ウィルチコ・フローリアンさんは、神社本庁が認める外国人初の神主。オーストリア出身で、現在は三重県津市久居の野邊野神社で禰宜(ねぎ)を務める。神道を語るその日本語は、声だけ聞けば誰もが日本人と疑わないほど流暢だ。14歳で初めて家族とともに来日したときは、3週間ほどの旅ですっかり神社や神道に魅了され、お土産に神棚を買って帰ったという。
以来、神道への関心が強くなり、いつしか神主になりたいと思うようになった。平成19年に神職の資格を取得し、國學院大學で研究を深め、名古屋や東京の神社で実際に神主としての修行を重ねた。
そんなウィルチコさんを野邊野神社に訪ね、日本人が受け継いで来た神道の知恵について伺った。鳥居の形が象徴するように、常に多様な人々に向け開かれている神道のあり方や、時間や手間をかけて神様にお供え物をすることの深い意義など、ウィルチコさんの熱い思いを語っていただいた。
10代半ばで神道に魅了される
――オーストリアから移り住み、今は三重県津市の久居で神主をしておられます。ここに至るまでのウィルチコさんの歩みをご紹介いただけますか。
ウィルチコ 両親がともに地理の教員ということもあり、世界各国の写真集などが身近にある環境で育ちました。父母ともに旅が好きで、さまざまな所に連れて行ってくれました。ヨーロッパは国境を越える旅をしやすいので、遺跡を巡ったり、大都市を訪れたりと幅広くいろいろな所を見せてもらったものです。
初めて日本に来たのは平成14年、14歳の時です。父と一緒に3週間くらいかけて各地を回り、神社もいくつか訪れました。その時に、数千年の昔から脈々と受け継がれている「神道」の存在を知りました。しかも先端技術が溢れる現代の日本社会でしっかりと共存し続けている。これこそ日本文化・伝統の象徴だと気付き、とても感銘を受けました。お土産に神棚を買って帰ったほどです(笑)。
この旅行を機に神社や神道についてもっと知りたいと思い、書籍やネット等で勉強をするようになりました。
そして、いつの間にか「神主を仕事とし、神道を継承していきたい」という気持ちが芽生え、高校を卒業する頃には「神主になる」と強く思うようになっていたのです。
当時はホームページを持っている神社はあまり多くありませんでしたが、こちらからのメールに返信してくれる所もあり、一部は英語でも対応してくれました。「興味があるなら、こちらの神社でできることをしてあげましょう」というありがたい言葉をいただいたのは、名古屋の上野天満宮の宮司さんでした。
その後、宮司の勧めもあっていったん母国に戻りウィーン大学で日本学を修めたのちに、國學院大學の神道学専攻科で1年間神道についての学びを深めました。その時にご一緒した方のご縁で卒業後に渋谷の金王八幡宮に4年間、権禰宜(ごんねぎ)としてご奉仕させていただきました。
その間に家内と知り合い、八幡様にお仕えしている神主同士で結婚することになりました。結婚に伴って私は彼女の実家である野邊野神社に移ったというわけです。
日本全国津々浦々のオリジナリティー
――日本文化への興味から、神道へと入って行かれたわけですね。そのあたりのことをもっと詳しくお聞かせいただけますか。
ウィルチコ 日本文化そのものについて深く理解するには、この神道をおいて他にないと思います。日本の精神そのものといっても過言ではありません。そういう意味で、興味深い環境というかシステムにご縁があったなと思います。
海外から日本に来ても、なかには神社を訪れない人もいるかもしれませんが、これだけ全国津々浦々にたくさんある神社を避けて通るというのは逆に難しいことでしょう。初めて日本を旅したときにも実感したのですが、神社は地域によって大きく形や特色を変えています。それぞれの神社の由緒や歴史は必ず「ここにしかない」ものです。全国の神社の数はコンビニをはるかに上回っているようですが、どこの神社もそれぞれの歴史を持っています。それぞれに地域性とオリジナリティーが詰まっているものなのです。
野邊野神社の境内の一つの入り口にウィルチコさんが自らしたためた「定書き」が掲げてあり、子どもにも読めるようにルビの配慮がなされていた。
――ところで、何をもって神社の歴史というのでしょうか。社殿でしょうか。名前でしょうか。
ウィルチコ やはり「この場所で神様を拝んできたこと」、それこそがずっと続いている歴史でしょう。野邊野神社であれば、鎮座以来変わらないのは、八幡様を久居の守護神としてお祭りすること、その「思い」なのです。
日本の国土には、豊饒な恵みをもたらす優しい顔と、災害をもたらすような怖い顔の両面を持つ自然があります。日本人がその自然とどうやって何千年も向き合ってきたかというと、恐い神様を手厚くお祭りすることによって心強い守り神様になってもらうという信仰でした。まさしく、禍を転じて福と為すということですね。
祝詞(のりと)ではご存知のように「かしこみかしこみ」と言いますが、かしこむとは恐れることです。畏とも恐とも書きます。神様への畏敬の念と恐縮の気持ちを最大限に表現した後に、初めて願いごとを申し上げる口上なのです。
人々に常に開かれた入り口としての鳥居
