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クケリの衣装は土地によって異なるが、ベルは不可欠な要素。儀式のため特別につくられている。(PHOTOGRAPH BY ARON KLEIN)

ブルガリア、冬の奇祭「クケリ」 写真14点

2018.02.20
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「(クケリを)見たことがありますか? 彼らは本当に最高です」。そう語るのは、米ニューヨーク市立大学で人類学の教授を務めるジェラルド・クリード氏だ。「五感に強く訴えかけてきて、目をそらせません」

「クケリ」は古代から続く、壮観で、メタファーに満ちた儀式だ。冬になると、手の込んだ衣装と空想的な仮面を身に着け、巨大なベルを腰に巻いたクケリのグループが、楽団の演奏に合わせてリズミカルに踊りながら、村を練り歩く。悪を追い払い、善を招き入れるためだ。(参考記事:「欧州のワイルドなやつら」

 ただし、これは簡単な説明に過ぎない。クリード氏は数十年にわたってブルガリアを研究し、クケリの慣習を1冊の本にまとめた。同氏によると、クケリは「多目的」な儀式だ。ベルの大きな音と恐ろしい仮面で邪悪な視線をかわす一方で、村を踊り歩いて人や動物、農作物の豊穣を祈願する。さらに、若い男性の成人式も兼ねる。

伝統的なクケリの慣習は父から息子へと受け継がれる。写真のクケリたちは大きなベル、刺しゅうを施した衣装、空想的な仮面を身に着けている。(PHOTOGRAPH BY ARON KLEIN)

「あまりに歴史が長く、正確な起源を突き止めることはできません」とクリード氏は話す。儀式の骨格はブルガリア全域で共通しているが、「地域や方言によって、内容はさまざまです」(参考記事:「サンタの歴史:聖ニコラウスが今の姿になるまで」

 例えば、マケドニア国境に近い、畜産が盛んな地域で行われる新年の行事は「スルヴァカリ」と呼ばれている。新年はヒツジやヤギの出産時期でもあり、スルヴァカリではウールの衣装と動物を模した仮面を身に着ける。一方、真冬に行われるクケリの儀式はもっと抽象的な衣装で、おそらくバルカン山脈の南側の農業と密接に結びついている。

 スルヴァカリの儀式では、結婚式の要素を取り入れることもある。花嫁と花婿の衣装を着た2人が家から家へと訪ね歩き、祝儀と引き換えに祝福を与える。(参考記事:「ブルガリア伝統の花嫁メイク」

 このように儀式の内容は地域によって異なるが、時代の流れはさらに大きな変化をもたらした。かつては若い男性だけの儀式だったが、今では老若男女が参加している。クリード氏によれば、間違いなく、男女の役割に対する見方の変化も一因だという。しかし最大の要因は、1960年代から70年代の農業政策によってブルガリアの人口が減少し、さらに1989年に経済が崩壊して農村部の若者が大量に流出した結果、女性と子供、高齢者が農村部に残され、クケリの儀式に参加せざるを得なくなったことだ。

レンズの裏側

 アロン・クライン氏は写真家になるつもりはなかった。「たぶん、旅先で(写真と)恋に落ちたのだと思います」

 クライン氏はブルガリアで年に1度開催される音楽祭を数年にわたって撮影した。その際、「村の老婦人たち」の家に滞在したのがきっかけで、ホストたちの豊かな民間伝承を記録したいと思うようになった。その後、クケリの儀式を知り、プロジェクトは1つの形をとった。

クケリの起源は不明だが、紀元前であることは確かだ。現在は、四旬節の初日に儀式を行う傾向があるなど、キリスト教の要素をいくらか取り入れているが、今も昔も異教徒の慣習であることは変わりない。(PHOTOGRAPH BY ARON KLEIN)
(PHOTOGRAPH BY ARON KLEIN)

 1月末、クライン氏は「スルヴァ」と呼ばれる国際仮装大会を訪れ、2日間でさまざまなクケリのグループと出会った。ブルガリアの写真家エレナ・セルゴワ氏が通訳兼コーディネーターとして同行した。スルヴァは1966年、ソフィア近郊のペルニクで始まった。ブルガリア全域からクケリのグループが集まり、衣装と踊りを披露する。クケリの数は年々増えている。(参考記事:「ブルガリアの伝統息づく国際仮装大会11点」

「その後、村に戻る彼らを追いました。約2週間におよぶ長旅でした」とクライン氏は振り返る。「私たちは小さな車に乗り込み、ブルガリア全域をジグザグと走り続けました」

 クケリのグループと良好な関係を築くことに成功すると、クライン氏は村の風景をバックに写真を撮影した。「儀式の解釈がそれぞれ異なるように、風景も村によって全く異なります」とクライン氏は説明する。「そのため、それぞれの故郷である自然の中でクケリを撮影したいと思いました」

 クケリの大胆な芸術性と荒々しい冬の風景を対比させた写真は、超現実的でとても魅惑的だ。

クケリの衣装は地域によって大きく異なる。ヤギが生活の中心にある地域では、多くの場合、衣装もヤギの毛でつくられる。写真の衣装は、長いことで有名なカロフェルのヤギの毛を使用している。(PHOTOGRAPH BY ARON KLEIN)

旅立つ前に知っておくべきこと

 イタリア、サルディーニャ島からポルトガルまで、紀元前に生まれた仮装の儀式は今もヨーロッパ各地に深く根差している。人工の光に明るく照らされた時代でも、やはり追い払うべき闇は存在するのだ。多くの人が見過ごすような体験を求めている人は、ブルガリアの地域ごとの違いを味わってみてはどうだろう。(参考記事:「ミステリアスで美しい、ベネチア・カーニバルの魅力」

「ブルガリアは田舎です。ソビエト連邦崩壊後を思わせる不思議な魅力があります」とクライン氏は話す(社会主義時代のブルガリアはソ連の衛星国だったが、主権国家として独立していた)。「それに、人々は驚くほど親切です」(参考記事:「壊されたレーニン像の今、写真18点」

 クケリの儀式が行われている村の多くは、気が遠くなるほど人里離れた場所にある。特に、人間関係を構築する時間がない人はそう感じるだろう。そのような人には、スルヴァや真冬にヤンボルで開催されるフェスティバルがおすすめだ。クリード氏によれば、儀式というよりパフォーマンスに近いが、1つの村ではわからない地域の多様性を知ることができるという。

 こうしたフェスティバルはもともと、共産主義政権が各地のクケリの慣習を廃れさせるために始めたものだ。しかし、その意図に反し、儀式の保存を推し進める結果になったと、クリード氏は指摘する。政権は1970年代までに、クケリの儀式はナショナリズムの促進に利用できるという方針に転換。1980年代までには、地方政府が自ら儀式を主催するようになった。

 クケリの伝統は今も続いている。クライン氏はブルガリアを満喫する方法として、レンタカーで移動し、地元のモーテルかAirbnbの民泊を利用することを勧めている。クライン氏も今回そうして撮影の旅をした。

 クケリに会いたい人は、意識して地元のガイドを選んでほしい。親切な村人たちの中にも、旅行者に「関心と敵意の両方」を持っている人がいると、クリード氏は話す。「村人たちはクケリを見に来てほしいと思っています。しかし、村人たちは何一つ得ることができません。旅行者はホテルに滞在し、村に来ても、その日のうちに去ってしまうためです」

【この記事の写真をもっと見る】ギャラリー: ブルガリアの奇祭「クケリ」、あと9点

文=Rachel Brown/写真=Aron Klein/訳=米井香織

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