2018年02月19日

輝くジャーヒリーヤの時代

アラビア文字の墓碑東博のアラビアの道展に行ってきた。驚きの常設展チケットで入場できる=実質無料の企画展である。しかも全館写真撮り放題。総展示数424展で展示替え一切無し。さらに入り口の外にベドウィンのテントが張られ,テントに行くとアラビアコーヒーとデーツ(ナツメヤシ)のもてなしを受けられる(もちろんこれも無料,ただし先着順で完売有)。オイルマネーだ……

展覧会名はダブルミーニングで,古来通商路となってきたアラビア半島という意味と,サウジアラビア建国に至る歴史という意味が重ねられている。もっとも,展示の9割は前者で,後者はおまけという様子であった。とはいえサウジの政治観が全面に出たキャプションにはなっていて,たとえば中東地図の地名も,よくみるとペルシア湾ではなくてアラビア湾になっている。私以外の人はさして気にしていなかったけども。

展示は先史から始まっていて,とはいえ石器の類はどこも同じではある。ただし,新石器の頃は「緑のアラビア」だったからこそ石器が出土されるんだという指摘は確かにと。文明が始まると,ペルシア湾がメソポタミア文明とインダス文明の交易路になったのは近年知られるようになったところで,湾岸の遺跡からの出土品の石像や装飾具等が紹介されていた。前2500年頃の出土品,どう見てもメソポタミア文明の影響が明白な石像が多く展示されていて,石像の大きさもあって見ごたえがある。

そして前1000年を過ぎる頃になると,アラム文字や,その系統の文字が姿を見せるようになる。当然のことではあるが,高校世界史で教えられるアラム文字系統の文字とは,現在使われている文字につながっているか,歴史的に大きな意義をもったものだけであり,他にも使われなくなった文字は無数にあるのだ。そうしたアラム文字のバリエーションが刻まれた石板を多数見ることができる。多分,「ダーダーン文字碑文」とか一生で二度と見ることがないと思う。また,この頃の石板の図像がどう見てもアフラ・マズダで,もろにアケメネス朝の影響下である。紀元前3世紀を過ぎるとヘレニズム文化が伝わってきたか,彫刻のレベルが一つ上がった感じがある。ガラス器や銀貨も見られた。またギリシアから運ばれてきたか,もろにヘラクレス像やアルテミス像も発掘されていて,直接ローマの版図にはなっていないが,パクス=ロマーナの影響は見て取れた。『エリュトゥラー海案内記』の時代である。

これが7世紀になると突如として様相が変わる。アラビア半島は交易路という役割に,巡礼路という役割を担うことになる。アラビア文化の美術品で一際美しいものといえば書道であるが,今回の展示では墓碑が大量に展示されていた(今回の画像)。この画像は展示室のど真ん中,一番目立つポジションに設置されていただけあって,玄武岩の色味もあって大変美しい。実物を見に行く価値があるだろう。

この後はてっきりイスラーム美術の歴史が続くものだと思っていたら,なんと11世紀頃で展示物が激減し,以後は30年に1個のようなペースになって,特に18世紀半ばの次は19世紀末までぶっ飛んでいった。バグダードやらカイロ,イスタンブルにめっきりイスラーム世界の中心地の地位を奪われてしまっていたこの時期,とりわけオスマン帝国支配下は半ば黒歴史なのか,それとも至極単純に「イスラーム美術なんて大量に見せられても日本人は困惑するだけだろう」という余計なお世話なのか。プラスに考えれば,ジャーヒリーヤの時代のアラビア半島を紹介したかったのかもしれない。個人的にはそれよりも,もっとマムルーク朝・オスマン帝国時代のイスラーム書道や銀器,ガラス器を見たかったなと。最後は19世紀末からまた突然展示物が増えて,サウジアラビア建国の歴史の紹介ということで,主にアブドゥルアジーズの遺物が展示されていた。「アブドゥルアジーズ王の『クルアーン』」なんかもあり,建国は1932年,伝説的な初代国王の遺物が非常に新しいという,古くて新しい国家サウジの特異性が見える。