――日本人の大半は無宗教だと言われます。なるほど、私たちは初詣だけでなく、七五三だ、合格祈願だ、成人式だといってはお宮参りをしますが、同じ人が結婚式は教会で挙げ、亡くなるとお寺で葬式を挙げることにあまり抵抗感がありません。
ただ、私たちには自分で宗教と意識しないほど自然に、八百万の神々を受け入れる神道の精神が血脈に浸透しているのだとも言えます。神道はそれだけ穏やかな宗教なのでしょうか。
ウィルチコ 緩やかなところもあると思いますが、とても強い信仰ですよ。「芯は決して手放さない」というところが独特の強さだと思います。
宗教という言葉が神道に当てはまるのかという疑問もあります。現在は神社も宗教法人であり、宗教法人法によって定められていますが、宗教という言葉自体の定義を考えると、神道とはどうもうまくそぐわないように思うのです。
もともと、日本に「宗教」という概念はなく、この言葉も明治時代に英語のreligionから作られたものと聞いております。religionという言葉の定義はメンバーシップのようなものです。
キリスト教徒であったらイスラム教徒にはなれないというように、宗教には必ず「どこに属しているか」というメンバーシップがあり、極端な例はルターの時代のドイツです。同じゴッドを信仰しているはずなのに、プロテスタントなのかカトリックなのかで、武装闘争になるほどでした。
神社には鳥居がありますね。入り口、ゲートのようなものだということは誰にでも分かりますが、閉めることができません。このことからも見て取れるように、神社はメンバーシップを一切問わないのです。日本の神様の懐の深さとも言えますね。
また「神道は天地悠久の大道」と言われ、無限の道とされています。受け入れないことはつまり限りができてしまうことで、神道の精神ではない、ということなのです。
受け入れ、アレンジし、深化させ進化させる、という日本人の知恵
――まさに鳥居が象徴するようなオープンな考え方、多様性を重んじる精神が、もともと神道にはあるのですね。
ウィルチコ 日本では、「絶対にAだけが正しい」という考え方ではなく、「でも、Bの言い分も理解できる」という考え方をするのではないでしょうか。そうでないと、1500年近く前に仏教を受け入れなかったかもしれませんね。私からすると、日本人の心の広さ、懐の深さを最も端的に示しているのは、仏教を受け入れたことです。
当時いろいろな確執が生じたかも知れないけれど、結局「お釈迦様がおっしゃることも、すばらしい。この国のためになるなら受け入れるべきだ」と考え、受け入れることにした。しかもうまく日本文化に浸透させて行ったのです。
千年以上続いていた神仏習合は非常に興味深く、日本の文化に特徴的な、大きな宝物だと思うのです。受け入れて、ただ単にコピーしているわけではなく、ここが一番大事なポイントですが、「どうしたらこの国のためになるのか」ということを常に考えて、取り入れたらアレンジし、深化させ進化させている。
それは1人の賢人が考えてできるというものではなく、長い歴史を通じて育まれてきたものです。先人達の知恵を今に活かし、今を懸命に生きる、というのが日本であり、何千年も受け継がれてきた日本の人々の「知恵」なのだと思います。
――現代の私たちに、神道はどのようなことを教えてくれるのでしょう。
ウィルチコ 人生で最も大事なものは何だと思いますか。私は、自分に残された限りある「時間」を挙げます。この貴重な時間を神様に少し差し出すというのはどうでしょう。それがつまり「手間をかける」ということです。今の社会はとかく「合理性」「生産性」を重んじすぎるように思います。昔は「手間ひまかけ、真心を込めたか」「手抜きしていないか」ということをとても大事にしていました。手間というのはあるときは無駄なことをやるわけです。ご祝儀を渡す際の熨斗袋は、包むのもほどくのも手間がかかりますから、最初からお札を渡したらずいぶん楽なのではないかなどと思うかもしれませんが、あのように手間をかけて気持ちを形に表すことにこそ意味があるのです。
また神仏に捧げる御供物は「おそなえもの」と訓(よ)みます。「そなえる」には備や供の漢字が当てられますが大和言葉は両方とも同じ訓みです。つまり、予め用意するという意味だと思います。手間をかけて準備するものこそは神様仏様に通じるという考えに至ります。
現代人にとっては面倒なことかもしれません。でも時間とは自然そのものであって、どんな人もそれに逆らえないからこそ、その時間を神様のため、大切な人のため思いを込めて少しだけ割く。神様が忙しい私たちに教えてくださっている大切なことの1つです。
可愛い二世も誕生し、野邊野神社も安泰だ
TEXT:伊川恵里子
ウィルチコ・フローリアン WILTSCHKO Florian 野邊野神社 禰宜
1987年オーストリア、リンツ生まれ。幼い頃から日本に興味を持ち、14歳の時に家族とともに観光で初来日し、ますます関心を高めていく。兵役後、ウィーン大学で「日本学」を専攻。2007年縁あって名古屋市の上野天満宮に入り、住み込みで神道を学ぶ。その後、母国に戻りウィーン大学を卒業、再び来日し國學院大學神道学専攻科で学ぶ。専門課程を経て、2012年渋谷区の金王八幡宮の権禰宜(ごんねぎ)に任命され、4年間務める。2016年5月からは、結婚にともなって三重県津市久居の野邊野神社に移る。