2018年02月18日
一生分の宸翰を見たのでは
仁和寺はそうした事情から皇室縁の寺宝が多く,応仁の乱で建物はほぼ全焼しているが,寺宝は避難させていたため,中世以前の文化財がよく残っている。なにせ宇多天皇縁の9世紀末の仏像が今回の展示で出ているほどだ。その他仏像は今回日本全国の御室派の寺からかき集めているので,かなり豪華な展示となっている。密教らしく割りと派手な仏像,巨大な曼荼羅,五鈷杵などの仏具が並んでいた。密教らしく仏像のバリエーションが豊富で,如意輪観音とかいうレアキャラもした(私は観心寺以外に存在しているのを初めて知った)。その中で,普段は非公開となっている仁和寺観音堂の仏像33体(正確にはほとんどが天部・明王)が展示され,壁画も高精度画像で観音堂が完全再現されている部屋があり,しかもこの部屋は写真OKであった(今回の画像)。やけに気前が良い。この仏像33体は後述するように江戸初期に再建された時のもので,保存状態も良い。私は手持ちのスマホで雑に撮ったが,カメラガチ勢が一眼レフでばしばし撮っていた。気持ちはわかる。
また,今回の展示の目玉の一つは宸翰(天皇自筆の書)である。前述の理由から,仁和寺には大量の宸翰が残っている。その中で一際目を引いたのは後醍醐天皇の宸翰消息で,あまり書物の展示に興味がない私でもさすがに驚いた。他の天皇では高倉・後嵯峨・後宇多・伏見・後陽成・後水尾天皇といった面々で割りと濃い,というよりも歴代の天皇のものが大体全部あって,濃い人のを持ってきたのだろう。高倉天皇の宸翰は平徳子が後の安徳天皇を出産した時のもの。なお,後宇多天皇は仁和寺で出家して大覚寺門跡を継承し,大覚寺を主としつつ仁和寺を乗っ取る形で両派を統合しようとしたが失敗したことがあるそうな。一方,伏見天皇は持明院統の天皇で,両統の宸翰が並んで展示というのもおもしろい光景。そして後水尾といえば紫衣事件の人だが,応仁の乱でほぼ全焼した仁和寺を復興させたのも徳川家光という不思議なつながりも。
その他に空海自筆の経典も展示されていた。ぱっと見上手い字とは全く思えなかったが……あとは『方丈記』の13世紀当時の写しは,展示ではあまりクローズアップされていなかったがめちゃくちゃな貴重品では。ここで『徒然草』ではなかったのは,少々残念だったが。全体として,美術好き・仏像好きというよりかは密教好き・日本史好き・皇室好きな人が行くと楽しめる展覧会といえるか。特に日本史勢にお勧めしておこう。
Posted by dg_law at 23:26│Comments(0)