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画竜不点睛

アンチ創価学会

自分の中では常識でも、一歩外に出ると非常識そのものの考え方と言うものが存在します。「非常識」は少々大袈裟ですが、気付くと余り知られていなかったと言う事柄というものも多い様です。

合気武道を長くやっていると、「へえ、合気道をやっているんですね」と言う言葉が返ってくる時があります。「合気武道」と「合気道」は別物なんだけどな…、などと心の中で呟(つぶや)いたりしますが、説明するのも面倒臭いし、結局愛想笑いで「そうなんですよ」なんて事で話を納めてしまいます。
それと同じ様な事が起こりました。今回は逆な話になります。「アンチ学会」の定義をしてくれと言うコメントが寄せられたのです。
ハッとしました。
当ブログ上で「アンチ創価学会」の言葉は、訪問者が当然知っていて然るべきものだという「安易な前提」の上で使用していました。でも、この言葉は、意外な事にほとんど知られていないのです。考えてみると、地区や支部等でも出てきません。余程近しい人の間であれば別かもしれませんが、通常の学会での会話や対話、更には指導等でも聞いた事のない言葉になります。
ネットのブログ上での「アンチ~」とはよく見ますが、それは飽くまでネット世界だけの話のようです。

で、今回改めてこの言葉に対して、私なりの「定義」をしてみたいと思います。
勿論自分独自の定義です。更には、一般的な常識的な定義もない中でのある意味個人的な「仮定」でしかありません。また、自分のブログや、コメント等でしか使用出来ないとも思いますので,非常に限定された言葉の定義になります。
と言う話を前提に、当MonLinGenブログで使用している「アンチ創価学会」の言葉を説明してみます。上記の話を「前提」にして読んで頂ければと思っています。

さて「アンチ」を日本語で意訳も含めて説明すると、「反」「反対」「非」「嫌」「逆」等々、否定形容詞として使用される言葉だと言えます。例えば創価学会に対して、「反対意見を持つ」「反論意見を持つ」「否定的に考える」「活動に対して嫌悪感を持つ」などを、意味的に持っているもののようです。また、「反(アンチ)~」の「~」はどんなものにでも使用可能です。「アンチ創価学会」「アンチ宗教」「アンチ池田先生」などが代表と言えます。
言葉の意味的なものは以上で充分かと思います。そこから派生する内容はどうでしょう?
反対意見があるからと言って,その考えを否定することは間違いです。意見は尊重すべきです。それは当然の話です。
私は、意見が「反対」だから彼等を「アンチ」呼ばわりしているわけではありません。
以下の話を問題にしているのです。

「事実確認のない中傷」「嘘を知りながらその嘘の記事」を、批判も無視して反省もなくネットや世間に拡め「続けている」その行為、考え方を問題にしているのです。

個人の「意見」は尊重されるべきです。例え、それがろくでもない中傷意見だったとしても同じです。
問題の本質は、嘘を嘘と認識しながら、事実確認もせず、また批判に対しても一切無視し続けて、尚もネット上に中傷話を流し続けている,その行為、混濁したその考えそのものを問題にしているのです。
更に言えば、個人的な「感想」「意見」を装いながら、さもその問題が「学会の真実(問題点)」なんだと表現されているブログ記事をよく見ます。最低限の事実確認もせず、また悪意を持って読み手を騙(だま)し続ける記事主のことを「アンチ創価学会員」と呼ぶのです。
しかし、「事実誤認」や「勘違い」が出てくることも当然普通にあり得ます。どんなプロ作家でも間違いは何処かに発生します。そう言う誰でもある間違いのことを話していのではありません。
上述の話だけでは理解し辛いかもしれませんので、下に実際ネットのブログから切り取った文言を,若干の修正を加えた上で記載します。
3つの例題、「創価学会崩壊」、「財務」、「学会からのいじめ」を例題として説明してみます。

〇創価学会崩壊と言う話〇

Q「池田大作が死んだら、創価学会は崩壊しますか?」

A「早い話が学会は池田教ですわ、その中心の方がいなくなったら、間違いなく
学会は崩壊です。
醜いでしょうね。
学会には相当の資産があります。それは先生個人のものなのか?学会のものなのか?大いに揉めてください。世間を騒がせて楽しませてください。笑えますわ。
今から期待です。
真面目な話です」

…若干昔のQ&Aで、言葉は少し変えています。でも、この手のものはかなり巷間に広まっています。意地悪く言うとこれは一種の「マッチポンプ話」とも取れそうです。こう言う話は一般的に分かり易く,且つ頭に残りやすいですよね。
でも、「A」(答え)の中に崩壊の「理由」が何も記載されていません。唯ひたすら、池田が死ぬと必ず学会は崩壊する…それだけを記しています。感情論と論理とは似て非なるものです。
これは、どう好意的に見ても「嘘話」の類いです。

〇財務での大嘘の話〇

「私は創価学会を絶対に許さないでしょう。年末の財務で、全財産を持っていかれました。
婦人部の幹部が「お金に困っている時程、財務を頑張りましょう!今は困っていてもすぐに何倍にも返ってくるから。今、家にあるお金は全部財務として使いなさい。」
勧められるままに、母はすべてのお金を創価学会に寄付しました。
もう住む場所もありません。あと数ヶ月で家を出なければいけません。
兄弟の大学の入学金、学費、当面の生活費もすべて寄付しました。

