カンボジアの人たちが強い嫌悪感をアメリカに抱いているのは、いったいなぜなのか。
私が話を聞いた弁護士は、司法改革のプロジェクトに関わっていたため、より強くそのような意識を持っているのかもしれない。
アメリカの団体や専門家も、社会学の分野などでは、カンボジアの文化や現実を尊重したプロジェクトを実施している。
しかし、中国は政治に直接口を出さないとはいえ、少なからぬ中国企業の投資や中国政府の援助に、透明性や長期的な視野が欠けていると指摘されている。
フン・セン政権は独裁色を強めており、癒着や汚職の監視・是正機能を低下させている。政治家や官僚のポケットにキックバックが入りやすい環境があるなら、そのツケは庶民が払うことになる。
カンボジアの人々は、このような状況に不満を持っていないのか。
いや、今カンボジアは、GDP年率7%という好景気に沸いている。少しぐらい権力が腐敗していても利益は庶民に回ってくるし、社会全体が底上げされていくということか。
農村で中国企業に通訳として採用されれば、家族を養えるというのが、分かりやすい事例であろう。
アメリカが批判され、中国が受け入れられる原因は、当然、国際環境の変化にもある。
アメリカは自国中心主義を主張し、ヨーロッパには移民排斥の動きが広がっている。世界的にリベラル民主主義の価値が減退する一方で、中国のパワーが増大している。
さらにもう一つ、私がカンボジアを旅しながら感じたのは、「中華」の文化は、特に家族や集団を重視するアジアや発展途上国に浸透しやすい、ある種の「包容力」を持つのではないかということだ。
もちろん、この「中華的包容力」は、不動の地位、権力を掌握する「覇権」の存在が前提となる。
「覇権」は自らが最優位を保つため、敵対的勢力を制するという側面があり、「包容力」は「排他性」と表裏一体だ。
だが、国の安定や発展が確保されるなら、被支配者は「覇権」に同意するだろうし、その文脈において、覇権主義は統治の手段として有効に働く。