日本政府観光局によると、2017年の訪日外国人観光客数が2869万人となり、過去最大となった。前年比で19.3パーセントという驚異的な増加である。そして、こうした観光客を呼び寄せるべく、各地で様々な試みがなされている。
中でも筆者が注目したいのは、宗教の観光利用である。
たとえば、日本には17の世界文化遺産があるが、そのうち10は宗教関連の物件と言ってさしつかえない。
神社仏閣や聖地には長い時間をかけて蓄積されて来た物が残されているため、当然の傾向かもしれない。
だが、この一覧からはある傾向が見てとれる。
当初は、建造物や文化財といった対象が物であることを明示する言葉が使われているが、時とともに「霊場」「仏国土」「信仰」「神宿る」といった積極的に宗教性を示す言葉が用いられるようになっているのだ。
もちろん、こうした傾向が、即、世界遺産の宗教化や政教分離違反だと言いたいわけではない。登録物件が増えるにつれ、後続物件は自身の個性を強く示す必要があり、踏み込んだ表現を用いざるを得ないのだろう。
とはいえ、観光振興が理由だとしても、宗教を伝統文化や精神文化と安易に言い換えてしまうことには違和感を抱く。
昨今の傾向でいえば、パワースポットやスピリチュアルといった表現は地方自治体も含めて当然のように用いられ、さらには「政教連携」なる言葉まで使われるようになっている。
今さら説明する必要がないほど、パワースポットという言葉は一般化している。典型的な和製英語で「活力が得られる不思議な場所」といったくらいの意味だろうか。
この言葉のポイントは、宗教や伝統の重さを感じさせないことだ。
従来、ご利益や霊験と言われてきたものをパワーやエネルギーといった科学由来の言葉で言い換えることで、宗教臭さが消される。そのため、公的機関やマスメディアでも頻繁に用いられるのだろう。
本欄で前回も引用したが、昨年末の安倍首相の講演でも使われていた(参照「本当に『地方活性化の鍵』なのか?『インスタ映え』のダークサイド」)。
「歴史ある霊山で座禅」だとまずいが、「遺跡のパワースポットでヨガ」だと何となく政教分離に触れないような感じになるのだろう。