(以下は要約…財務の後、学会員は訪ねて来なくなりました。座談会でも母は無視されています。財務を勧めた幹部とは連絡も取れないそうです。
そして母は病気になりました。もう永くはないと思います。
これが、家族を犠牲にしてまで活動していた人の結果です。
母が憎い。それ以上に創価学会が憎い)

死ぬ前に気付いても遅いんです。
一家和楽を装っていても、もっともっと前から私たちはバラバラだったんです。
もう疲れました」

…上記は或るブログの記事を,元の内容はそのままで途中を要約したものです。
よく聞く「学会はお金を持っていく」、と言う話を少々哀愁を込めて訴えようとしたものです。かなりな長文でしたので、途中の話を端折りました。しかし,全体の意味は変えていません。
「理由」らしきものは書かれている「ように」見えます。しかし,本当の創価学会員がこれを読むと全てが嘘だとすぐに判る財務話です。
学会幹部が「財務」のお願いをする時は、その人に対しては複数の「枷(かせ)」をかけます。財務申し込みの話での許可を得る時、及び書類上での許可、そして実際の振り込み時は当人自身の確認です。そもそも、学会の幹部が「家にあるお金は全部財務として使いなさい」などと話す事など決してありません。この事は「事実」です。その事実を全く知らない人がこの与太話を創作しています。勘違いという次元の話ではありません。
…嘘にしても、悪質過ぎる「嘘話」です。
ただ、こう言う話は一般的な「需要」があります。面白いし、嫌いな学会に対しての恨み節に聞こえて、とても楽しそうでもあります。
でも、こんな嘘八百話の垂れ流しを許し続ける事があっては決して駄目だと言う事は,当然の事です。

〇学会でのいじめの話〇

「創価学会の子供にイジメを受けたことがあります。
私の住む地域は創価学会の方が多く、どこの宗教とか子供の頃は特に気にしてはいなかったのですが、私は子供の頃イジメにあっていました。肉体的なイジメではなく精神的なイジメです。
一番嫌だったのは仲間はずれにされた事です。

(中間の話は、地区で虐められた、仲間外れにされた、学校でもいじめに遭った、創価学会には居るといじめは無くなると言われていたがそれでも虐められた、大人になって学会員に虐められた、学会員ではないから虐められた等々、延々と「いじめ」られた云々の話で埋められています。そして最後にこんな言葉で締められています)

どうして創価学会の人は学会員じゃない人を攻撃したり、仲間はずれにするんですか?」

…虐め問題は軽く見ることは出来ません。しかし,自分の人生全てが創価学会からのいじめで染(そ)められている,だから学会は酷い組織なんだ、という話は常識的に考えてもかなり異常です。
いじめ=創価学会
この構図は余りにも歪(いびつ)過ぎますし、一種魔女狩り的な話に聞こえます。
いじめは、はっきり言って一般社会どんな組織にでも存在するものです。そうであるにもかかわらず,全てのいじめが創価学会と関連があると言う認識での話は、病的な一方通行記事です。
彼(彼女)の最後の言葉、「どうして創価学会の人は学会員じゃない人を攻撃したり、仲間はずれにするんですか?」は、悪意か、でなければ鬱(うつ)病を想像させる言葉です。
これは、自分の「意見」や「考え」と言う次元の話ではありません。

 

以上、有名処の学会問題を記してみました。若しかしてそれぞれ真剣な思いで書いている可能性も,無きにしも非ずでもありますけど、一般的な考えからは少々とっぱずれているようにも感じる記事類、内容類です。これこれの事実があって,そしてこういうこともあって、そしてこう言う結論に達したと言う書き方ならともかく、感情論や悪意での話を「学会の事実」だと言い切るその余りにもいい加減さは、とても常識人の書いた文章とは言えません。
でも注意して欲しいことは、これらの話が全て嘘話だと言う事を言っているのではなく、この手の事実無根の話が余りにも多いと言うことを話しているのです。
故にそれらの記事を、「アンチ学会」が書いた「アンチ中傷」の記事と断定するのです。

「アンチ創価学会」と言うものは、想像以上にとても多くの問題を含んだものでもあります。言葉上の単純なものだけでは無く,内部に様々な注視すべき問題を含んでもいます。ややこしい「俯瞰中毒者」と言う人々が入り込んだりもします。一括りに出来ないものですけど、一つひとつの記事でその縺(もつ)れた紐を解きほぐしつつ明快にして行かねばなりません。

冒頭に出した「合気」の一括りの言葉の話。当にこの問題にたどり着くような気がします。
合気を冠した武道は、知らない人の想像以上の複雑さと大きさ広さを持っています。それを一括して「合気道」と話していたこのMonLinGenでの記事の数々は、今思うととても恥ずかしい程のいい加減さを持っていたようです。


画竜点睛を欠く…最後の仕上げを忘れること

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画竜不点睛” への1件のコメント
  1. 見沼深作 より:

    崩壊云々は単に純粋な馬鹿だと思います。
    資産が誰のものかというのは、ちゃんと定められている話です。
    常識がないですね。

    財務云々は完全に嘘ですね。
    一発でわかります。

    いじめ云々は、あれじゃないですか。
    集団ストーカーとかいう。

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