本当に美しく、壺はちょっと元気になった気がしましたが、ご主人様の家に着く頃には、また水を半分漏らしてしまった自分を恥じて、水汲み人足に謝りました。

すると彼は言ったのです。

「道端の花に気づいたかい?花が君の側にしか咲いてないのに、気づいたかい?

僕は君からこぼれ落ちる水に気づいて、君が通る側に花の種をまいたんだ。

そして君は毎日、僕達が小川から帰る途中、水をまいてくれたんだ。

この2年間、僕はご主人様の食卓に花を欠かしたことがない。

君があるがままの君じゃなかったら、ご主人様は、この美しさで家を飾る事はできなかったんだよ。

 

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完璧な壺でなくてもいいんです。ひびがあるからこそ、種がまけたんです。

 

「あるがまま」、「存在」の美しさを学ぶ

 

実際に、弱ってきたばぁちゃんだからこそ、私と子どもは、学ぶものがあります。

 

2歳の長男ひーとんは、部屋にこもりがちになったばぁちゃんのベッドのわきにタタタッとかけこんで、耳が遠いばぁちゃんに大声で、

 

「ひぃばぁ、ごはああああああん!!!」

 

と、晩御飯の支度ができたことを知らせに行きます。

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これは愛するジャニーズを見つめるばぁちゃんを、眺めるひーとん(笑)

 

優しさを学んでいるなぁ、って感じる毎日。子どもが優しさを学べること、私が4世代同居の生活をする、1つの理由でもあります。

 

体が思い通りに動かせないばぁちゃんを見るだけでも、今の自分の思うように動いている体が当たり前じゃないんだ、ありがたいものなんだ、と気づかせてくれます。

 

体が元気なうちに、めいっぱい、子どもと遊んどくんじゃよ、と弱ったばぁちゃんの体が教えてくれます。

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ひーとんがまだ1歳の時に公園で遊ぶばぁちゃん。

 

頭が弱っていくのも同じです。脳みそだって有効期限があるんだから、使えるのは当たり前じゃないんだぞ。今、覚えておけるうちに、めいいっぱい子供のかわいい瞬間を目に焼き付けて思い出して、幸せ気分を味わうんだぞ、と、教えてくれます。

 

 

ばぁちゃんが、私が子どもと今をめいっぱい愛情をかけて過ごすための種に、水をまいてくれました。 

 

 

 

それに何より、ほとんど何もできないからこそ、魂そのものの美しさを、ありありと感じさせてくれます。

 

赤ちゃんだって、それこそ食事もトイレも1人では何もできないけど、だからこそ、その「個人」の、というより、「命」の美しさを感じますよね?

 

私はいつもばぁちゃんに「あるがまま」の「存在」の美しさを見させてもらっているんです。

 

みなさんも、もしお子さんの何か劣っているなと思うことに、経済的合理性からの価値観メガネをかけてしまっているようだったら、一度そのメガネを外してみてもいいんじゃないでしょうか。

 

だって、お子さんを恥ずかしく思ってしまうお母さん自身が、つらくないですか?

 

もう一度ありのままのお子さんを、メガネをはずして見てみてください。

  

 

ただただ、目の前にある、あるがままのお子さんは、どんなですか?

 

 

 

(ご自分にもかなりの時間や体力を割いたりする、重度の障がいや要介護の方に寄り添っている方の場合、ご苦労は、想像以上のものがあると思うんです。でも、少しでも、気持ちの負担が10から0は難しいとは思うのですが、このお話で10から9にくらいに減ったらいいなと思っています。)

 

私のかわいいばぁちゃん。自分は周りに迷惑をかけるとか、恥じないでほしいなぁ。ばぁちゃん、いてくれるだけでいいんだよ。ばぁちゃん、大好きです。

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道端の花に喜ぶばぁちゃん。
 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。パワースポット高千穂のヨガインストラクター、千穂ともこでした。